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釣り 海の記憶 [随想]

海の記憶..JPG

小さい頃から釣りが好きだった。

あとでしまったと思ったが、最初の任地静岡では釣りの機会がなかった。昭和46年静岡から新潟へ転勤になったときに、初めて職場の先輩に海釣りに連れて行って貰い、ご多分にもれずビギナーズラックで黒鯛(ちぬ)を釣り、海釣りにはまった。
餌は岩いそめ。場所は日和山海岸。当時後に忌まわしい拉致事件があの近辺で起きていたことを後に知った。知らぬが仏とはこのことだ。
新潟では、ほかに松波町海岸に住んでいたのであいなめきすを投げ釣りで、早出川のはやなど渓流竿でそれぞれ愉しんだ。

東京にもどり、九十九里のいしもち、猿島のつりなどに休日にでかけたがほとんど釣れなかった。東京では釣りはだめとはなからあきらめた。

大分に転勤したのは昭和57年。行くと、社宅の近くの大分港でイワシが釣れると聞いてすぐに釣り行った。突堤に釣り人が並ぶがいわしが群れをなして港に入ってくると外の竿からウエイブのように、港の内の釣り竿がしなって上がる。そのときは、まさに誰もの竿が入れ食い状態になる。大きなイワシがいっぱい釣れて興奮した。イワシは外海から 港の中へ回遊してくるのだ。
 大分では2年間の勤務だった。仕事もしたが合間に釣りを存分に楽しんだ。

 大分港のさびき釣りの小鯵、大分では、ぜんごと呼んだ。餌団子の中に針をしのばせるボラの爆弾釣り。腹は黒いが刺身は絶品であった。投げ釣りである。
 鶴崎突堤の、佐伯の小鯛、米水津のメバルべら、かさご、キュウセン、大分川のサヨリしらはやどんこ、別府湾の赤いか。どこの海だったか忘れたが紋鯛というさかなを釣ったことがある。問題を釣ったとはしゃいだ。
大分のホーバークラフト港では、真冬にこはだ。ここでは、四季釣りが出来るようだ。
 あろうことか、そこでは同僚に教えてもらって投網まで経験した。肩にかけ広げながら投げる。

 このなかで、特に印象に残っているのは、佐伯湾の真珠養殖いかだの近くで釣った手のひら大の小鯛。短い竿、餌はしゃこの子、おもりはパチンコ玉に似た鉛の玉。それを小舟から海に落としてあたりを待つ。ツンツンと来た時に竿を天を突くように上にあげてあわせる。

 その後また、東京にもどり、釣りのチャンスは失せた。仕事も忙しくなって釣りどころでは無くなった。
 平成元年今度は福岡に転勤になる。釣りの好きな同僚がいて、取引先に釣りの好きなSさんがおられ、類は類を呼び釣りキチの仲間が出来た。
 平戸のいさきは、真冬に群れをなして海の底にに集まるという、いさきはいっさきともいい、春の魚だ。話を聞いても信じられなかったが、本当だった。福岡から車で夜平戸につく。そこから船でその漁場まで1時間ぐらいか。文字通り入れ食い。朝に帰り、その日は皆で刺身とスープをいやというほど堪能した。
 福岡では鐘崎などでも釣りにでかけ、かさごやたべられない派手な色の庄屋の後家さんという魚まで釣ったりした。
 きすとともに蒲鉾にする外道魚のえそなども良く釣れた。

 Sさんとは、その後壱岐の島までクロダイを釣りにでかけたことがある。Sさんは大物を釣ったたが、こちらは坊主。石鯛の子の三番叟、など小物と外道魚しか釣れない。実力の差だ。

 さて、このときだったか、別の時だったかいまはっきり覚えていないのだが、釣り船のふなべりが低いので寄りかかって海面をみていたときにイワシと思われる稚魚の群れをみた。
 青い海の大きなうずのなかに無数の銀白色の小魚がおおきな渦を巻いて海面に浮んで来た。海の青と光輝く白い魚が、わっと渦を巻いて盛り上がる様は、この世のものと思えぬ美しさであった。
 この一瞬の海の小魚の渦の美しさは20年たった今でも脳裏にやきついている。海の神秘というが、この記憶はきっといつまでも忘れないだろう。
 船は岸から相当距離が離れていたように覚えている。普通稚魚は岸の近くに群れるものだというのに思いがけないものを深い海に見た。
 海に潜る人は。この何倍もの神秘をみるのだろうが、ちいさな船の上からのこの光景はまた格別のような気がする。海は凄い。

 その後、仕事はますます多忙となり釣りどころではなくなった。しかし、例外的に一度だけチャンスが来た。平成9年、大阪勤務のとき、淡路島の沖で黒めばるを、いかなご、きびなご生き餌で釣ろうというものである。船でゆっくり走りながら釣る。大漁であった。クロメバルは高級魚である。スープの味は申し分なかった。

 以来釣りをやめて10年以上になる。釣りの好きなのは太古の狩猟本能がのこっているのだという説があるが、あんなに釣りをしたかったのは一体なぜだろう。多くの殺生をしたものだ。
 太公望の釣りは、なにやらしみじみとした風情もあるが、顧みるに情けないことに我が釣りはそれどころではなかったように思う。一匹釣れるまでの心はあたかも夜叉か阿修羅のようになる、坊主で帰るみじめさはしみじみなんてものではなかった。釣りというのはおそらく人にもよるが釣行の4割はぼうず。海釣りは川よりまだ少しましだろう。
 釣りをやめて良かった。体力も気力もないから、もう釣りはしないことにしているので道具の一切を処分することにしているが、あの海の記憶、渦のなかの小魚の群れの光彩陸璃を時折り思い出すのだ。

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