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猫のことば・人間のことば [猫]

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たしかに猫はしゃべる。
 ひょんなことから猫がわが家にきてから、はや三年になるがその確信のようなものは日々高まっている。猫の名前はリーリーという。
 あたりまえだが、猫がしゃべっているのに何を言っているのか分からないのは、猫の言っていることを人間が理解出来ないだけのことだ。
 それは、外国人がしゃべっても、かの国のことばを知らない自分が聞いても、ちんぷんかんぷんであるのと同じことに違いない。
 つまり、われわれが猫語を知らないだけだ。猫も人の言葉が分らないのと同じことである。しかし、ある猫の飼い主が、「もう、この猫は要らない」と言った翌日ふっと消えてそれきりいなくなったという話があるから、猫は人の言葉が本当は分っているのだが分らぬふりをしているだけかも知れない。

 あるひとが何かに書いていた。猫は泣き方に16通りの違いがあってそれぞれがことばになっているそうな。

 おなかがすいた。にゃあ。
 近所の猫が来た。会いたい。にゃあーおうw。(猫同士なので明らかに人に対するのと違う。)
 むやみに触らないで。にゃあ。
 布団のなかでママと一緒に寝たい。にゃあ。(やさしく高い甘え声。)
 …………。
 猫好きには、それがいちいちわかるらしい。

 もちろん、眼は口ほどにものを言うから猫の大きくてつぶらとしか言いようのない眼も泣き声と複雑に微妙に絡み合って何かを伝えるべく懸命に表現しているのだろう。
 また、猫の場合さらに重要なのは、その尻尾である。泣きながらくねくねと曲げたり、得意げにピンと立てたり、怒ってその毛をふくらませ太くしたりして何かを伝えようとする動きが多彩である。
 しかし、いかに猫好きでも猫のことばやしぐさを正確に理解し、コミュニケーションがとれることは無い。
 満足感を表す喉のグルグルは、飼っている人間をも満足させ、何万年もの間、人間と猫の良好な関係を保ってきたと言われるが、少しわかり、殆んどわからないという関係、それがいいのかも知れぬ。

 猫のことばはさておいて、閑話休題。人間の言葉、言語についてこの頃、凄いものだなとつくづく考える。
 単に情報伝達機能だけでなく、言葉の持つ力をである。言葉は、音声となり文字となりやがて思惟、思想、文化、芸術、科学技術そして文明を生み出した。ついでながら、正義、宗教あろうことか戦争までも。

 「はじめにことばありき」とか、「言語それが国である。」とか、「言語が人間にとって存在を支える唯一の根拠である。人間は地上に生まれるのではなく、言葉のなかに生まれるというのは、われわれの日常からいっても疑い得ない。」といった先人の言がすんなり胸に落ちる。

 リーリーは、すでに家族の一員となっており、彼女は自らを猫なんぞでなく人間と思っているふしがある。抱き上げて一緒に鏡を見ると、この変な動物は何?といった顔をする。

 ある日、「二人」で留守番をしていたとき、じっとこちらを見ているリーリーをじっと見ていたら、リーリーがこちらを見て一瞬、間をおいてから「にゃあ」と言ってから大きなあくびをした。鳴いたのではなく、間違いなく私に何かをしゃべった。
 私にはそれが「さみしいのか?」と聞こえた。

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