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ふぐのきも [自然]

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ふぐを詠んだ句は多い。有名なのはやはり芭蕉の
あら何ともなや昨日は過ぎて河豚汁
謡曲「あらなんともなや候」の文句取り「もじり」だそうだが、一番最後に河豚汁をもってきてキメており、相も変わらぬ心憎い巧者だ。
蕪村にもある。河豚汁のわれ生きている寝ざめ哉これは、素人には芭蕉の句と似ているように思える。

 ふぐを福岡では、縁起をかついで「ふく」という。俳句で河豚は冬の季語だが、福鍋となると新年の季語となる。福岡のふぐは玄界灘、下関に近いからか美味しい。ひれ酒をよく呑む。宴会でひれ酒ならぬ「身(み)ざけ」というのをよく呑まされた。鰭のかわりにふぐ刺しを熱燗に入れる。ふぐはしゃぶしゃぶになる。それがそのまま酒の肴となる。

 大分のひとは、豊後水道で獲れる臼杵の河豚が一番だという。ほとんどを下関へ出荷していると聞いた。たしかに、豊後水道の急流で揉まれた「関アジ」、「関サバ」は普通の鯖,鯵とは全く別物のように美味いのだからあり得ることと妙に納得した。

 臼杵の喜楽亭のふぐ刺しや「ふぐ良し」のふぐちりを思い出す。臼杵は、キリシタン大名大友宗麟が1562年(永禄5年)府内から拠点を移したという臼杵城のあった古く落ち着いた独特の雰囲気の町である。臼杵城は別名「巨亀城」といい、臼杵湾に浮かぶ丹生島にあり、いわゆる海城である。宗麟が島津の猛攻を輸入大砲「くにくづし」で凌いだことでも知られる。
 臼杵市は古い歴史的な武家屋敷や寺町の町並み、郊外にある臼杵石仏群や焼酎に搾って呑む「かぼす」などが有名であるが、この地のふぐ料理の美味しさはたしかに忘れ難いものであった。

 街には大きな醤油メーカーが二つある。「フンド―キン」と「富士甚」といって町の人々から親しまれている。
 九州の醤油は甘くて濃い、関西の薄口醤油とは別物のようである。これを河豚やほかの魚につけて食べるのは最初抵抗がある。慣れればどうということもないのだが。
 フンド―キン醤油は「海神丸」「秀吉と利休」などを書いた作家野上弥生子(1885-1985・99歳で歿)の実家でもある。弥生子は旧姓小手川、同郷の作家野上豊一郎夫人である。

 30年前、大分で2年ほど暮らしたが当時は、まだ河豚のきもが食べられた。たしか県条例で禁止していない数少ない県のひとつだったが、まもなく改正され禁止となったように覚えている。ふぐの肝は醤油でといて、ふぐ刺しをそれにまぶして食べる。無毒である「かわはぎ」の肝の食べ方と同じである。

 河豚は専門の調理師が流水で長時間洗うので心配ないという。最初こそ、こわごわだったが馴れると「肝のないふぐ刺しはゴムを噛んでいるようだ」という地元の人びとの言に納得しつつ食べていた。
 歌舞伎俳優の坂東三津五郎が京都の料亭で河豚中毒死したのが1975年1月、我々が大分でふぐ肝を食べていたのは、1980年代の始めだったから今思い出しても驚き呆れる。しかし、今ではあのおいしさを味わえないのだが、肝は捨てているのだろうと思うと、もったいないような変な気持だ。

 ふぐは、卵巣は駄目だが魚肉、皮や精巣(白子)に毒は少なく、とくに白子の味は絶品である。フグの白子は、大分県津久見市の四浦半島先端にある保戸島(ほとじま)で食べたのがいまでも記憶に残っている。
 保戸島は、豊後水道に浮かぶ周囲が4kmほどの人口1,400人ほどの小さな島で、マグロの遠洋漁業の基地。ここでご馳走になった白子はパンケーキのように大きく柔らかであった。さっと軽く焼いて食べる。

 ふぐは、確かにふぐちりのあとの「おじや」まで美味しいが、欠点は値段が高いことだろう。畜養、養殖もあるようだが、トラフグの値段はべらぼうである。したがってふだん庶民の口に入るのは、「かなと」ふぐなどとなる。これには毒がないかあっても少ないのか普通の魚の扱いである。値段もトラフグとは比較にならないほど安い。

 河豚はなぜか関西以西でとくに珍重される。東京でも川柳や俳句に詠まれてきたとおり江戸時代から勿論好まれたが、てっぽうとかてっさしと言って良く食べる大阪ほどでは無いような気がする。東北や北海道ではもっと人気がないのではないか。獲れるのが西ということだけが理由だろうか。

 大阪にいた時、黒門町市場で活きたとらふぐの値段を見て仰天したことがある。
 食い倒れ大阪には、さすがにおいしいものが多いが、そのひとつに有名なくじら料理があり、専門の料亭もあった。関東者には珍しいので興味を持ち、大阪の人にあなたはどうですかと聞いたらくじら大好きという答えである。ふぐとどちらが良いかと聞いたら、即座にあたしは鉄砲のほうが好きですと答えた。値段は関係ないという顔をしていたのがおかしかった。

 ところで、ふぐの毒・テトロドトキシンは周知のように猛毒(毒量はマウスユニットMU)で青酸カリの500倍の強さとも言われる。いけすで養殖される河豚は無毒であることから、河豚の毒は外部から取り込んで体内に蓄積したものと解明されている。つまり食物連鎖の結果である。もとを辿ればテトロドキシンを作り出す海洋細菌に行きつくそうだが河豚にいたるまでの詳しい連鎖は知らない。
 なぜ河豚だけが、それもいくつかの種類のものだけが取り込み蓄積するのかも分からぬ。
 世の中には知らないことがいっぱいある。サカナ君にでも聞いてみたいところだ。

 ふぐが毒を蓄積して体内に持つ目的はなぜか、食べられれば死んでしまうのだから、不思議だと思っていた。 しかし、河豚を食べる大型魚が近付くとストレスによって河豚の体表からテトロドキシンが発散され、大型魚は「これはたべられない、だめだ」と逃げるのだと聞いてやはり種の保存のためであると、納得したことがある。河豚が怒ると腹が膨れるのはそのせいか。

 美食を追求する人間は、毒そのものを研究しその排除・料理法をあみ出して食べてしまうのだからつくづくその執念に呆れ、なぜか悪いやつだなぁとあらためてしみじみ思う。

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