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ゴルフ ごまめの歯ぎしり [健康]

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ゴルフはしみじみ生活の対極にある。

これほど面白いものはほかにそうはないが、これほど意のままにならぬものもない。
釣りを楽しむひとは、釣る前と釣っているときと、帰ってからと一回の釣りで3度楽しむというが、わがゴルフは、3回苦しむ。プレイの前のおののき、やっている最中の悪夢のような悪あがき、終わった後の悔しさと虚しさである。
 ゴルフ歴は長いわりに回数は少ない方である。むかし、仕事が主であるが、プライベートを含めて一年に50回を2年続けた年がある。平均が100以上だから全部で2万ストローク以上打ったことになる。ちょうど50肩のときで痛みどめを打ちながらのプレイであった。年50回というのは、ほぼ、週1回であり好きな人では珍しくもない回数だが、ダッファー(下手なゴルファーのこと)には苦行であった。
 同僚にも同類がいて二人でクラブを杖代わりにして、はぁ、はぁしながら上り坂のフエァウエイを歩きつつ「どこぞに、ゴルフのない国はないかねえ」とぼやいたことを思い出す。

 これも仕事で女子プロのツアーの前日に行われるプロアマ戦(一人のプロと3人のアマがラウンドする)というお遊びがあるが、それに何回か参加したことがあった。
 ある時、女子プロがスタンスの間違いを、開始早々すかさず指摘してくれた。「あぁ、自分はゴルフには向いていないな」とその時、つくづく思った。打つべき方向は、自分が正しいと思う方向と全く違っていたのである。
 ゴルフの物理学と自分の身体の動きの感覚がどうしても合わないことが多い。例えばクラブはゆっくり振れというが、スイングは早い方がボールは遠くへ飛ぶのではないかと考えるのである。ところが、クラブヘッドのスピードはどうも違うらしいのだ。
 加えて強度の近視である。落ちたボールが見えないので距離がよめない。これは、このあそびでは決定的に不利だ。

 往年のアマゴルフ界のチャンピオン中部銀次郎に「ゴルフは余計なことはしない、考えない、言わない」という名言がある。何やらゴルフ以外にも通じる名言であるが、ラウンドの最初から最後まで余計な動き、余計な妄想、嘆きばかりを言っている。上手くなる訳がない。

 だが下手に一つだけとりえがある。ゴルフ下手は、愚痴って、自嘲すれば次々と川柳だけはできる。
   越えられぬティーグランドのバカの壁
 一番ホールでは、たいていチョロする。練習もしないでコースに出るくせに欲と見栄のかたまりとなり、ガチガチになっているのだ。じぶんの力量をわきまえて肩の力を抜き自然体になればよいものを。

 ゴルフは激しい運動ではないので、老人になっても、定年後も続ける人は多い。何より適度な運動と美味しい空気をたっぷり吸い、極めて健康的な過ごし方である。雨の日は読書などすれば最高である。ゴルフ好きは長生きする。ただし、楽しく続けられるのはある程度上手い人だ。

 体調を崩しゴルフをやめてから2年余がすぎた。ゴルフバッグは物置に眠っている。下手は投げ出す。

 平地の少ない日本で少人数のために広大な土地を使用し、幾万といういきものを抹殺して、生物多様性を、自然を破壊しているゴルフなど、やつあたりと言われてもくたばれと叫びたい。
 これを負け犬の遠吠えまたはごまめの歯ぎしりという。のだなとしみじみ思う。

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