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木田金次郎の絵と有島武郎 [絵]

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水彩教室の先輩が、テレビで木田金次郎と岩内にある美術館のことを放映している番組を見たが、良い絵だったのでもう一度あの絵を見たい。インターネットで見られないものかとおっしゃる。
はずかしながら木田金次郎なる画家を知らなかったので検索して見ましょうと言うことになった。

 ネットで調べると、木田金次郎は「北海道洋画壇を代表する作家の一人。1893(明治26)年岩内に生まれ、漁業を続けながらも、絵画への情熱を育み、有島武郎との運命的な出会いにより、その生涯を岩内で過ごし、絵筆を握ることを決心生涯、岩内の自然を描き続けた画家」とある。

文中にあるように有島が、木田青年との交流を小説にし、「生れ出づる悩み」として出版すると、そのモデル画家として知られるようになる。有島の激励を受けながら、厳しい漁師生活のなかで岩内周辺の自然を描き続け、有島武郎の没後、家業である漁業を捨て画家に専念する。
1954(昭和29)年岩内大火(市街地の8割を焼失)により、それまでの作品約1,500点余を焼失したが、その後、精力的な創作を続け、生涯、故郷岩内を離れることなく、独自の画境を切り開く。1962(昭和37)年脳出血により逝去、享年69才。」

 さっそく電子書籍の出番。「生れ出づる悩み」を読む。昔読んだ記憶は残っていない。多分読まなかったのだろう。
 金次郎の絵に初めて接した時作家は、「生れ出づる悩み」のなかでこう書いている。
「私は一目見て驚かずにはいられなかった。少しの修練も経てはいないし幼稚な技巧ではあったけれども、その中には不思議に力がこもっていてそれがすぐわたしを襲ったからだ。」

 有島武郎は、1878年東京小石川の生まれ。「カインの末裔」「或る女」などの作品で白樺派を代表する小説家として、また北海道ニセコ町に所有する農場を解放させた思想家として、あるいは、演劇界、美術界にも大きな足跡を残した、北海道文化にとっては欠かすことのできない人物である。

 金次郎の絵に添えられた手紙の中の「山ハ絵具ヲドッシリ付ケテ、山ガ地上カラ空ヘモレアガッテイルヨウニ描イテミタイ」という一文は、素晴らしい自然への肉迫を表現した言葉として、有島の心に深く染み入った、という。

 1923(大正12)年、有島武郎は軽井沢の別荘で情死する。理解者の突然死は、木田が網を捨て画業に専念する契機になったと言われている。二人の心の触れ合いの深さが窺える話である。

絵を見るとなるほど先輩が好むというのが良く分かる。水彩と油彩の違いがあるが、何か共通するものがあるように思える。それが、何と表現できないのだが。

 それにしても、木田金次郎と有島武郎の関係など絵や小説の好きなひとなら常識なのであろうが、初めて知った自分の無知に呆れる。何も今回に限ったことでなくしょっちゅうあることだが。
 しかし、あたらしいことを知ることが出来る、ということは負け惜しみでなく嬉しいことでもある。当たり前だが、自分が知っていることなど、知らないことに比べたら問題にならないほど少ないのだから。


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