働くということ [随想]
「働く」とは、「はた」が楽になることと教えてもらったことがある。
なるほどサラリーマンとしてしか働いたことがないが、
ひとつのしごとを二人でやるとき、一人が余計働くと他の一人はその分だけ楽になることで実感した。
しかし、はたが楽になるというのはそういう意味ではないだろう。
自分は拘束されるが、他の人のため社会のために役立つということを言っているのだ。
人は社会的な動物で一人では生きられない。みんなが働くことで「もって」(維持されて)いるのだ。
拘束されて自分の時間が失われると考えると辛いが、はたが楽になっていると考えると自分も楽になる。
そのうちに働くこと自体が辛くなくなる。それがオトナというものだろう。
あくせく働くほうが、少なくなった残りの自分の時間が充実するという側面もある。
しみじみ度も深まるというものだ。それを知るのがオトナというものだろう。
働かなくなってから働くことの意味を言ってみても後の祭りというか、
詮無いことだが、働かないフリーターの多いことを見るとつい言いたくなった。
それにしても近年の労働条件の酷さは、いったい何だろう。もともと労働契約は、「附従契約」であり
雇う方が圧倒的に優位なので雇われる方がある程度保護されないと一方的にひどい契約に
なる。それを避けようとしてきた長い歴史がある。いまのは歴史に逆行している。
働けてしかも妥当な報酬が受けられ、世の中のためになるというのが上等な社会というものである。
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