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令和二年庚子歳旦三つ物 [詩歌]

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庚子歳旦三つ物
 発句 左義長の炎汝が胸照らしけり
 脇  しみじみとしろこの初昔
 第三 誕生日五輪開会重なりて

 昨年2019年は、5月が代変わりである。したがって平成31年(4ヶ月間)でもあり、令和元年でもある。後の世では平成31年が、人の意識から消えて無くなるのだろうか。
 昭和、平成の代変わりは1989年1月で昭和64年は1ヶ月のみだから昭和64年は存在しなかったごとく、昭和の御世は63年だとなっても不自然ではない。

 昨年7月10日つまり令和改元2か月ほどで病を得た。むろん罹患は改元と無関係である。病気は何時老人を襲っても不思議はない。が、今回は老人には怖い肺炎(pneumonia)である。
 24日間の入院を経て漸く退院して、医者は順調な回復と言ってくれるものの、年が明けてもなお身体が変だ。
しかし、医師の適切な処置で命を救って貰い、いくら感謝しても足りぬとしみじみと思う去年(こぞ)であった。79歳の誕生日7月24日は病室で迎えた。
 何より異常な暑さの中、家人にかけた負担は入院中はもちろん退院後も尋常では無かった。

 このことも影響したらしく、めでたい時に作る新年の三つ物、令和ニ年庚子歳旦がなかなか上手くいかず難儀した。
 いつものように暮れに作ったが、最終的に次のとおりになった。

令和二年庚子歳旦三つ物
 左義長の炎汝が胸照らしけり
 しみじみとしろこの初昔
 誕生日五輪開会重なりて

あまり賢明ではない、と承知で自解を試みる。

発句 左義長の炎汝が胸照らしけり
 左義長は小正月(1月14日)に旧年の注連飾りや願掛け達磨などを燃やす「どんど焼き」の別称。全国各地で行われる。
 燃える炎があなたの貌(かお)でなく、胸を照らすとしたのは、これでも肺炎を想起する人は、よもやいまいと考えた。
 一方、「我が」胸とせず「汝が」胸としたのは、自分のことではないと曖昧にしたかったから。
 初案は 令和ニ年はねずみ歳なので、「あるじ留守物置走る嫁が君」だった。自分の入院中に物置に置いた猫砂の袋がねずみに齧られたのを家人が見つけて、どうしようと本気で悩んだりしたのだ。
 嫁が君では脇が続かず、最後の最後にふと、「左義長」という語が浮かんだので急遽変更した。

脇 しみじみとしろこの初昔
 しみじみは命令形に馴染まないが、自分のなまえをかけた。やや強引だが読んで気づく人はいまいとふんだ。
 「初昔」には強意の「この」をつけた。「初昔」は去年(こぞ)のこと。歳時記で見つけた新年の季語。「昨年」と同じ言葉で、我が身にいろいろあった令和元年を指すという。初めて知ったが良いことばだ。

第三 誕生日五輪開会重なりて
 わが誕生日は7月24日。あと半年余り元気であれば、めでたく傘寿の日を迎える。世界中の人がこの日を五輪開会日として祝うだろうが、わしもこの日誕生日だぜ、関係無いけど、というだけの雑(ぞう)の句。
「誕生日」を「傘寿の日」とすることもできたが(あるいはその方がめでたさも増量するが)、遠慮した。
 過程では「またしても関わり薄き五輪来て」などという句もあった。
 今回も前回もオリンピックとの関わりは薄い。前回は結婚の前年の秋。オリンピックなど頭に無かった。
 今回も、たまたま開会式の日が誕生日と重なるだけの関わりになりそうで、待ちに待っている人からは叱られそう。それにしても騒ぎ過ぎで心配である。他にもっと騒いで貰いたいことがたくさんあるし、何より一億総なんとかの雰囲気でお宅何しらけているの、という感じが怖い。

 さて、三つ物らしくめでたい句になったかどうか分からないが、句の形だけは出来たので年賀状に添えた。相変わらずの心臓。
 読んだ人は殆ど理解出来ないだろう。それは読む人のせいでなく、詠んだ人の責だということが、この自解で分かるというものだ。
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去年のかぼす [自然]

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 ややこしいが、おととし(2018年12月)の前回のこの話しは「今年のかぼす」という題だっと覚えている。

 昨年(2019年)は花も実もたくさんつけたが、実が大きくなりはじめた夏頃、体調を崩して長期入院したので、採りどきに収穫できなかった。やむなく息子に頼んだが、その結果半分くらいを残してしまった。
 退院してから体調と相談しながら、3回くらいに分けて残りを収穫せざるを得なかったため、自然にテニスボールよりひと回りくらい小さい、つまり大玉の温州ミカンくらいの大きさになり、しかも黄色いカボスとなってしまった。
 大分では黄色いかぼすと言って馬鹿にする。かぼすはピンポン玉よりひと回り大きいくらいのものが香りがあって刺身、秋刀魚にかけて愉しむ物というのが普通である。
 大分に住んでいた頃、当時大分の人は黄色いかぼすを、活用したのか覚えがない。香母寿というジュースがあったが、あれも小さいうちに採ったかぼすを搾ったのではないかと思う。

 さて、1昨年最後の頃収穫した大きくて黄色いカボスを、どうかと思いながら人にあげたら、大きいしジューシーと喜ばれてびっくりした。さらにマーマレードにして食べたと言う。
 それではと去年は家人にマーマレードを作って貰うことにした。
 以前、青いうちのかぼすを使って、ジャムを作るのに悪戦苦闘したことがある。市販のペクチンを添加してもダメ。皮だけでなく、種子のペクチンも煮出して取り出すと良い、とネットにあったのでそれも試みたが、とうとうジャムにならず諦めた。
 しかし、黄色いかぼすを使うとなんとちゃんとジャムらしく、マーマレードらしくなったではないか。黄色く熟してペクチンが皮の中に形成されたのか。かぼすの中身も大きいので取り出し易い。縦に二つに切り、へたとへそに2カ所包丁を入れスプーンで掻き出す。種子を除き、小袋を細かく切り刻み、細く切った皮と一緒に砂糖で煮れば良い。市販のペクチンも不要である。

 ついでにピールを作って見ようと、かぼすの皮だけを砂糖で煮てざらめをまぶして乾燥する。天日乾燥が良さそうだがホコリがつきそうで難しい。が、ピールらしきものになった。そのままつまむのも良いが、たぶんスイーツの材料には良さそう。
 ピールの場合も中身を捨てずに、布巾で濾せばジュースになる。簡単である。青いかぼすより酸っぱみがかなり消えるが、癖がなく鍋もののタレなどにすこぶるよろしい。

 マーマレードもピールもオレンジなどと異なるのは、やはり苦みである。かぼすらしいと言えばそのとおりながら、口に合わない人もいるだろう。何か苦味を消す自然の添加物はありそうな気がする。プロなら見つけるのは容易だろうと思う。あるいはもっと熟してから収穫すれば良いかも知れない。
 何人かの人にマーマレードを差し上げて食べて頂いたが、苦味に苦い顔をした人もいただろうと思う。

 いずれにせよ、青いかぼすばかりでなく黄色いかぼすの活用方法は、十分ありそうだと実感した。大分県頑張れ!
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廃車 わがカーライフの終わり [車]

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 入社して1年の本店研修期間を終えて、静岡市に転勤した。
 支店で更に1年間研修を受けて配属されたのが、割引債券のセールスだったので、すぐに自動車免許取得命令が下りた。
 強い弱視に加えて運動神経、反射神経、空間認識、流動視力、など運転に必要な能力が乏しいらしく、何度も県営の自動車試験場の実地試験に落ちた。半年かけてやっと昭和40年(1965)8月取得。25歳。その年の秋結婚した。
 しかし、当時の静岡支店では先輩の乗る車しかなく、暫く自転車で飛び込みセールスをした後、はじめに乗ったのが日野のコンテッサ。
 コンテッサはかなりのオンボロで運転中に橋の上で後のタイヤが車軸から外れた。ひとつ間違えば大事故になっただろうが、停車した後おもむろに外れたのが不幸中の幸いだったけれど、冷や汗ものである。今でも思い出す。
 その後が当時初の量産大衆車で人気車種のトヨタのパブリカだったが、乗った期間はごく短く新潟市への2回目の地方転勤になる。
 28歳。一人息子と3人の暖国から雪国への1月の異動、移住である。

 後で振り返ると、この時の自転車と自動車によるセールス経験は、自分にとっていろんな意味で大きな財産になったように思う。

 新潟では内務の仕事に変わり、東京に戻ってからも車に縁がなく運転することもなかった。
 42歳。大分に転勤になって勧められて中古の日産ローレル2000ccを買った。これを東京に戻っても大分ナンバーで乗っていたが、再び福岡に転勤になって1年1ヶ月乗った。49歳、平成元年東京に戻る時に福岡で廃車した。このローレルを通算7年余持っていたことになる。
 以来車を運転することがなかったが、第二の職場に移ってから、どうしても必要になりトヨタのファンカーゴ1500ccを買い求めた。61歳。

 今回、深刻な病いになってもう車には乗らないと決め廃車した。
 79歳。次の免許更新まであと2年ある(2021)が、時節柄自主返納することになるだろう。廃車の方がそれに先行することになった。
 ファンカーゴは通算18年。3万キロちょっとだから、いくらも乗っていない。遠出も軽井沢や伊豆など数回しかせず、都内で走っている分には走行距離は伸びない。
 これが我がカーライフである。ある取引先のカーキチが、自分の余生と後乗りたい車種とを重ねて思うと短いと嘆いているのを聞き、こういう好きものもいるのかと感心したことがあるが、それに比べたら凡そつまらぬマイカーライフではある。

 しかしながら、ぶつけて傷をつけたり、ヒヤリハットもあったが、ブレーキの踏み間違いなどもなく、さしたる大きな事故にも遭遇せず優良免許証のまま終わりそうなのは有り難いことだ。 
前記の如く、もとより運転の才能は乏しいという自覚は持っているとはいえ、事故に対する認識も甘いのに良くもまぁ、乗ってきたという思いもある。
 それを知っていたのは、いつも脇に乗ってくれた家人でこの10年ばかりは夕まずめ、夜間、風雨雪どき、高速道路は極力回避することを求められた。有り難かったことだ。

 カーライフから話は、少し逸れるが、通勤、営業などで運転して貰って車に乗った期間は、大分2年、福岡1年、大阪2年、東京5年で、通算10年に及ぶので運転手さんがいかに優秀か、自分より上手いかをいやでも見ることになった。
 運転技術のみならず、時間に遅れず、早すぎず間に合わせるという確固たる目的意識、想定外のことへの対応、冷静な周囲の車への目配り、同乗者への気配りなど、何時も感心させられた。運転してくれる人は、変わるが共通する何かがある。自分はどれだけ彼らから学べたかと思うと心許ない気がする。

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野分荒れ千葉の弱者のミゼラブル [自然]

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 地震雷火事親父というがこの中にない台風、竜巻による風雨水害がこのところ続いて苛烈である。
 集中豪雨は毎年のことだが、今年は温暖化による異常気象が原因かレベルが違う。こんな事は生まれてはじめてですというのは、災害にあった者からよく聞く言葉だが、今回の河川の氾濫はその範囲の広さが違う。
 15号、19号台風、その後の豪雨は自分の身の近くで起きたので強烈である。昨年の西日本水害では死者二百人を超えた凄まじいものだったが、遠く離れていたというだけで凡夫の悲しさ、衝撃は今回の方が強烈に感じるのだろうか。
 今回は東日本広域にわたる被害が特徴的だが、特に千葉県の風水害被害が際立つ。今回3度とも被害を受けた家も少なくないという。中には福島、宮城県など東日本大震災被災者が、被害を受けたと聞くと言葉を失う。

野分荒れ千葉の弱者のミゼラブル

 弱者は重篤な病人、寝たきり老人、貧困児童etc.例示するのも胸が痛む。
 被害は家屋倒壊、浸水、広範な長期に及ぶ停電、断水、農産物被害etc. 嗚呼。OMG!
 被害から立ち直り従前の生活を取り戻すには、長い時間と苦悩を伴うだろう。安寧の日を取り戻せない人が出る恐れもあり得ると思うとやりきれないが、心からお見舞い申し上げるしか術がないとは何ということか。
 自然災害だけではないと、確信出来るような報道を耳にするのもまた辛いものがある。
タグ:OMG!
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寝て打てばライン乱れる夏の夜 [詩歌]

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この夏、若い人がすなるという「ライン」を老人もしてみんとて始めた。やってみるとラインはメールよりよほど打ちやすい。時刻と既読の文字が出るのも何かと都合が良い。
別々に出かけたときなど、お互い連絡を取るときなど重宝している。2階にいるときお茶が入りました、とかTV相撲の時間ですよ、などと打ってくれるので、はいと返事を打って遊ぶ。
また離れて住む子供達とで災害などの安否連絡用のグループも作った。これは19号台風の時初めて使った。

駄句が浮かんだ。

寝て打てばライン乱れる夏の夜

この句は中七「ライン乱れる」が気に入っているが、仰向けでラインしているのは、必ずしも病人とは限らぬ。
横着な若者が寝ながら恋人に打っている図ともとれる。
若い人は老人と違って、仰向けでも打ち間違えなどしないかも知れないが、誤字でも誤変換でも万一打ち間違えて、そのまま送信してしまうと一大事になりかねない。
あなたが好きを数奇と打ったり、会いたいを逢いたい(大昔ではないから問題にならないか)としたりするリスクがいっぱいある。それでなくとも、ラインに限らずメールやSNSは、相手の顔が見えないので、誤解を招きかねない要素をふんだんに孕んでいるのは、周知のとおりだ。

タグ:ライン
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高浜虚子の句 [詩歌]

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高浜虚子は1874年生まれ、1959年85歳で没した。
正岡子規に兄事、後に俳誌ホトトギスを主宰する。一族は星野立子、稲畑汀子など俳人が多い。
生涯に20万句を超える俳句を詠んだとされるが、現在活字として確認出来る句数は約2万2千句という。
虚子の作品は2009年12月31日に著作権が消滅し、2010年1月1日からパブリックドメイン(公有)に入っているから青空文庫で読むことが出来る。
500句、550句 600句などの虚子句集を青空文庫で読んでみた。

花鳥諷詠と客観写生を主唱した虚子の代表句は、例えばウキペディアでは次の通りである。

遠山に日の当たりたる枯野かな
春風や闘志抱きて丘に立つ
去年今年貫く棒の如きもの
波音の由井ガ濱より初電車
吾も亦紅なりとひそやかに
子規逝くや 十七日の 月明に
流れ行く大根の葉の早さかな

たしかにほぼ花鳥諷詠であり、花鳥は季語と同義語だがいずれの句にもそれが読み込まれている。また全てが客観と言えないような気もするが、写生句である。
季語がない、観念の句はもはや俳句ではないとして、伝統的な17音に徹した虚子の短詩芸術における本当の狙いは、奈辺にあったのか素人には分かるよしもない。
しかし結果から見るとこの二つは、俳句の大衆化に大きく寄与した。俳誌、俳句結社というビジネスモデルにおいて子規から受け継いだ写生、しかも誰が見ても同じの「客観写生」と誰が読んでも同じような感覚を呼び起こす「花鳥(季語)」を句に必ず読み込むべしとしたことは、俳句を詠む素人、趣味人の区別なく大きな支えになったことは疑う余地が無い。
大衆化に貢献した「新聞俳壇」も同じことだろう。
「ホトトギス」の長命、虚子一族の俳句ファミリーツリーの大きさはそれを如実に示す。虚子の客観写生と花鳥諷詠は営業戦略と揶揄する人すらいるくらいである。

ところで虚子の句をあらためて見ると、たしかに季語のない句は極端に少ない。無理やり入れている感じがするほどだ。
一方で客観写生の方は、主観写生もかなりあるように見える。もとより写生に客観と主観に明確な線が引ける訳もないのだが。
花鳥とは自然であり、自然には人間も含まれるとする虚子の俳句は、季語と人の心の動きをぶつけているだけのものが多いように思う。その意味で月並みに限りなく近い句が多いようにも思えるのだが、中にはどこか人の心に残るものもある。
これだけ多く詠めばどんな人にも感慨を引き起こすものが、必ず一つや二つあるだろうと言ったら虚子ファンに叱られるか。句は分かりやすいが、どうももうひとつ親しみが持てないのはどうしてか分からない。どこか俳句界の成功者というイメージが邪魔をするのか。かといって碧梧桐や放哉、山頭火は親しめるというわけではないのだが。

今回自分が拾い出した句は以下のとおりである。

鎌倉を 驚かしたる 余寒あり
代表句にも挙げられる。鎌倉中の人がびっくりしたのであれば「客観」写生か。
蓑虫の 父よと鳴きて 母もなし
枕草子の「ちちよ、ちちよとはかなげに鳴く」を踏まえているのだろう。
白牡丹といふといへども紅ほのか
確かによく見れば花芯の周りはほんのり赤い。とすれば客観写生句。
もとよりも恋は曲ものの懸想文
これは数少ない季語がない句。連句で言えば雑(ぞう)の句。もとよりも、のもが曲者、もとよりは、では月並み。
初空や大悪人虚子の頭上に
44歳の時のもの。大を入れて破調。字余りが効果的。さすが悪人。
一切の行蔵寒にある思ひ
昔この句に強く惹かれたことがあってよく覚えている。行蔵は出処進退のこと。
虚子の漢語好きは特別でなく、この時代の知識人は皆漢語、漢詩好き。俳句に漢語を使いたい気持ちはよく分かるが、読む方は辛いものがある。特に知らぬ漢語が入っているとしらける。
青空文庫は辞書が付いているので便利だ。
春雪の繽紛として舞ふを見よ
春眠や靉靆として白きもの
繽紛、靉靆など今使う人は無かろう。
福引に一国を引当てんかな
なんとなくおかしい。
敵といふもの今は無し秋の月
71歳、太平洋戦争終了の時の句。
出御今紀元二千六百年天高し
昭和15年の式典に出席したようだ。虚子の大戦への対処は、鴎外のそれに似て面従腹背と言えば一番近いが、酷だろうか。面従は、腹背であっても結果的には、服従だから。

この年は自分の生誕の年。翌年太平洋戦争勃発。

新俳句に走った俳人は早世する者が多かったが、伝統俳句に徹した虚子は長生きして膨大な沢山の句を詠んで昭和59年まで生きた。まるで花鳥諷詠と客観写生に守られたように。そして今なお俳句界の巨星として輝いている。



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心臓で肝冷やしけり年の暮れ [健康]

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昨年のことになるが、クリスマスや暮れも近い12月17日のこと。家人が、胸のあたり少し具合が悪いと近くの内科医院に行き、ついでだからと心電図をとってもらったら異常な波形で狭心症や心筋梗塞の疑いがあると言われた、と帰ってきた。大病院の紹介状を書いてもらったのですぐに行くと言う。

さればと車のキーを手にしたあと、携帯を持とうとしたらこれがない。余程慌てていたと見え、家人が病院から帰る直前に携帯で銀行振込をしてから、間違ってハードトークンと一緒にスマホを引き出しに入れてしまっていたのに気づかない。
固定電話から携帯に電話すると、マナーモードながら音がどこかでするのだがその場所が分からぬ。やっと振込をしていたことを思い出すと、続けてトークンをいつもしまう場所だと連想して、やっと見つかった。肝心な時にヘマをする。

こんな時は車の事故を起こしかねないと、言い聞かせながら阿佐ヶ谷まで走る。予想した通り病院の駐車場はいっぱい。
家人を病院の前でおろし、一番近くのタイムズが一つ空いていたのでそこに入れる。

家人は総合外来の待合室で血圧を測ってもらうと170以上あったと言う。普段は高くても140前後だから、急なことで動揺したせいだろう。
緊急対応ながら、たまたま循環器科の先生が診てくれることになったのは、僥倖以外のなにものでもない。
紹介状に同封されていた心電図を一目見た医師は、こんな波形では貴女はここに来れないはず、とおっしゃる。直ぐに心電図をとりなおすと、なぜか異常なしの波形。何かの間違いだとは思うが、念のためにレントゲンと超音波(エコー)を撮りますと言われ、脱力するも少しホッとする。
これらも異常なく狭心症の心配はないが念のため、明日CTスキャンで心臓の大動脈を調べるとのこと。
12月21日にCT検査の結果を聞きに循環器科に行くと、医師は心臓の画像を示しながら主要な3本の大動脈も綺麗で問題ありませんと言われる。
さらにパルスオキシメーターで動脈血酸素飽和度(SpO2)を測定すると、99とアッパーに近い数値なのでこれも問題ないでしょうとのこと。

帰ってからネットで調べると酸素飽和度(SpO2)とは、心臓から全身に運ばれる血液(動脈血)の中を流れている赤血球に含まれるヘモグロビンの何%に酸素が結合しているか、皮膚を通して(経皮的に)調べる値で96未満は要注意とある。

なにやら分からぬ心電図の乱れた波形で、肝を潰した一週間であったが、何はともあれ心配ないでしょうの医師の見立てに胸をなで下ろす。

これで今年の年末もクリスマスが出来、正月を迎えることも出来よう。すべての「おはすもの」への感謝の気持ちがふつふつと湧いて来た。

彼女の心臓のCT画像はCGであろうが、華やかな色彩が施され美しく、かつ、けなげに見えた。

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睡眠口座の話 [雑感]

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片付けをしていたら20年ほど前のJAの古い総合口座通帳とキャッシュカードが出てきた。残高が少しあるので駄目モトで電話をすると、この種の扱いはT支店に集中しているので、そこに電話されたしという。

預金者は銀行に対して債権(預金を返してもらう権利)をもっているが、この権利は5~10年間行使しないと時効が成立し、権利が消滅する。権利の上に眠るものは…というやつ。
しかし、全国銀行協会では自主ルールとして、10年、20年経過した預金であっても払戻しに応じることになっている。つまり、いったん休眠(睡眠)扱いになった預金でも、引き出すことができるのだ。
小生の通帳は、最終引き出し日が平成11年(1999.6.22)だから、20年近く眠っていたのでこのルールが適用される。
この年は37年あまり勤めた第一の職場を離れ、第二の職場に転籍した年だったが、この口座を開設した理由や経緯が思い出せない。たった20年されども20年、耄碌寸前、往時茫々である。

なお、ごく最近(2018年1月)になって、「休眠預金等活用法」が施行され、「2009年1月1日から10年以上取引がない普通預金、定期預金、貯金、定期積立を『休眠預金』とする」と制定された。
つまり2019年1月から、休眠預金となった預金は預金保険機構に移管され、民間公益活動のために有効活用されることが決定している。自分の場合、これにも該当するだろう。
しかし、この場合も、名乗り出れば、口座のある銀行で引き出すことができる。ただ、2007年9月の民営化前に預けた郵便貯金は唯一例外なので要注意である。

JAのT支店はいつも車で近くを走るところなので、行ってみることにした。窓口嬢は、通帳を見て、確認処理などに時間がかかるから電話をするので、後日出直せと言う。
JAなので経済課の店舗に立ち寄る。鎌や地下たびなどとともに食品も店頭に並んでいる。同道してくれた家人は普段はスーパーで栃木や千葉県産こしひかりなどしか買わないがたまには食べようと、南魚沼産こしひかりを買うという。あわせておしるこ用の餡、煎餅などを買い込んで帰る。

2週間ほどしてJAのT支店から電話があり、印鑑、通帳本人確認出来るものを持参して来店せよとの連絡。印鑑はどれだったか覚えがないと言うと、ではこれと思うものがあればそれを、なければ新しいものをと仰る。
2度目も車で行った。今度は20分ほどで解約処理を含め全てが終了する。窓口嬢の感じがすこぶる良いので、口座を復活しようかとも思ったが、銀行口座は整理したいくらいなので思いとどまる。

それにつけても時間の経つのは早い。とくに老人には10年は須臾の間である。10年で休眠口座とはちと早すぎないか。休眠預金は、年間約900億円(例えば2011年3月期は約882億円)に及ぶというから活用したいというのは解るが、民間公益活動って何だろう。
窓口嬢によれば法改正後この種の問い合わせが増えているとか。皆没収されるのではないかとおそれてのことのようだが、これは誤解によるものだ。上手に普通預金を動かす方法なども含め、顧客に良く説明する親切を銀行には求めたい。

本題から逸れる。インターネットバンキングの急速な普及など、世の変化の中でメガバンクや地銀を含め今後の銀行経営は容易ならざる感がある。が、かたやJAは金融、経済、共済の複合経営の強みを持っているし、加えて営農のコンサルも出来る。さればどんな時代になっても、対応していけるのではないか。

暫くぶりでJAを訪れ、窓口嬢の笑顔に接してしみじみそう思った。

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アップルペンシル [絵]

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今年の5月、アップルペンシルが6世代アイパッドでも使えるようになったと知って、アイパッドを買い換えた。本来はメモを取るのに便利なものなのだろうが、自分にはもっぱら絵を描くためである。昔ワコムのタブレットIntuosを買って、使いこなせず投げ出したが、性懲りもないとはこのこと。
いくつかのお絵かきアプリを試して半年ばかりになるが、なかなか難しく上達しない。
水彩の鉛筆下がきを取り込んで、どんな背景の色にしようかと試し塗りをするのには役立つ。アプリ絵も水彩と同じで、いじっているうちに汚くなる傾向がある。
水彩画と違って、紙や絵の具もいらず水も用意する必要がないので老人にはありがたいが、なにせ操作が慣れるまで面倒だ。レイヤーや手順も意外と複雑で、絵の仕上がりとそれに要する時間の長短にもろに影響する。
出来上がった自分のアプリ絵は、我ながら迫力には乏しい気がする。
ネットなどでも良い絵と思うのは少ない。しかしながら、中には素晴らしいものもある。素晴らしいアプリ絵を描く方は、水彩や油彩でも良い絵を描かれる。してみるとアプリ絵もひとつの画材なのかとも思う。
今の自分にはとてもCGなどというには、ほど遠いが水彩の独習には役に立つような気がするし、水彩の道具の出し入れが本当に面倒になったときに、水彩に似た感触を愉しめそうな気がしている。
アップルペンシルは、その意味ではありがたくこころ強い味方ではある。

絵はアプリ絵の練習作、「安曇野の柿」。
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パソコン不具合始末記 [PC]

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使っている本人もへたっているが、このところPCの具合が悪かった。
起動が遅い。時折フリーズする。なんと、pcがおかしいから早急に手当てしないとウイルスにやられるなどという怪しげな広告がするすると画面下から現れ、いちいちバッテンをクリックして閉じなけれならない。
OSのプログラム更新(アップデート)をしようとすると再起動の際にフリーズして前に進まない。
ゴウを煮やしてメーカーのサポートデスクに電話をすると、どうも初期化が必要らしいから修理に出せと勧める。販売店の5年延長保証があと5日で切れるというタイミングだったので、それを奇貨として修理に出した。
診断は初期化が必要、他にもふたの開閉部分に損傷が見られ、先々悪くなる要因になるおそれありという。初期化は保障対象だが後者は自然故障でないから保障対象外。PCは5年が寿命と聞いていたので修理代を考えると新品を買った方が良さそうと即断して蓋の方はやめた。
自分でも初期化は出来るが、せっかくなので専門家にやってもらい、PCが戻ってきたのがおよそ2週間後。
その間アイパッドとアイフォーンで何の不自由もない。PCはアイチューンズと筆まめ、hpビルダーさえ使わなければ無用の長物だと分かる。
いずれはPCは地上から消える日が来るだろう。
さて、戻ってきてから元の状態に復する作業が大変。
リカバリーメディアを作るのは、容易に出来た。が、ウインドウズ8.0で戻ってきたので、8.1にグレードアップするのに半日以上かかった。更新プログラムというのが厄介なのである。10にするのをやめてよかった。Office,セキュリティなどソフトのインストール、LAN設定、外付HDからのデータコピーなど時間と手間がかかる。
結局11月後半いっぱいこの作業にとられた。
五年前、新pcを買う前も初期化をしたので、要領は分かるのだが年をとったせいかあちこちで壁にぶつかる。幸い今回はアイパッドがあるので検索しながら解決出来たことも多く助かった。
ヘルプデスクは1時間待ちはザラだが、ソフト会社のチャットによる相談は、速くてなかなかよろしい。
ただ、もう初期化復元はしたくない。いつも思うのだが、アプリケーションを含めて簡単にまるごと復元が出来たら助かる。しかしPCそのものが不要になったら意味はないが。
歳をとるに従ってpc生活はしんどくなっていく。我々の世代で言えば80歳を超えるとやめる人が多いのが、現実ではないかという気がする。
もとよりPC生活はPCに時間をとられることが多く、その時間は全く無駄というもの。時間の無い年寄りには勿体なさすぎる。
しみじみとした時間を少しでも長く過ごしたい老人には、余計なものだ。
自分もいつまでこんなことをするのか、出来るのかなどと考える。

e-Tax、インターネットショッピング、インターネットバンキングの便利さなどはアイパッドなどの情報端末があれば事足りる。
今回のpc故障でそのことを痛感した。繰り返しだがスマホの少し大きいやつ、WiFi +セルラー機能の付いたアイパッドプロみたいなもの、が老人向きだと思う。自分にはペンシルで絵を描く楽しみもある。
故障したら修理して貰うか、買い換えるだけというのもスマホ並み。
PC(iTunes)なしのバックアップ、復元はどうするのか気にはなるが、iCloud を使えばやりようはあるだろう。

もうひとつ。1990年代半ば、ウインドウズとマックの選択で前者を選択したが水彩を始めた頃(2004)、画質の良いマックに変えようと考えたことがあった。アイパッドがこんなに使い易いのが分かっていれば、転向した方が良かったのだがもう遅いだろう。
今回のウインドウズの初期化では、MacやiPadを気にしながらの作業だったのでこのことを改めて思い出したのである。後悔先に立たずである。

とまれ、今我がPCは蘇生してサクサクと動いている。まずはめでたいというべきだが、いつまで持つか。PCや先、我や先という状態が続く。

絵は水彩とアプリのStudy。アップルペンシルを使っている。水彩はストラスモアF6。
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シャコバサボテン [自然]

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暫くへたっていたが、家人の介護で復活したサボテン。
これはシャコバサボテンかカニバサボテンか?
蝦蛄か蟹か?
葉に突起があること、11月、12月に咲いたことからみてどうやらシャコバサボテンのよう。
別名クリスマスカクタスとか。

昔、大分の佐伯湾で蝦蛄の子を餌に手のひら大の小鯛釣りをしたことを思い出した。シャコの子は全身クリーム色一色だった。が、寿司で食べる成魚?は紫色っぽい。このサボテンの緑色の葉からシャコを連想し難いが、確かに棘は生えている。しかし蟹にも突起はある。はて?

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今年のかぼす [自然]

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昨年のかぼすは、沢山なったが、今年は裏年というのか数が4、50個と少なかった。昨年は300個はなった。そのかわり、今年のはサイズが大きい。沢山なっても摘果すれば大玉になるのだろうか。

全部取り尽くしたと思ったら、黄色く色づくとよく見えるようになり、いくつか残っていた。青いうちは葉の陰にあって見つからず、人の眼というのはあてにならないものと知らされる。

かぼすは大分県の名産だが、大分では熟したものを「黄色いかぼす」と言ってバカにしていた。かぼすも四国のスダチ(酢橘)と同じく、ふぐ刺しなどにかけて、まだ青い未熟の香りを楽しむ。大きくなったものはジューシーだが、夏みかんより酸っぱくてそのままでは食用とならない。

絞って秋刀魚にかけるか、ポン酢などを作るときの酢の代用品にするしかない。

それにしても、我が家のかぼすの木は樹齢が40年以上になると思うと、ただただ、ときの流れを感じるのみだ。


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解体パワーショベル [随想]

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このところ、ご近所は家の解体、新築が立て続けに数カ所あった。子供が独立して巣立ってしまい、老夫婦が住んでいたが、高齢化とともに戸建て管理が大変になったというのが多いようだ。更地にして売却したあとに、数件の新所帯向けの小さな家が建つ。自分たちは、その一角に住む方もおられる。世代の代わりでやむなしといえども、古屋の解体は見ていてものがなしい。壊される途中で二階の押入れなどが見えると、あそこで生活していたのだなと、人のことなれどなにやら妙な気になったりする。

しかし、やがて古い家が、庭木ともども跡形もなく消えると、そこにどんな家があったか思い出せなくなる。

解体に使われるパワーショベルは強力である。昭和に建てられた木造家屋などあっという間に壊される。

パワーショベルが動き出す前に合掌しているように見えた。

秋晴れや 解体ショベル 合掌す
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巨人ヤクルト戦 [健康]

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巨人ヤクルト戦
通っているフィットネスのキャンペーンに応募したら、巨人ヤクルトのペア観戦券が当選したので、家人を誘っていそいそと出かけた。いちおう幼児の頃より巨人大鵬ナントカである。
かつてジャイアンツの黄金時代・V9 (1965〜1973 )のあと、第一次長嶋監督時代(1975-1980)の頃に、何度か後楽園球場に巨人戦を観に行ったことがある。1976-79 年に営業部で仕事をしていたので、取引先との付き合いだが、むろん勤務時間外である。いまから40年前のことになる。
取引先は中堅中小企業に特化した営業。担当地区が日本橋、銀座地区で和菓子や和服卸など老舗が多かった。丁度非専従の中執委員長をやらされたのが1978年だったから、仕事とかけもちで多忙な日々をおくっていたので、その頃のことはよく記憶に残っている。

調べてみると、ダイエーの王監督とのON対決のあった2次長嶋監督時代は1993〜2001年である。この頃は多忙に加え、第二の職場への転職騒ぎでそれどころではなかった。
ともあれ当時のジャイアンツは、ピッカピカで今のジャイアンツには考えられぬ勢いであった。
東京ドームは1988年開業だから、当時は勿論屋外球場でナイターのビールもすこぶる結構だった。

今回東京ドーム球場は初めてだが(シートは一塁側内野席だった)、立派な割にはこの閉塞感は野球になじまないというのが個人的感想。雨が降っても野球ができるというが、雨が降ったら野球はしなくてよい。
BIGEGGは収容能力46千人という。この日も4万人が入場したらしい。
2位ヤクルトのクライマックスは固いにしても、DeNaとリーグ3〜4位を争っているジャイアンツとの対戦にしては驚くべき人気である。もちろんジャイアンツファンが圧倒的で、傘振りは少ない。不思議としか言えない。

それにつけても、最近のジャイアンツの低迷は眼を覆いたくなる。
いまや、ジャイアンツというよりプロ野球への関心そのものが薄れているので、監督は高橋由伸と知っているが、選手で知っているのは、坂本の他に阿部慎之介しかいない。
随分長いことテレビでも野球は見ていない。同じくサッカーも観ないが。

ところで、試合は5-0でジャイアンツが勝ち、ラッキーセブンに坂本のソロホームランも見ることが出来た。目出度い。

同じドーム関連で、1997年開業の大阪ドームに行ったことを思い出した。野球ではなく、1997年ホセ・カレーラス、プラシド・ドミンゴ、ダイアナ・ロスらが出演したガラコンサート(Super Concert in Osaka Dome)だった。
ただ、ここはその後ドーム命名権を売りに出し京セラドームになった。東京ドームはまだそういう話は聞かない。東京ドームシティは経営的にはうまくいっているのだろう。

後楽園球場に巨人戦をさかんに観に行っていた頃、所沢の西武球場にもよく行った。こちらはバックネット裏のレストランがお目当て。
同じく時は流れて西武球場も1999年ドーム化し西武ドームになり、いまメットライフ生命保険が命名権を買い、メットライフドームになっていることを知っている人は少ないのではないか。むろん西武ファンを除いてであるが。

はじめこそ興味ありげに観ていた家人も、飽きてきた様子。一番搾りも覚めて疲れてきたので7回終了後で家路についた。

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丸谷才一「笹まくら」 [本]

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この「笹まくら」は、最近読んだ米原万里の著書「打ちのめされるようなすごい本」で紹介されている。彼女はどんなことに打ちのめされたのだろうか。
題名の「笹まくら」は鎌倉時代の歌人の「これもまたかりそめ臥しのささ枕一夜の夢の契りばかりに」という和歌から来ている。
著者は1925年生まれ、2012年87歳で没。この小説は昭和41年(1966)刊行だから作者が41歳の時のもの。自分の41歳の時のことを思い、こんな小説が書けたかと考えるとたしかに打ちのめさたような気分になる。
「歳の残り」、「たった一人の反乱」、「輝く日の宮」、「裏声でうたへ君が代」などと並ぶ代表作であるが、この作品を一番に押す人が多いという。
物語は、昭和15年晩秋(主人公、浜田庄吉が徴兵され入営を迎える前日)に、出征壮行会の準備をしている実家から「床屋に行く」と行って出かけ、そのまま逃亡生活へと入る場面で終わるという変わった構成に驚かされる。それまで語られた全ての出発点にいきなり立たされた読者は一瞬名状しがたい気分になる仕掛け。
また読者は、戦後のサラリーマンとなった主人公の生活と戦争忌避者として逃亡生活を交互に語られる展開に、抵抗感なく引き込まれる筆力にも驚かされる。
これらの小説手法は村上春樹の作品に多く見られるなと、ふと思う。複数の物語の同時進行、二つの世界の行き来などだ。村上春樹のデビューを丸谷才一が評価したというのも頷ける。そういえば性描写なども共通点があるようにも思う。品格に少し差があるが。
それにしても戦争忌避、逃亡者をテーマにしたことは戦後の日本の歩みを考えると意味は何重にも深い。
漱石の「草枕」もやはり戦争とは無縁ではないという。丸谷才一は後に「徴兵忌避者としての夏目漱石」という評論を書いているが、自分はまだ読んでいない。
図書館でついでに借りたのは「たった一人の反乱 」「七十句 八十八句」どちらも面白い。
なかでも後者(古希に編んだ七十句、米寿記念の八十八句)に収録された岡野弘彦、長谷川櫂との三吟歌仙(連句)は楽しめる。氏(俳号玩亭)の付けは分かりやすくて面白く、久しぶりに堪能した。
もともと自分は著者を連句から読み始めたのである。長い小説より、五七五 七七の方が良いのはあながち歳をとったせいばかりでもなさそうだ。
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「ターナー 風景の詩」を観る [絵]

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西新宿スカートビルの42階にある損保ジャパン日本興亜美術館へ「ターナー 風景の詩」を観に行った。
この美術館は東郷青児記念として知られる。家からはアクセスが良いが、たいていは何かのついでに寄ることが多い。
今回も都庁へ免許更新のために行き帰りに寄ったのだが、この主目的の方がひどいチョンボで用が済まずひどい目にあった。もとより迂闊な方だが今回はひどい。
免許更新は誕生日の1ヶ月前後の間しか出来ないのに、1ヶ月前より10日前に行ってしまったのである。免許更新センターの受付の方は白髪の年寄りめいた人だったが、「旦那さん、10日早いですネ。」気の毒そうににこっとした。バカバカと言う。もちろん受け付けの方にではない。
1ヶ月前後の間(2ヶ月間)というのは承知していながら、全く念頭にのぼらず、ノホホンと出かけた。逆走とか、免許返納といった言葉が一瞬頭をかすめる。前ならいつでもいいのでは、と無意識のうちに行動した感じでもある。事故はこんな思い込み、不注意で起こす。
新宿駅から都庁へ行く歩く歩道が無くなっていた。また都庁のバカでかさは老人の衰えた足にきつい。八つ当たりだ。

展覧会は油彩、水彩画のほかにエッチングなどが多いが、70点あまり。相当な枚数である。1時過ぎまで1時間ほどターナーに酔う。終わるとへろへろになった。
1番良かったのは「ルツェルン湖越しに見えるピラトゥス山」1842年頃 (Watercolour and Scratching-out on paper )21.6×17.9cm。ターナーはルツェルン湖風景を好んで描いた。かつてこの湖に行ったことがあるけれど、周囲の山は目に入らなかったらしく覚えがない。

ほかに、美術館HP情報であるが、展覧された両陛下も見入っておられたという「セント・オールバンズ・ヘッド沖」(1822 水彩)もなるほど素晴らしい。

アランによるターナーの絵と「コールトン・ヒルから見たエディンバラ」
(1819年頃 水彩、鉛筆、グワッシュ、スクレイピングアウト)をあしらったフォトスポットが訪れた人のために用意されていた。インスタ映えの風潮に呼応したのか。気恥ずかしいので自撮りは遠慮した。

相変わらずターナーの水彩は良い。地誌的風景、海景、山岳などに分類して展示されている。みな150年も前のものだという気がしない。スクラッチングアウト(引っ掻く)、やスクレイピングアウト(掻き出す)を具体的にはどうしたのか知る由も無いが、紙の白さを出して光や靄などを表現しているのにあらためて感心する。しかもターナーにはこんな工夫はほんの一部のことに過ぎないのだから、その技巧追求心に驚愕するしかない。

この美術館はゴッホのひまわりなどが常設展示されているが、東郷青児(1897-1978)の作品ももちろんある。資生堂風の油彩はそう好きではないが、今回は鉛筆淡彩によるスケッチ、デッサンが何点か展示されていて目をひいた。画伯70歳代のものが特に良い。
ターナーを観た後のせいか、意外に新鮮な感じがしてへえと思った。

次回の「巨匠たちのクレパス画展」(7月14日〜)も観たいが、もう都庁での脱力感はご免こうむりたいものだ。
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箱根山のつつじ [風流]

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今年は花が早く咲き急いでいる感じがする。桜も近所を散歩したとき見ただけでどこも出かけず終わってしまった。
つつじもじっくり見ずに終わってしまうのは、あまりに情けないと家人が嘆く。あじさいの季節がくるとすぐ夏になって花は終わる。
そのつつじが都立戸山公園(新宿区)の箱根山では満開という東京新聞の記事を見ていた家人が、ゴールデンウィーク前で人が少なくて良いかもしれないと言うので4月末日出かけた。
箱根山は標高44・6メートルあり山手線内最高峰だそう。

記事によれば4月22日、戸山公園で初めての「つつじまつり」が開かれ、都内や千葉、埼玉、群馬などから約四百六十人が登頂、江戸時代に尾張徳川家の下屋敷の庭園に築かれた箱根山の歴史を偲び、山肌で見頃のツツジの花を楽しんだとある。

戸山公園へは家からは阿佐ヶ谷ー大久保経由で40分ほど。近いのにこの公園には(・・記憶の限り)今まで行った覚えがない。
明治6年に陸軍戸山学校が出来、太平洋戦争後にその跡地に公園や都立住宅団地が開かれた。周辺は都心に近いのに閑静な住宅地である。

暑いくらいであるが、湿度が低いのか、風が少しあってもからりとした晴天で、緑陰が気持ちが良い日である。
箱根山は思ったほどの高さではないが、築山としては千駄ヶ谷富士(6メートル)に比べればそうとう高い。函谷関もももならずという難所箱根と言うには羊腸の小径も苔も生えていないが、江戸時代にはバーチャルリアリティとしてそれなりのものだったのであろう。
確かにつつじも咲いていたが、最近植栽されたものらしく本数は少ない。同じように東京新聞を見て来たと言う、高齢のご婦人もちょっと期待はずれという面持ちだった。

昨年は千駄ヶ谷の鳩森神社にある富士山に登ったことを思い出した。遠出はほとんどせず、すっかり新宿周辺を徘徊するだけになってしまったが、行く先もミニュチュアの富士山や箱根では冴えないことと呆れてしまう。

千駄ヶ谷で富士登山
http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2017-04-04

つつじといえば大分九重連山のミヤマキリシマ(正確にはキリシマツツジというのか)の美しかったことが忘れられない。あのときは尋常じゃない光景を眼にしたと思った。
全国にツツジの名所は多い。

蛇足 。どうでも良いことながら「躑躅」は難読でありかつ、難書き漢字の最たるもののひとつ。音読みは「てきちゃく、てきちょく」とか。羊が足を踏み、走って散るさまという。ツツジの語源には諸説あるようだが、羊に関係する説は足へんがつくところから有力説のような気がする。

躑躅生けてその陰に干鱈割く女
岩躑躅 染むる涙や ほととぎ朱 芭蕉

写真は公園にあった栃の木。花が咲いていた。
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ふたたび認知機能検査 [車]

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早いもので免許更新から3年が経ってしまい、今年2月通知が来て認知症機能検査に行ってきた。75歳からは更新が3年ごとになり、認知症機能検査を受けなければならないので、2回目となる。
2回目ともなると慣れたもので、日頃の物忘れのひどさで心配したが、我ながら好成績でパス。
検査は16の絵を見てあとでいくつ思い出せるかというのが柱だが、この検査でも90点は超えたのではないかと思う。

ちなみに採点は、総合点をA1.15+B1.94+C2.97で計算する。Aは検査当日の日時を答えさせる問題の点数、Bが16の絵を思い出させるもの、Cは時計を書かせる問題である。Bで自分が正確にいくつ思い出せたのか不明だが、まあそこそこか。
総合点76点以上が記憶力、判断力に問題なし、49点未満はそれが低下しているので警察から連絡があると医師の診断を受けなければならない。
一緒に受検した隣の方はあまり絵を思い出せなかったようで苦労していた。あとで係の方から呼び出されていたが、どうなったか他人事ながら身につまされて心配である。
自分より2歳下の立派な紳士風だった。人みなそれぞれだが、単純に免許証を返上出来ない事情をもつひともいるのだ。

高齢者になっての免許更新(74歳までは講習のみで認知機能検査はない)は今回が3度目になる。
たぶんこれが最後になるだろうと思いつつ、高齢者運転講習を予約(6月11日)してとりあえず今日のところは無事終了した。

高齢者運転免許更新
http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2011-12-27-3

認知機能検査
http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2015-06-21
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 [絵]

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すずきはよく知られているように出世魚である。家人が買ってきたのは、計らなかったが30cmほど、フッコかセイゴといったところか。
白身魚で味は淡白、フランス料理でもムニエルやカルパッチョなど良く使われる食材。旬は冬かと思っていたが、魚やさんによれば意外にも春だとのこと。
すずきのえら返し(えら洗いとも)と呼ばれるほど引きが強いので釣り人に人気がある。
英名Japanese sea bass 。

絵は透明水彩で。アルシュ 31×41cm。

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マスキングを剥がしたところを写真に取り込んで、色の練習になるかとアプリでも描いて見た。初めて使ったアプリなのであまりうまくいかなかった。青みがかった黒が出ない。

我々は、一尾を刺身、もう一尾はポワレで食べた。すこぶる結構な味であった。
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米原万里を読む⑵終「オリガ・モリソヴナの反語法」など [本]

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「不実な美女か貞淑な醜女か」(1994 新潮社)読売文学賞。
通訳にまつわるあれこれ。通訳者を志ざす者にとっては得難い教科書、参考書であることは間違いなかろう。たぶん翻訳者にとっても。しかし、一読すれば、単なる教科書、入門書でないことはすぐに分かる。読んでいると、むかし仕事では通訳のお世話になったことが多く色々思い出した。中国語や英語で露語ではないが、書かれていることは似たようなものだろう。
一番印象的だったのは、ムーディ社やスタンダード&プア社から格付けを取るときにお願いした通訳者の博識、彼女たちも必死で金融知識を予習していたのだろう。トンチンカンな専門用語など一言も使わなかった。

「ロシアは今日も荒れ模様」(1998 日本経済新聞社)
チャーチルは「ロシアは謎の謎、そして謎の中の謎」と言ったとあるが、確かに不思議な国らしい。この本ではその謎が少しは解けるだけでなく、翻って日本のことも解ってくるのが可笑しい。例えば「日本は資本主義国ではない。理想的な社会主義に一番近い国だ。ロシアはそれに向いていない」とロシア人がのたまう。すぐ皆が一方方向に走る、戦後の銀行の護送船団方式や最近の忖度世相を見ると、そうだなと思わずうなづく。
解説者袴田茂樹は米原ブシは独特のノリで誇張にわかに信じがたいようなところもあるが、一種の照れ隠しだと言う。そのようだ。

「オリガ・モリソヴナの反語法」(2002 集英社文庫 ) Bunkamura ドゥマゴ文学賞。
スターリン時代の暗黒、ソヴィエト崩壊後のロシア、1960年代のプラハを舞台に展開する老舞踏家の行方を追う長編小説。文庫本で493ページに及ぶ大作である。「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」と同じく、著者のプラハにおけるソヴィエト学校の経験がその核になっている。がこちらの方が少しフィクション色が濃い。だれでもロシア語に翻訳したら、彼の国の文学愛好者にどう受け止められるだろうかという興味が湧くだろう。
しかし、遠く離れた日本に住む自分にも、当時の社会主義国家の激動が感じられて面白く読了した。執筆に際し読んだという参考文献の量に驚く。

「旅行者の食卓」(2002 文藝春秋)
健啖家、胃丈夫(偉丈婦?)の著者の食べ物にまつわるエッセイ集。解説東海林さだを。
ウオッカのアルコール度は39、41度でもなく40度だとか、不味い「旅行者の朝食」という缶詰があったらしいとか、面白い話が音楽演奏会仕立てで纏められていて楽しい。

「わたし猫語がわかるのよ」日本ペンクラブ(2004 光文社)
題名を見て全部が米原万里の猫随筆かと勘違いしたが、米原万里は「白ネクタイのノワ」と題する一編を載せているのみ。他の作家やエッセイストたちの猫随筆を集めたものだった。ときどきこういう失敗をする。猫随筆もたくさん読むと、皆同じようになってきてつまらなくなる。
浅田次郎の私は猫であるという書き出しで始まる「百匹の猫」だけが面白かった。ペンクラブ会長だけに(ー関係ないが)とぼけた味わいがある。

「パンツの面目 ふんどしの沽券」(2005 筑摩書房)
ちくまに連載されたものを修正、加筆中に病気になる。少女の時の素朴な疑問、通訳者としての難問(固有の文化の言葉をどう伝えるのかなど)を解き明かそうとした「力作」と言えよう。単にシモネッタなどと思うと間違う。パンツの歴史は古く、騎馬民族などは最近のものらしい。論考は多岐にわたり、しかも微細に及ぶのでこれを読み通すには、ふんどしを締めてかかる必要がある。傍線が引かれていて助かる。

「必笑小咄のテクニック」(2005 集英社)
雑誌に連載した小咄の創り方を加筆修正したもの。著者が類い稀なユーモア感覚を持ち、いかにそれを大事なものと思っているかが分かる。苦しい時こそこれが大事と。この本も刊行直前に著者を病魔が襲う。
翻って我がことを思えば、著者の反対のところにいる感じか。大事だと分かるが笑いのセンスに乏しい。それでも俳句、連句、戯れ歌などに興味はあるのだが。
情けないが自分が本当に苦しいとき、彼女のように「ユーモア」に思いが至るか全く自信はない。
この小咄のテクニックは、お笑い芸人にはもってこいの教科書になるだろうというのが読後感とは情けない。

「偉くない「私」が一番自由」佐藤 優編 (2006文藝春秋)
佐藤優編によるロシア料理仕立ての著作集。佐藤は元外交官、作家、大学教授。外務省情報分析官のとき北方領土返還交渉に関わり代議士鈴木宗男逮捕事件に連座、背任等で逮捕、有罪。著書の「国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて」が話題となる。ついでにこれも読んだ。米原とはロシア繋がりであろう知人の間柄。佐藤の方が10歳若い。
なお、編集はロシア料理のコース仕立てになっている。ロシア料理を知っていれば、個々のエッセイがより味わいも深いものになるのだろうが残念。
米原の文章に「日本の古本屋」で古本をネットで買えると初めて教えられた。便利そうなので早速登録をしてみた。まだ試してはいない。

「打ちのめされるようなすごい本」(2006 文藝春秋)週刊誌などに掲載された書評集。
読書量の膨大なことに驚く。丸谷才一を高く評価している。「笹まくら 」「輝く日の宮」などが「ーようなすごい小説」。その丸谷才一が解説。その解説者も言っているが米原の書評は褒め方が上手い。
書評と無関係だが、文章の中に「猫の脳はヒトの脳と相似形、前頭葉が無いだけ」という記述に会い「前頭葉」をネットで調べてみた。
「前頭葉の持つ実行機能(executive function) と呼ばれる能力は、現在の行動によって生じる未来における結果の認知や、より良い行動の選択、許容され難い社会的応答の無効化と抑圧、物事の類似点や相違点の判断に関する能力と関係している」とある。
どうも猫の表情しぐさは人に近いなと最近強く思うので興味を持ったのだが、こんな実行機能の説明ではさっぱり要領を得ない。

「発明マニア」(2010 文藝春秋)
この本は米原万里が2003年から2006年まで雑誌に掲載したものを、没後収録刊行したもの。文庫本で579ページに達する大作。発明マニアの名に恥じぬ、数多の奇天烈な発明に名を借りた世相、文化評論である。
最後の「国際化時代に最も不向きな対立回避症克服法」は2006.5.21の日付になっているが、米原万里の死去は2006.5.25である。まさに絶筆だが畏れ入るばかりだ。
そもそも日本はアメリカの属領だから外務省はアクセサリーに過ぎないと持論を展開し、アメリカに丁寧なのに反比例して米国以外の国へ発言の不用意なこと、無礼、物騒なことと嘆く。自らのガンのことなど一切書かない。
新井八代なるペンネームで著者が大量の挿絵を描いている。絵は自己流というが、独特の味がある。習わなくとも、もう少し描いたらいっぱしのイラストレーターになっただろう。
米原万里は、もう少し長く生きたら、良い文章と絵をもっと残したに違いない。池田晶子(とその早世)を知った時と同じ気持ちになった。佳人薄命だとしみじみ思う。


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米原万里を読む⑴ 「ガセネッタ&シモネッタ」など [本]


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「多田富雄対談集 懐かしい日々の対話」を読んでいたら、米原万里との対談の中に彼女の著書「ガセネッタ&シモネッタ」(2000 文藝春秋)が出て来て興味を惹かれた。この人の本は読んだ覚えがない。色々なエッセイ集に載っているようだから、正確に言えば、読んだ筈だが記憶にない、ということになろう。(例えば 木炭日和 - '99年版ベスト・エッセイ集、日本エッセイストクラブ・編などに掲載されているようだ)

米原万里は1950年4月生まれ。自分より10歳下になる。残念なことに 2006年5月に56歳の若さで亡くなっている(卵巣がん)。東京外語大卒、ロシア語同時通訳・エッセイスト・ノンフィクション作家・小説家である。 父親が共産党幹部の故米原昶(いたる)、妹が井上ひさし夫人ユリ氏、料理研究家。

早速図書館で「ガセネッタ&シモネッタ」(2000 文藝春秋)、「終生ヒトのオスは飼わず」(2007文藝春秋)、「米原万里ベストエッセイⅠ・Ⅱ 」、「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」(2001 角川書店)を借りてくる。
米原万里の本は、大きく分けて①ロシア語通訳とロシアの話、②猫の話、③チェコのソビエト学校の話、④その他になるがそれぞれに面白い。その他にはがん闘病の話が含まれるがこれは辛い。
「ガセネッタ&シモネッタ」は①通訳の話だが、翻訳の話から言語学、文化比較論などに及び読ませるエッセイ。ロシア語で「こんにちは」は、ズドラーストヴィチェだが発音は「ズロース一丁」に似ているととぼける。
自分が知っている露語はあとスパシーバ(ありがとう)、とダスヴィダーニャ(さようなら)しかないが、こちらも何かと似ているか。
かつて、新潟に住んでいた時、新潟港に寄港碇泊していたロシア材木運搬船に乗せて貰い、お茶(たぶんクワス)と黒パンをご馳走になったことを思い出した。
貨物船には女性の乗組員が多勢いて、2歳の息子をしきりに可愛いがってくれた。
船室の食卓の足は床に固定され、椅子は鎖で床に繋がれていた。日本海は荒れるのだ。

「終生ヒトのオスは飼わず」は②の猫の話だが、この人の猫好きはやや並外れのようだ。
常時5、6匹の猫と暮らし犬も飼っていた。どの随筆だったか覚えがないが、ロシアから仔猫(ロシアンブルー)を二匹買って、空港の動物検疫を済ますまでのハラハラを書いていたが、その猫好きが相当なものだと分かって微笑ましい。
表題のほか「ヒトのオスは飼わないの?」も収録されている。米原万里は生涯独身を通した。
やはり若くして亡くなった哲学的エッセイスト池田晶子(1960年生まれ、2007年逝去、46歳)の犬好きを想い起こした。
 彼女は「犬とは犬の服を着た魂である。そして、人間とは、人間の服を着た魂である。」とまで書いていた。二人にはヒトのオスを飼わなかったことのほか、いくつか共通点がある。美人で頭が良く筆が立つこと、ファザコンらしいこと、など。ただ、相違点もある。
米原万里は脳の言語中枢部が、池田は哲学中枢部(そんなところがあればだが)が発達しているところ。米原はユーモア、シモネタ、ダジャレ好き、食いしん坊。池田は私生活は詳らかではなく、一見「真面目」といったことなど。

「米原万里ベストエッセイⅠ・Ⅱ 」は、池澤夏樹がⅠを、斎藤美奈子がⅡを、解説している。随筆集はあちこちに発表したものを集めるので、あ、これは読んだと気がつくものとそうでないものとある。読む者のその時の興味次第のよう。関心がなければ読んでも内容は100%覚えていない。

「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」は、親しかったチェコのソビエト学校時代のクラスメート3人、リッツァ(ギリシャ人)、アーニャ(ルーマニア人)、ヤースナ(ボスニア)を訪ね探し歩き、消息を確かめた記録。大宅壮一ノンフィクション賞受賞作品。NHKの「世界・わが心の旅 - プラハ 4つの国の同級生 」(NHK衛星第2、1996年2月3日放送)の取材紀行が下敷きになっているらしい。

米原万里は1959年、父の仕事の関係で一家で渡欧した。チェコのプラハで9歳から14歳まで暮らす。この間ソヴィエト大使館付属ソヴィエト学校で学び、帰国して東京外語大露学科を卒業。ソヴィエト崩壊、ロシア新体制移行時にゴルバチョフ、エリツインの通訳者としても活躍した。このあたりのことは、知らぬことが多いし関心がある。
もう少し米原万里の本を読んでみようかと思う。


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喜寿の歌五首 [詩歌]

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2015年、後期高齢者になったとき、狂歌に限りなく近い「戯れ歌 後期高齢15首」を詠んだ。
その中の三首目に
二年後に喜寿祝わんと願いけり幾つになっても極楽とんぼ
というのがある。

そして昨年の夏、「極楽とんぼ」はめでたくも喜寿を迎えた。
体調も良くないこともあるせいか、気持ちのノリが悪いというか、今回はなかなか戯れ句、戯れ歌でもつくろうという気になれない。はなはだ冴えない。
この歳2017年は、身内のほか学生時代世話になった方や会社の先輩などの急逝・訃報に接したことも多分に影響している。
しかし、単に老齢化による感受性の鈍麻と語彙の忘却が進行して歌など浮かぶどころではなくなりつつあるだけのことのようだ。
人に読んで貰えるようなしろものではないが、生活の備忘録として喜寿の歌5首。

喜寿の会 六十年の再会に 面影浮かぶ人 一人いて
九十歳 何がめでたい 喜寿なれど 喜こばずや 蒲柳の我は
「TENQOO・(天空)」に 祝いし喜寿の 目の下の 「東京ビル」に 新人がいた
いまどきは「ハルサイ」を聴く中二病 綾香聴く喜寿 我は何病
喜寿の年 9年ぶりの 内視鏡 画面の大腸 朱き雉の目

一首目 2017年6月、那須烏山市那珂川町の馬頭温泉郷 「東家」で故郷境中学の同窓会に出席した。
二首目 佐藤女史の「90歳で何が目出度い」という気持ちも分からぬわけではないが、当方は身体が丈夫な方ではないので喜寿でも素直に嬉しい。
三首目 7月東京駅の高層ビルにあるレストランに子供達、孫、姉が集まって喜寿を祝ってくれたとき、東京駅全体と周辺が真下に見えた。郵便局の近くに自分が社会人1年生としてスタートした職場のあったビルが眼に飛び込んで来た。一瞬にして当時のことを想起した。
四首目 この歌のことは、既にブログに書いたので省略。
http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2018-01-08
五首目 11月区民検診で便潜血が陽性と出た。大腸の内視鏡検査は、前回は2008年だから9年ぶり。済生会中央病院で3つのポリープを取ってもらい組織検査もして貰った。
医者が問題ないとの検査結果を説明してくれた時のモニター画面。そこに現れた我が大腸の写真は、赤くて雉の目のように見えた。喜寿の目。オキーフの描く花にも似ていた。

喜寿の感慨を詠んだものではないが、他にこの年に作った歌五首。上記喜寿の歌に劣らず 、出来が悪くてわれながら情け無い。

二つ上 病みし兄の 乾く喉 姪の飲ませし 水に微笑む(1月蘇我にて)
一つ上 頭上がらぬ 先輩の 訃報に悲し 「WAKITYAN!」の声(1月柳井さん逝く)
籾蒔いて水やるだけの三ヶ月 ワインバケツに稲の花咲く(5月バケツ稲づくり挑戦)
アイフォーン 冥土のみやげと買い替えて ユーチューブにて裏技磨く(5月鷺宮ドコモ)
教え子の 兄の手紙を 読む前に 母なる人の 訃報とぞ知る(6月長男敏博君が喪主)


冒頭に記したように、後期高齢者になったときは、狂歌に限りなく近い「戯れ歌 後期高齢15首」を詠んだ。喜寿の歌と比べて見たくて再掲。

滑稽を腰折れうたに詠み込みて明晰頭脳ボケのはじまる
真実を吐けばすべてが狂歌(うた)になる白髪頭の蜀山人か
二年後に喜寿祝わんと願いけり幾つになっても極楽とんぼ
鰻食ふ茂吉あやかり喰べているスーパー目玉さんま蒲焼
歩くより車が楽と言い訳し逆走怖いが免許更新
たびぐつと暖パンはきて渋谷まで破廉恥爺に怖いもの無し
光陰は新幹線と思いしが乗ることは無いリニアのごとし
妻や子に悪態をつくかたわらで憎まれ爺は猫に優しき
ヴァーチャルに遊ぶ老人のアイパッド白煙のぼる玉手箱かな
億劫と鬱は紙のうらおもて思い知らさる老懶(ろうらん)の春
億劫はそも人の世の常なれど無洗入浴老痩躯かな
バロックの通奏低音聴いてゐてイヤホンはずし 難聴を知る
朝ドラの祖母を演じる女優こそわが青春のアイドル愛(かな)し
愛しあい罵りあいて偕老の洞穴入りて半世紀過ぐ
めでたくも金婚式と重なりぬ蒲柳の夫婦(めおと)感謝あるのみ

ついでに古希を迎えた時、七福神にかけて思いのたけを七句の戯れ句に込めたのを再掲。
       
        古希なれば鏡のうぬは布袋腹
        古希なれど足るを知らない福・禄・寿
        古希なりて我が夢のゆめ寿老人(じゅろうじん)
        古希迎え弁財天とサファイア婚
        古希ならば無理してつくれ恵比須顔
        古希老に小槌貸してや大黒天
        今ぞ古希毘沙門天のご加護あれ

後期高齢15首
http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2015-02-21

歳をとるにつれ歌や俳句は上手くなるのではないかと思っていたのは、幻想(でなければ錯覚)に過ぎなかったとしみじみと思う。

絵は本文とまったく関係ない。「Vサイン」Watercolor (Arches 28.5×38.0cm)

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猫ドック [猫]


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昨年末、ねこの目やにがなかなか治らず、近所にある行きつけの動物病院に家人と二人がかりで連れて行った。このように黒い目やには心配ありません、ほうっておけば治ります、黄色いのは要注意ですが、との診断。ホッと一安心。
なるほど、しばらくしてそのとおりに消えてしまった。

その時、昨年からお願いしている猫ドック(健康診断)は、当院では年明けにキャンペーンを予定している、と言うので年明けになった。7歳以上は「かつおコース」、若い猫はいわしコースになる。我が家は「かつお」。
人間ドックに魚コース名を付けるなら「さよりコース」(細身で左寄り、左傾タイプ)か「河豚コース(丸型で美味しそうなタイプ)」などか。

猫ドックの当日、院長先生が目、耳、のどなどを診察、体のあちこちを触診し、少しメタボ(5.4kg)だが、総じて異常なしとのご託宣。血液を採取し感染症のワクチンを打ってもらい終了。
院長先生は、息子の中学校のクラスメートなので安心して診て貰っている。血液検査結果は1週間後。聞いて来た家人によれば、全項目ほぼ健康猫の基準範囲内に数値がおさまっているとのこと。項目の多さにも感心するが、ともかく成績優良である。中性脂肪やコレステロールの高い飼い主の方がよほど分が悪い。

我が家の猫は出自がノラだが、交通事故と猫同士の喧嘩が怖いので、ほぼ100パーセント(たまさか、うっかり戸を閉め忘れたとき外出するが30分もすれば戻る)の家猫である。
だから猫病院へ行くときはキャリーに入れるのも大騒ぎだ。おとなしくしてもらうためのまたたびは欠かせない。
診察台で押さえられても逃げようとして暴れる。看護師(?)さんもたいへんだ。

それにしても、世に飢えた人が大勢いるというのに、飼い犬にジャケットなど着せて何たることか、と憤慨していた十年前と最近の自分の変わりように驚くばかりである。同じ人間とはとても思えない。今は犬にも猫にも情があり魂があると信じている。
人は変わるものだと分かっているものの、我ながら自分の変わりようにはついていけぬ。不思議なことである。


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ショパン マズルカ・ポロネーズ [音楽]

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平原綾香がクラシックの入門解説を東京新聞に連載している。それを時折り読む。このほどそれをまとめて「平原綾香と開くクラシックの扉 」(2017 東京新聞)が刊行された。新聞連載で読み落としたものもあるだろうと、図書館で借りて来た。
音楽に疎い自分には、まさしくうってつけの入門書である。
面白い記事がいくつかあったが、そのなかで芥川賞作家平野啓一郎(1975-)のショパン話に惹かれた。早速平野著「葬送」(新潮社2001)と「エッセー集ショパンを嗜む」(音楽之友社2013)を図書館のインターネットで借りる。近作の「マチネの終わりに」(毎日新聞出版2016)は予約順120番という人気で借りられなかった。

「葬送」は、19世紀のパリを舞台にショパン、ドラクロワ、ジョルジュ・サンドらの織り成す人間模様を描いた長編小説。「エッセー集ショパンを嗜む」はその取材紀行を主にした随筆集。
ドラクロワ(1798-1863)には良い水彩画がある。このブログでも取り上げたが、「Jewish Bride ユダヤの花嫁 」(1832 水彩 ルーブル美術館所蔵288 ×237mm)は自分が水彩画を始めたとき、こんな絵を描きたいものだと思った好きな絵の一つだ。

2013.8「ウジェーヌ・ドラクロワの水彩画
http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2013-08-11

なお、ドラクロワには油彩だが、ショパンと愛人ジョルジュサンドの肖像画もある。もともと一枚の絵だったが、2枚に切り離されたという説がある。この小説を読むとそんな説が出てくるのも、あながち突飛なことでもないなと納得する。
小説はショパンとドラクロワが主人公で音楽と絵画論が続く。ジョルジュ・サンドはどちらかといえばサブだがその割に長女との母娘葛藤、確執が延々と続く。そのことがショパンとの距離を拡げたのはわかるが、他にも書くべきことはありそうなものだと思ってしまう。小説の出来は分からないが27歳の若さで死にゆく者の孤独、男女の愛(時代といえ何と不倫の多いことか)、音楽、美術など芸術論をかくもすらすらと書けるものかと驚くばかりである。
ジョルジュ・サンドは、小説にもちらと出てくるが水彩画を描く。それも独自に考案した水彩技法(ダンドリッド)だったと以前別の本で読んだ記憶がある。このへんを絡めて書いてくれたら最高なのだがと、勝手なことを考える。とまれ、小説家であり政治活動家もあった男装の麗人とショパンの関係を主にした方が、個人的には良かったのではないかと思う。
小説後半に出てくるショパンのラストコンサート(1848年2月)の様子は演奏された曲目とともに音楽をよく知らないものにも楽しめる描写だ。
エッセイの方は、作家が傾倒し造詣に深いだけあって、ショパンとその音楽について勉強になる。内容はともかく題名の「嗜む」は、理由は分からないが、個人的には好きになれぬ。「バッハを嗜む」と言う人はいるのだろうか。

これまでピアノ協奏曲1.2番だけアイポッドに入れてたまに聞いていたが、これを機会に、ソナタ(葬送)、ノクターン、バラード、ワルツ、マズルカ、ポロネーズなどをアマゾンミュージックで聴くようになった。
なかでもマズルカとポロネーズが気に入って、CDを借りアイポッドに入れた。マズルカはショパンの故国ポーランドの民謡舞曲の影響が濃厚だという。ポロネーズはフランス語でポーランド風とか。
フランスで活動したショパンは最後まで故国ポーランドに帰れなかった。ショパンの音楽に望郷の思いが強く影響しないわけはない。
音楽の分からぬ自分にはショパンのピアノはみなマズルカ、ポロネーズのように聞こえる。1810年生まれのショパンが生きたのは、ナポレオン戦争と大国ロシアに蹂躙されたポーランドの時代だから、むろん百年後の第2次大戦を知らない(1849年没、39歳) が、周知のようにアウシュビッツはポーランド南部にある。
ポーランド人にとっての近代や現代は、ロシア、ドイツなどの外国人による反ポーランド主義運動と、その屈辱に耐え続けた歴史だが、マズルカやポロネーズには民衆の哀しみが流れているのだとしみじみと思う。


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山峡(やまかい) [詩歌]

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栃木県那須烏山市の横枕(よこまくら)はわが亡母の生地、わが疎開地、3歳から高校まで育った故郷でもある。
今や市になっているが、当時は那須郡境村(後に烏山町)横枕であった。疎開先となったくらいだから、東京までは当時一日がかりだった。僻地といっても良い。昔から山の中の代名詞として「大木須・小木須・横枕(おおぎす・こぎす・よこまくら)」といわれてきた。なかでもわが横枕は茨城県境に近い八溝山系にあり山の中の集落である。

いまグーグルマップで検索すると、東京の我が家から東北本線(新幹線利用)宇都宮で烏山線に乗り換え終点烏山駅まで2時間39分。そこからはバスで30分くらいだろうから、今でもおよそ3時間余かかるのである。東京から新大阪までの新幹線の時間がちょうど2時間半だ。車だと東北道利用で2時間48分とある。

小中高と一緒に通った幼馴染の友人がいる。彼は、香港・イタリア、アメリカなど駐在を含めアパレル商社で長年活躍した。リタイヤしたあと山の中で暮らしたいと、故郷那須烏山市に戻って17年になる。
この友人が親切で、幹事を引き受けることが多いこともあって、自分は小中高のクラス会があると出かけていき、宇都宮から先は全面的に彼の世話になる。

その彼から昨年11月「山峡(やまかい)」と題した一冊の歌集が送られてきた。友人は奥様ともどもテニス好きで、シニアで何度も地区優勝し韓国大会あたりまで出かける。またリタイア後、車によるアメリカ横断旅行を5回もした行動派のつわものだが、歌は詠まない。
歌集は友人の生家の向かいに住む方が自費出版したものという。たぶん君も懐かしく読むのではないかと思って、と親切にも送ってくれたのである。
中学生か高校生だったか定かでないが、山峡(やまかい)という言葉を知ってわが横枕にぴったりの言葉だと思ったことを、直ぐに思い出した。
歌人は山峡の農家を継いで稲作、肥育牛など農業を営む八十路の老爺である。五十四歳から短歌誌に参加して歌を読み始めたという。
自分はもとより短歌を勉強したこともないので、本当の良さは理解出来ないと思うが、良い歌(佳什)が数多く収録された素晴らしい歌集である。
友人が自分を思い出してくれたとおり、懐かしくわが幼少時代の田舎の生活を思い出した歌が沢山ある。


この歌集には歌人の喜寿の時に詠まれた歌もあって、それに刺激された訳ではないが、昨年平成29年6月、古里の近く馬頭町の温泉「東家」で開催された境中学クラス会、喜寿の会に出席した時のことを詠んだ腰折れ一首を作った。

喜寿の会六十年の再会に面差し残る人一人いて

馬頭町は小川町と合併して那珂川町となった。財政が裕福で那須烏山市とは隣接するも、一緒にならなかったと友人が教えてくれた。この辺り出身の高校の時の友達がたくさんいた。
前記の通り短歌も習ったことはない。時折りいたずらで作るが、いつも狂歌のようになる。また説明調になる。我ながら歌になっていないし、詩情もない。三十一文字だけというしろものである。よって自嘲的に腰折れと呼ぶ。
「山峡」の歌人の歌は言うに及ばず、新聞記事で歌会始の歌などをみると、すらすらと歌うように流れ、中身はまさに詩になっている。こうでなければと分かっているが、自分がやるとなかなかうまくいかない。
このうたも「面影残る人数多(あまた)いて」(事実に近い)とした方が良いのか、「面差し残る人一人いて」(ドラマチックだ)とした方が良いのか迷った。果ては会津八一にならって、すべてひらがなにした方が感じが出はしないか、と疑がったりする。

きじゅのかいろくじゅうねんのさいかいに おもざしのこるひとひとりいて

リタイヤしてからでも「山峡(やまかい)」の歌人のようにちゃんと勉強すれば良かったと(遅きに失しているが)反省することしきりである。


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いまどきは「ハルサイ」を聴く中二病 綾香聴く喜寿 我は何病 [音楽]

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中二病なる言葉がある。
ネットで調べると「中二病(ちゅうにびょう)とは、中学2年生頃の思春期に見られる、背伸びしがちな言動」を自虐する語。転じて、思春期にありがちな自己愛に満ちた空想や嗜好などを揶揄したネットスラング。
別名「他人とは違う俺カッコイイ病」。厨ニ病、厨弐病とも。(何故に厨なのかは不明。台所に籠る訳ではなかろうが。)
「病」という表現を含むが、実際に治療の必要とされる医学的な意味での病気、または精神疾患とは無関係である。」とある。
洋楽を聴き始めたり、旨くもないコーヒーを飲み始め、世界への怯えや、その裏返しの、暴力への興味、そしておとなの嘘っぱちを暴く態度をとるようになるという。

中学二年生といえば、14歳。
哲学的エッセイスト池田晶子の「14歳からの哲学 考えるための教科書」を思い出したが、14歳は生老病死、神、などあらゆることを考える年齢だと彼女は強調していた。
我が身にっ振り返ってみると、中二の頃は何も考えていなかったように思う。奥手だったと見える。ただこれだけ年をとると、当時のことをすっかり忘れているだけなのかも知れない。

余り関係無いが、マッカーサーは日本人12歳論を唱えた。同じ敗戦国でもアングロサクソンのドイツ人は45歳。日本人は子供だから、(戦争をしても)仕方がなかったのか、その代わり未来があるーだったのか、その真意はよく分からないが、まだ中二病になる前の小学6年生ということになる。

また大江健三郎を批判してピュアな幼児性、というか男子中学生っぽさだ。永遠の中学生なのだ。というのも想起した。いずれもいまどきのネットスラングという中二病とは関係無い。

さて、この中二病をテーマにしたというCDがある。

 思春期の少年の心理に訴えかけるクラシック音楽を集めたアルバム「ハルサイとか聴いてるヤバい奴はクラスで俺だけ。〜「春の祭典」初演100周年記念アルバム」〜」。
クラシック音楽レーベルのナクソス・ジャパンがリリースしたもの。

ハルサイとは「春の祭典」(はるのさいてん、原題:Le sacre du printemps, :The rite of spring )のこと。ロシアの作曲家イーゴリ・ストラヴィンスキーが作曲したバレエ音楽。1913年に完成し、同年5月に初演された。20世紀の近代音楽の傑作に挙げられる作品であり、複雑なリズムのクラスター(群れ)、ポリフォニー(多声音楽)、不協和音に満ちていて、初演当時怪我人も出る大騒動となったことで知られる。

 CDは、ニーチェの哲学書を元にした「ツァラトゥストラはかく語りき」など、孤独、自意識、宇宙、神、死、前衛、反逆などのイメージを持つクラシック音楽を収録。「現代により近い、もしくは時代が離れていても何らかの今日性を感じさせる作品」をセレクトしているという。ちょっと長いがPR文を引用させてもらうと。

「おまえ、いっつもなに聴いてんの?」

「ん…まあ、ちょっとした(100年前の)洋楽」

”神は死んだ”という言葉で知られるニーチェの哲学書を元にした
「ツァラトゥストラはかく語りき」(リヒャルト・シュトラウス)

トランペットが木管楽器に“存在の永遠”を問いかける
「答えのない問い」(チャールズ・アイヴズ)

改造楽器の一種であるプリペアド・ピアノのために書かれた
「危険な夜」(ジョン・ケージ)

そして、

あまりに過激な音楽とダンスゆえ、初演時に炎上騒ぎを巻き起こした
「春の祭典」(イーゴリ・ストラヴィンスキー)

孤独、自意識、宇宙、神、死、前衛、反逆。
思春期の男子の“中二病心理”をくすぐる曲は
パンクやヒップホップだけじゃなかった

ストラヴィンスキー作曲「春の祭典」(通称ハルサイ)初演100周年記念。
音楽史という名の“青春の黒歴史”に捧げる、恥ずかしくも愛しい音楽の詰まったアルバム。

CDに収録された曲を備忘のために記すと末尾のとおりである。

最近、平原綾香のクラシックをカヴァーしたCDや、村上春樹らしき?「僕と小説とクラシック」(CD)を聴いている自分が知っているのは、このうちいくつも無い。バッハのシャコンヌ、リヒャルトシュトラウス・ツァラトゥストラはかく語りき、ストラヴィンスキー・春の祭典、メシアン・トゥーランガリラ交響曲くらい。それもよく聴いたのはヴァイオリンパルティータ・シャコンヌくらいであとは知っている程度だ。音楽に疎い自分と比較しても余り意味は無いけれど、いまどきの14歳は凄いなと感心するばかりだ。そこで腰折れ一首。

いまどきは「ハルサイ」を聴く中二病 綾香聴く喜寿 我は何病

我は喜寿病か?、な。

①edit. Alfonso X: Cantiga de Santa Maria No.77/119~アルフォンソ10世の編纂によるカンティガ集 第77/119番 アンサンブル・ユニコーン/ミヒャエル・ポッシュ(指揮)
②J.S.Bach: Violin Partita No.2 - Ciaccona~シャコンヌ イリヤ・カーラー(ヴァイオリン)
③R.Strauss: Also sprach Zarathustra~ツァラトゥストラはかく語りき スロヴァキア・フィルハーモニー管弦楽団/ズデニェク・コシュラー(指揮)
④E.Satie: Vexation~厭がらせ クラーラ・ケルメンディ(ピアノ)
⑤C.Ives: The Unanswered Question~答えのない問い ノーザン・シンフォニア/ジェイムス・シンクレア(指揮)/アルチョム・デルウォード(ギター)
⑥I.Stravinsky: Le Sacre du Printemps~春の祭典(1913年版) - 第1部 大地の礼賛 ロンドン交響楽団/ロバート・クラフト(指揮)
⑦I.Stravinsky: Le Sacre du Printemps~春の祭典(1913年版) - 第2部 生贄の儀式 ロンドン交響楽団/ロバート・クラフト(指揮)
⑧C.Orff: Carmina Burana~カルミナ・ブラーナ - 全世界の支配者なる運命の女神(フォルトゥナ) ボーンマス交響合唱団/ボーンマス交響楽団/マリン・オールソップ(指揮)
⑨J.Cage: The Perilous Night~危険な夜 - VI.(プリペアド・ピアノによる) ボリス・ベルマン(ピアノ)
⑩O.Messiaen: La Turangalila-Symphonie~トゥーランガリラ交響曲 - 第3楽章 トマ・ブロシュ(オンド・マルトノ)/ポーランド国立放送交響楽団/アントニ・ヴィト(指揮)
(11)P.Glass: Violin Concerto~ヴァイオリン協奏曲 - 第3楽章 アデレ・アンソニー(ヴァイオリン)/アルスター管弦楽団/湯浅卓雄(指揮)
(12 )L.Vierne: Carillon de Westminster~ウエストミンスターの鐘 アンドリュー・ルーカス(オルガン)

絵は「我が家のふて猫」 アルシュ 28.5×38cm 文と関係無い。
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「晩年様式集 イン・レイト・スタイル 」を読む [本]

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大江健三郎。1935年1月生まれの82歳。1959年東大卒。1960年友人伊丹十三の妹ゆかりと結婚。1963年長男光誕生などといった説明はいまさら不要だろう。
ノーベル文学賞受賞作家と並べるのは流石に気がひけるが、自分は1963年卒。1965年結婚。1967年長男誕生。ー同世代の作家だということを言いたかった。
若い頃はよく読んだが、仕事が忙しくなってからはあまり読まなくなっていたのは、サラリーマンの話題とするには適当ではなかったからだろうか。

「晩年様式集 イン・レイト・スタイル」の表題は友人サイードの言「晩年の仕事レイト・ワーク」からというが、相変わらずうまい。「芽むしり仔撃ち」、「遅れてきた青年」、「洪水はわが魂に及び」 、「万延元年のフットボール」など初期作品名がすぐ浮かぶ。
2013年に刊行(講談社)されたこの本を書いたのは、刊行の一年くらい前だろうからたぶん77歳の頃と思われる。今の自分と同じだ。大作家が同じ年の頃にどんなことを考え、書いたか、どんな健康状態か興味が湧くのは自然のことである。まして書かれているのは2011年「3.11」の直後にあたる。
ただ、この本の主題は、作家の小説手法など別のところにありそうだ。残念ながら自分はよく理解できなかった。それほど最近の(晩年の)著作を読んでいないし、良き読者でも無いのだから無理もないと思う。

自分が日々感じている老いや心の変化などでは、作家の言葉に共感するところが多い。
作家は自宅の階段踊り場であの大震災から百日ほど経ったある夜半ふいに涕泣する。
「この放射性物質に汚染された地面を(少なくとも私らが生きている間は…実際にはそういうノンビリした話じゃなく、それよりはるかに長い期間)人はもとに戻すことができない。」と。

あの地震、津波、原発事故の時、自分は何も考えることも出来ず、呆けたように日を過ごした。作家は77歳で当方は作家の5歳下だから、72歳だったということになる。なにげに比べることになる。この時の打撃は作家ほどでないにしても、すべての日本中の人が強烈な衝撃を受けた。これまでの秩序や規範がガラガラと崩れていく、未来への不安が頭を覆う…。

さて、ネットの解説によれば、作家の1999年以降の創作活動は、「宙返り(1999)」、「取り替え子チェンジリング(2000)」、「さようなら私の本よ!(2005)」、「水死(2009)」などで作家自身が「後期の仕事(レイト・ワーク)」と表現しているという。

「後期の仕事」は、ほとんどが作家自身を重ねあわせた小説家・長江古義人をめぐる虚実入り乱れた物語ばかりであるという。
「作家自身をめぐる物語に虚構の騒動を交えて自身の思考を語りなおす、という手法が踏襲されている。(この形式には大江自身も自覚的であり、「水死」の作中にも「老作家のあいも変わらぬ自己模倣」などといった韜晦のような表現がある)。また、全編にわたって先行する文学・芸術などからの放縦な引用に加えて、過去の自作の引用・再話・換骨奪胎・再構築が行われている。」とある。

自分はこれらの著作をほとんどを読んでいないので、言うべき言葉はない。リタイア後読んだ「静かな生活(1990)」と「恢復する家族(1995)」 「ゆるやかな絆(1996)」ーこの2冊はいずれも妻大江ゆかりとの共著ーなどは「後期の仕事」以前のものだ。
よって「後期の仕事をテーマ」にしたこの「晩年様式集」についても語る資格もない。
読みながら、身体的な老いと戦いつつ九条を守る会、原発反対集会などに参加する姿に首を垂れるのみだ。

作家は、「晩年様式集」のなかで、これまで毎年ひとつずつ年齢を重ねている、としか自覚していなかったーが、「僕の年齢認識の変化は、こうなんだ。僕は間近に迫っている八十歳を基準にする。定点とする。ともかく自分の定点から逆算して、あと三年、二年と生きている今をとらえるということです。」と変わってきたという。
自分はかなり前からそうだが、定点は父の死の79歳だ。今やあと二年弱という年になっている。

また、作家は「四年ほど前の、視界が片隅からザーッと崩れる症状(それ以来、二度、三度と再来するので大眩暈と呼んで来た)に襲われた。」と言い、MRI,CT検査の結果、アルコール離脱症状だったと告白している。アルコール依存は原発事故禍、反対運動の疲労、自分の老い、知的障がい者の長男の行く末など悩み事からの酒への逃避の結果だという。
自分は幸にもいままでに大眩暈のような経験がないが、いつかどこかで何らかのカタストロフィが来ると懸念している。この恐怖感は大作家であろうが、凡夫の自分であろうが変わりは無いだろう。
作家は原発などのカタストロフィを語るとき、自らのカタストロフィも重ねているだろうことは何となく感じさせられる。

巻末の詩の最後はそれを感じつつ読んだ。

「ー私のなかで
母親の言葉が、
はじめて 謎でなくなる。
小さなものらに、老人は答えたい。
私は生き直すことはできない、しかし
私らは生き直すことができる。」

暮から正月にかけて、「後期の仕事」を少しずつ読んでみようかという気になっている。
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老眼・老耳・老歯 [健康]

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家人はめがねがずり落ちてきて気になると言う。
ずり落ちるのは随分前からのことで、鼻眼鏡になっていたのだが、あまりこれまで気にならなかったのに、と嘆いて眼鏡店に行くと決めたらしい。例によって散歩代わりにとついて行くことにした。
そういえば、だいぶ前に駄句を作ったことを思い出した。

秋の夜半 アガサ読む妻 鼻眼鏡
妻籠俳句(めろうはいく)である。

眼鏡屋さんは、奥さんこれすぐ直りますよ、と鼻にあたる部品を取り替えてくれた。一件落着。ついでに自分のも替えてもらう。二人で1200円。

店頭に並ぶ補聴器を見ていたら、鴨ネギと見られたらしく、ご興味があれば検査しますよと言ってプリントしてくれた結果は次の通りであった。
平均聴力レベル 右 53dHBL 左58dHBL
語音弁別能 右85% 左80%
健聴は20デシベル以下であり、しっかり「中等度難聴」という。
たしかにずっと電話や会話が聞き取れず困ることが多い。テレビドラマもほとんど会話が理解不能で、ついに「字幕」に切り替えた。フィットネスのインストラクターの声もマイクを使っていないとほとんど聞こえない。人間ドックでは聴覚はいつも成績不良である。

家人は自分より軽度だが、耳鼻科で診察してもらい、左耳にすっぽり入る小さな補聴器を購入して使い始めた。一方で表参道の眼鏡店に行き、赤と白のフチのフランス製眼鏡を買って来た。お洒落してどこかに出かけたいなどと言っている。

自分は都合の悪いことは聞かなくとも良い、と頑なに補聴器は使わないと嘯いているが、いつまでやせ我慢していられるか心許ない。
強度の近視で小学4年生十歳の時から眼鏡は体の一部になっているが、近眼のせいか「老眼(ろうがん)」というのは実感したことがない。だから遠近両用というのはかけたことがない。
老眼ならぬ「老耳(ろうじ)」という言葉は聞いたことがないが、最近は難聴が認知症の原因にもなっているのだと指摘されて話題になっているという。たしかに人と話すのが億劫で「引き籠り→認知症」の遠因には違いない。
眼鏡も補聴器も「身体障害者」から免れる大事な道具だが、いずれも高価で保険の適用外なのが難点である。眼鏡店の店主によれば、補聴器は片耳20万前後のものでないと煩わしくて辛いし、両耳とも使用するのがお薦めという。アイパッドが4台買える。

ついでながら、歯の方は幼少時砂糖の無い時代に育っただからと、虫歯がないと自慢していたのに、手入れも悪いこともあって早々に悪くなった。親知らず以外の歯を2本抜いてブリッジがひとつ入っているが歯医者通いはかかせず情けない。

ふと、自分より年上の画友(女性)が、雑談していたとき「私たちは眼、耳、歯などを順次神様にお返ししていくのよ」、と言っていたことを思い出す。
まさしく眼鏡も補聴器も入れ歯もそれまでの、はかないアンチエイジングだが。さはさりながら。
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極楽湯につかる [雑感]

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今年の11月は、後半に何日か小春日和があった。年寄りにはたいへんありがたいことである。
北米ではインディアンサンマー、ヨーロッパでは貴婦人の夏と呼ばれる似た気候があるというが、なぜかあちらでは夏。我が国は旧暦10月の異称が小春なので春となる。
このところ、すっかり引き籠りっきりになっているが、切符を頂いたので和光市にある「極楽湯」に行くことにした。
家人によれば、近くに銀杏並木通りのきれいな光ヶ丘公園もあるとのことなので、帰りに寄って見ようということになる。
「極楽湯」は全国各地にあるが(直営23店舗)、我が家から一番近いのが和光市にある。環八に出て北へ走ると自宅から17分とアイフォーンのマップにある。
これをカーナビ代わりに走ると、練馬区「清水山の憩いの森」のある土支田の近くとすぐ分かった。和光市は練馬のすぐ北隣りなのである。「清水山憩いの森」はカタクリの自生地で有名なので、それをバスを乗り継いで見に行ったのである。2015年4月のことだった。

さて、われらが極楽湯に行ったその日は祝日で風呂は混んでいた。駐車場もほぼ満車状態。
休憩室も人でいっぱい。家族揃って食事もできて、ノンビリ過ごせるこのての施設は人気があると見える。
温泉も茶色い湯でそれらしいが、何せ人が多く子どももいて老人には落ち着かない。
温泉に入って思わず出る「あぁ、ゴクラク、ゴクラク! 」、「♪い~湯だナ アハハッ」とまではいかなかったのは残念ながら、温泉なのだから気分が悪いはずはない。
料金は家人に聞くと1000円くらいらしい。

早々に風呂を出てすぐ近くの光ヶ丘公園に行く。
駐車場に車を停め、お腹が空いたので売店でたこ焼きを食べる。タコは一つずつしっかり入っていたものの冷めていた。アツアツでないのは致命的。
大阪でよく食べたので、タコ踊りの幟りなどを見ると時々食べたくなるのだ。たこ焼きは大阪発祥とされるが、優れてアジア的な食べ物だといつも思う。汁につけて食べる兵庫の明石焼きの方がルーツとする人もいる。
銀杏の並木通りは何処ですかと売店の人に尋ねると、すぐ隣がそうですがあいにくもうほとんど散ってしまいましたと言う。
今年は黄葉も遅いのではないかと思っていたのに、この辺りは暖かいのだろうかと訝る。
それでも園内にはまだ散っていない銀杏もあって、午後の日を浴びて黄色に輝いていた。
雨上がりの陽に輝く銀杏の葉の黄色ほど、素晴らしい黄色は他にそうはない。

小春日和の風呂上がりに、いっとき秋色を楽しんだ午後であった。
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村上春樹を読む(その13)・「村上さんのところ」などとCD「僕と小説とクラシック」 [本]

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「パン屋再襲撃」( 1986 文藝春秋)
表題は1985年作(下記の絵本「パン屋を襲う」で触れたい)。あと「象の消滅」、「ファミリー・アフェア」、「双子と沈んだ大陸」の短編。ほかに2篇、計6篇が収められている。
いずれも面白く読める。「ファミリー・アフェア」は「家庭の事情」とでも訳すのか。60~70年代に活躍したアメリカのファンクバンド、スライ&ザ・ファミリー・ストーンの曲名「Family Affair」と同じだと指摘する人も。
主人公の妹の婚約者の名前が渡辺昇、安西水丸の本名だ。「ノルウェイの森」ほか、あちこちに出てくるのが可笑しい。この短編集「パン屋再襲撃」では主人公僕の共同経営者、「象の消滅」では象の飼育係、「双子と沈んだ太陽」ではやはり共同経営者として、渡辺昇が俳優のごとく出てくる。皆別人ながら短編集に通した横串と見るのはうがち過ぎか。
ほか2篇のうちの「ねじまき鳥と火曜日の女たち」(1986)は、後の長編の冒頭の書き出しでほぼそのまま使われた。失踪猫の名はノボル・ワタナベで「クロニクル」のわたやのぼるにほぼ同じ。
「ねじまき鳥クロニクル」の刊行は、1994年だから、この短編が書かれてから9年が過ぎていることになる。

「パン屋を襲う 」(2013 新潮社)
「パン屋を襲う」「 再びパン屋を襲う」の2編の短編を収録。それぞれ「パン屋襲撃(1981)」、「パン屋再襲撃(1985)」を改題、絵本に仕立てたもの。
絵はカット・メンシック(独イラストレーター)なる女性が描いている。絵は好みだから評価は人によるだろう。自分は嫌いではない。
「パン屋を襲う」は若い男の二人連れがパン屋に押し入ってパンを強奪しようするが、パン屋の主人からワグナーを一緒に聞けば、パンをやると持ちかけられ、襲撃が頓挫する話。
「再びパン屋を襲う(旧題パン屋再襲撃)」は、結婚したばかりの若い男女が、猛烈な空腹に耐えかねてパン屋を襲う話である。かつてパン屋を襲った経験のある男の方が妻と再びパン屋(実際にはハンバーガーのマグドナルド)を襲う。物語はいわば独立しており、読者は二つの物語の関連性はそれぞれ考えろ、とつき放されることになる。いつものことだが、なぜワグナーなのか(「パン屋を襲う」の方)も含めて不分明、謎めかせて読者を惹きつける魂胆と見た。

「波の絵、波の話」(1984 写真 稲越功一 文村上春樹 文藝春秋)Pictures of Wave,Tales of Wave英題名。
波の絵は絵画かと誤解しかねないが、Photograph の方。マンハッタン、パリ、ロングアイランド、ハワイなどの波の写真と歌詞、短編レイモンド・カーヴァー村上春樹訳など。
手元に置いて、ウイスキーでもやりながら時折眺めるには大判で重過ぎると思う。

「The scrap 懐かしの一九八〇年代」(1987 文藝春秋)
スポーツ・グラフィック・ナンバー誌に掲載(1982~1986)された。
「オリンピックにあまり関係ないオリンピック日記」がとぼけていて読ませる。

「地球のはぐれ方 東京するめクラブ」(2008 文春文庫)
海外はハワイ、サハリンのみ。日本のはぐれ方である。名古屋、熱海、江ノ島、清里などであまりはぐれたくない。

「そうだ、村上さんに聞いてみよう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける282の大疑問」  (2000 朝日新聞社)
村上朝日堂のHPの掲示板での作家と読者とのやりとりを収録したもの。村上春樹の答えは丁寧で辛抱強い。大方は共感する、あるいはそういう考えもあろうと思うものが多い。
個人的に言えば、一人が好きで一人でいたいので走ったり、音楽を聞いたり小説を書くことに没頭するのだ、というあたりは、やや誇張もあろうが、同感するところもある。

ただ一つだけ違和感を覚えたのは、なぜ選挙に行かないかという28歳の主婦からの問いへの回答。政治性において極端に個人的であるとして、選挙に行かないのは、人それぞれだから、とやかくいう筋合いではないのかも知れない。しかし、自分は決して非政治的な人間ではないというからには、質問者にはどうすべきかを言うべきではないかと思う。そうでないと、村上春樹でさえ行かないのだから、と若い人たちが安易に思ってしまうような気がする。著名人の発言力は本人が思う以上に強いのだ。もっと言えば、行くべきだと言って欲しい気さえするのだが、余計なことだと叱られそう。

「村上さんのところ」  (2015新潮社)
上記「村上さんに聞いてみよう」から15年後になされた読者との対話。
17週119日間にわたり37万7465通(うち外国語14カ国2530通 )の質問があり3716通に答えたという。うち473通のやりとりを収録。驚くべきタフネス。
二つ気になった応答がある。
村上春樹の小説は主人公に主体性がなく草食男子が多い、と言うの住職(ドイツ人僧侶)に対する答え。
一面的な見方だ。世界の変化を認識し自分の世界観を調整しようとしている のであって、新しいモデルを物語からこしらえたいと書いている。受動的ではないと、作家はやや気色ばんで答えている感じ。
もう一つは、50代主婦の「1Q84」における薬物・sexシーンは必要だったのかという問い。たしか主人公が父を見舞いに行って世話になった看護婦とのエピソードだったと、自分も覚えている。
大麻は、日本では禁止されているがアメリカの幾つかの州では合法。フィクションの中での話 だ。物語の中では殺人でも解せないということになる。ナーヴァスな自主規制の方が怖いのではないか。
必要かという問いへの答えとしては行違いがあるような。

なお、蛇足ながら質問者の最高齢84歳とか。作家より高齢な読者は少なそうだし、ましてメールをうって作家にコードネームを欲しがるような人は少なかったとみえる。

「みみずくは黄昏に飛び立つ 川上未映子インタビュー村上春樹」(2017 新潮社)
「職業としての小説家」「 騎士団長殺し」をめぐるインタビュー 。自分は主題の2冊とも読んでいないので特に感想も書けない。

さて、ここ5ヶ月ほどに村上春樹の著書をほぼ一読(最近作「騎士団長殺し」を除き)したが、読む前に持っていたイメージとそんなに大きく違っていたかというと、そんな感じはあまりしない。
多くのファンが村上春樹に魅かれるのは、第一に読みやすい文体にあり、第二に不分明なテーマと展開、第三に著者の読者への親切心などであろう。
第一の文体は分かりやすくリズミカル。もちろん推敲され磨き上げられたものだからでもある。二番目の「不分明な」というのは我ながら適切ではないと思うのだが、いまのところ良いことばが見つからない。謎めくオープンエンド、敢えて余白の多い絵のように読み手にも想像させる。三つ目の読者に対する親切心については、日常生活の描写にしても、無意識下の異界の物語にしても随所にそれが溢れているから多くの説明は不要だろう。
「村上春樹の読み方」や解説本が沢山あるのは初めて知ったが、これも上記の3点と関係がありそうだ。
自分はといえば、総じて違和感より共感が上回ってきたとまでは言い切れないが、これだけの量の本を通読することになったのは意外であった。もっとも、美味しい卵を産む鶏を知りたいという好奇心で読んだ本も多かったが。

蛇足ながら、この5ヶ月ほど著書に出てくる音楽を聴きたくなりアマゾンミュージックで探し、アイポッドやアイフォーンで聴いている。音楽と小説の関係は、今なお不分明で情けないが。
もとより音楽の鑑賞能力は極端に低い。ただ、常日頃少しでも音楽に親しめればと思っているので、良いとっかかりになったことは最大の収穫かも知れない。
同じようなファンもいるらしくニーズに対応して「僕と小説とクラシック」というCD(巡礼の年篇、泥棒かささぎ篇、シンフォニエッタ篇の3アルバム)があってアイフォーンで時折り聴いている。リストの「巡礼の年」、ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」、プッチーニ「泥棒かささぎ」などが収録されている。いまどきはなんでも用意されていると感心するが、「僕」とは誰かなどと詮索すると面倒な気もしないでは無い。不分明なままの方がよさそうだ。
そのうち、僕と小説とビール、ワイン、料理レシピでも現れるのだろうか。

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