経済はしみじみ生活の基礎 [雑感]
昔々、高校生の時、「経済とは、ものを生産し、流通させ、消費する一連の働きおよびその機関をいう」と訳もわからず暗記した。15,6歳の頃。あの頃は何でも暗記することが出来たのである。まったく訳が分からなくともだ。不思議な年令だった。
今考えれば、「一連の働き」とは機能のことであろう。「機関」とは経済主体すなわち国内外の個人、法人、企業、政府、公共団体などを指す。機関といっているのはシステムのことも含んでいるのであろう。
「もの」は財だけでなくサービスのようなものも含まれるから、まあ表現は別として、そのままでも中学生くらいには通用する定義である。
しかし、この定義は産業つまり農林水産業、製造業、サービス業などの定義にもなる。
では、経済と産業はどう違うのか。経済は動的で産業は靜的な感じだが、差異はそれではないだろう。経済は上記の如く経済主体とシステムが重要で、国や公共団体も主体に含まれる。差異については、経済産業省か産経新聞にでも聞いて勉強しなおさねばならない。
話題は飛ぶが、チャップリンにライムライトという映画がある。
そのなかで、道化師が自殺しかけた若い娘に言う。「人生は辛いが生きる値打ちはある。だがそれには三つのことが必要だ。勇気と希望とサムマネー(いささかの金)だ。」
このサムマネーは、経済・金融のことである。金融は経済、産業を動かす時、血液のような役割をはたすものだが、マネーは個人経済活動の生活においても同じことだ。
しみじみ生活をおくるにしても、いくらかの、なにがしのマネーは欠かせぬ。つまり経済はしみじみ生活の基礎の重要なひとつでもあると言ってよい。基礎はほかに、勇気と希望に加え健康と平和など沢山あるが。
さて、その経済はいまやガタガタである。好、不況と循環するのが経済でその原因はイノベーションと人の心理・気であるが、バブル崩壊後は不況ばかりが続いているというのが、実感ではないか。
しみじみ生活などに憧れて暮らしていられない時代なのかも知れぬ。
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