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遠近無差別黒白平等の水彩画 [絵]

  何かの随筆で漱石が小説のなかで登場人物に、こう言わせていると読んだことがあって、「へぇ、漱石も水彩をやったことがあるのか」と気になっていた。

最近、「猫」を再読していてやっとこの文章に出会った。吾輩の主人たる苦沙彌先生の水彩画を、先生の友人の迷亭氏が先生の文章と画を比較して評した言であった。つまり先生の文章の方が先生の水彩画より余程良いと、言っているのだ。手すさびであろうが、実際水彩画をはじめた漱石は上手くならず投げ出してしまったようである。
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その漱石に子規の画という短編がある。
「余は、子規の描いた画をたった一枚持っている。」ではじまる。
この画というのは子規が東菊を描き、漱石への手紙に添えて送ったものであるが、 「是は萎み掛けた所と思い玉へ。下手(まずい)のは病気の所為だと思い玉へ。嘘だと思わば肱(ひじ)を突いて描いて見玉へ。」とあり、
東菊活けて置きけり火の国に住みける君の帰り来るがね
という歌も添えていることなどが書かれている。
すでにイギリスに発っていた漱石と,病が深刻になっていた子規との二人の友情とその思いを知らされる一遍である。

俳句に写生を重んじた子規は、草花帖、果物帖など水彩画を好んで描き、力量は漱石より余程うえだったようだ。
その子規にも「画」という随筆がある。彼はその末尾で「僕に画がかけるなら俳句なんかやめてしまう。」とまで書いている。

画に興味を持ちながら途中で投げ出してしまったらしい,文豪漱石ににわかに親しみを感じ、俳句の名人が、画が描けたらそれをやめても良い、とまで言ったところに感心した。
 水彩画の持つ魅力にしみじみと感じ入っている。

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