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漢詩のはてな [詩歌]


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 高校時代の国語の時間は現代文のほかに、たしか選択科目として古文、漢文があってこのうち漢文とが一番人気がなかったように覚えている。

 漢文はおくり、返り点などどういうものかなど、教えてもらったのだろうが、さっぱり分からかった。旧仮名遣いに訳し、更に現代文に訳す。それにエネルギーをとられ漢詩などその良さを味合う余裕など無い。さすれば、学期末試験のために現代語訳の虎の巻が生徒間で往き来していたのも自然の成り行き。

 今考えるとあの授業時間はなんと勿体ない時間だったことか。江戸時代までは言うに及ばず、西洋文化がどっと入ってきた明治以降も漢文は日本人の基本的な素養の一つであり続け来たのに、戦後の漢文教育はなんたるていたらく、貧しさだったことか。一斑をもって全豹を推測する怖れ無きにしも非ずで、自分だけの経験でものを言ってどうかと思うが、他も程度の差はあれど似たようなものだったのではないか。

 漢文は古来和文に大きな影響を与えて来た。国文、現代文の理解に漢文の理解は不可欠なのである。
そう考えると、わが漢文力の貧困が大人になってからの国語の文章力の弱さの大きな要因のひとつになっているのではと疑う。

 それでも、漢詩などには惹かれるものがある。中国の詩人も日本の詩人もその詩ごころに変わりは無い。だから漢詩も日本の詩歌に大きな影響を及ぼし続けた。したがって、当然のように皆漢詩を勉強し自らも作ったのである。
 考えてみれば、中国に限らず外国の詩も同じことだが、外来の詩を和訳して科の国の人と詩ごころを共有できることはなんと不思議なものであろう。

 李甫、陶淵明を引き合いに出すまでもなく漢詩の素晴らしさには驚くばかりだ。
 晩唐期の詩人杜牧(803-853)の漢詩七言絶句もそのひとつ。例えば「江南春 」。ー水村山郭酒旗風ーがなんとも好きだ。
  千里鶯啼緑映紅   水村山郭酒旗風   南朝四百八十寺   多少楼台煙雨中

【和訳 】千里鶯啼いて緑紅に映ず
    水村山郭酒旗の風
    南朝四百八十寺
    多少の楼台煙雨の中

【現代語訳】そこらじゅうで鶯が啼き木々の緑が花の紅色と映しあっている。
       水際の村でも山沿いの村でも酒屋ののぼりがたなびいている。

 このたなびく旗はどんなものなのだろうか。氷水の旗ならイメージできるのだが。
 詩は和歌でも近代詩でもそうだが音声が重要である。漢詩はすぐ和訳して日本語で発声する。日本には「詩吟」まである。井伏鱒二のように「ハナニアラシノタトエモアルゾ」といった変わった名訳もある。声を出して読むと何やら楽しい。

 ふと、漢詩は韻が重要と習ったが、はて漢詩は中国語ではどう読むのだろうと思った。
 そう考えると高校時代の漢文の授業でのわけ分からずの理由の一つが、そこにあったのではという気がして来た。中国語とセットで教えるべきだったのではないか。

 「江南春」を踏まえた服部嵐雪の句に「鯊(はぜ)釣るや水村山郭酒旗の風」がある。
 むかし、仕事で蘇州に行ったことがある。江南にのんびりした釣りは合うが、ハゼは似合わないような気もする。名物の上海ガニのほうが「付く」ような気がしないでもない。酒旗もあることだし。

 少し脱線したが、ことほどさように、かの国と日本は一衣帯水と言われ、永く深い文化交流の歴史を経て、言語は似て非であっても詩心は和訳によって、確実に伝わることは疑いない。しかし、音声が同時に理解出来たら、シャンソン、ジャズを聴くように詩心をより深く理解して共有出来るのではないだろうか。

 それとも、詩ではないが、インドの言葉を漢訳したというお経のように、我が国に伝わり坊さんが唱えても一般の人にはさっぱりわけが分からなくなってしまったようになるのだろうか。

 わが漢文、「漢詩のはてな」を解明するのは、高卒以来の長い不勉強もさることながら、自らの能力をはるかに超えており、果てしなく先も見えない。



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