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お天気お姉さん [自然]

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ひとはどうして天気が良いと気分が良く、曇りや雨の日には諸事気鬱となるのだろうか。気持ちの持ちようであるけれど、慨してというか、程度の差はあれど心理的に落ち込む。

これは、気分であって意思力で変えなければいけない。アイム ファイン!と。

誰でもそう謂う傾向はあるのではないのだろうか。しかし、日照時間の少ない地方や極北に近い人々でも明るく強く生きているのだからおかしなことを言うなと叱られそうな気もする。

 低気圧が原因だと言う人もいる。天気は健康と深い関係がある。病気の気は心理である。これを研究テーマにしている学者はいないのだろうか。

 「天気商売」と昔からいうように天気が経済と密接な関係にあるのは、アウトドアのイベントへの影響などだけでなく経済主体である人の心理に影響を与えるからであろう。景気の気は人の心理である。
かくてひとはテレビ、新聞の気象情報、天気予報に関心を持つのだ。
 テレビでニュースの次によく見るのは天気予報士による予報と解説であるが、いつも、不思議に思いながら見ていた。
 この予報は、気象庁のものか、NHKのものか。天気予報士のものか。つぎつぎ現れる予報士はNHKの職員か、民間のウェザー会社から派遣された人か。どう言う手法、データから予測するのか?気象庁とはどういう関係にあるのだろうか。
 洗濯情報、熱中症情報、花粉情報、紫外線情報などは天気予報の一部か?予報が当たらなかった時になぜすみません、理由はこういうことですと解説しないのか?などなど。やや八つ当たり的な疑問もある。少しは調べて勉強せねばならないだろう。

 調べてわかったことが幾つかある。まず「天気」予報士でなく「気象」予報士が正しい。

 天気と気象はどうちがうか。天気にはおをつけるが気象にはまずつけない、また、天気は頭に「ノー」後ろに「屋・野郎」をつけたりして人をからかうのに良く使う。一方、気象には「学」が似合う、つまりアカデミック、法律用語になる固い感じである。これらは、らちもない冗談。

 気象予報士は、「気象業務法」という法律によって定められた立派な国家資格で、平成5年5月の気象業務法の改正によって設置されたという。
 「気象の予報」を業務とする場合、気象庁長官の許可を受けることが必要である。
 この許可を受けた会社や自治体などは、「予報業務許可事業者」と呼ばれる。予報業務許可事業者が気象の予報を行う場合には、気象予報士に行わせなければならないとされている。
気象予報士とは、単にテレビで天気の解説をするだけではなく、自らさまざまなデータを総合的に判断し、的確な気象予報を行う気象のスペシャリストである。

 さてNHKは、気象業務法に基づく気象予報業務許可を受けておらず、「独自」の予報を行っていない。このため「気象情報」では原則として気象庁の予報をそのまま放送している。気象庁が十分にカバーしていない世界各地の天気予報や花粉情報、予想湿度、細かいポイント予報などについては日本気象協会や民間気象会社の情報を補完的に使用する。また近年は民間の気象予報士を積極的に気象キャスターに起用し、気象庁が発表した予報についてもより掘り下げた解説を行い、情報性を高める方向にあるとか。

 NHKの人気女性気象予報士のカレンダーが大人気だという新聞記事を見たことがある。彼女達が難しい資格試験を突破して活躍していることに敬意を持つものであるがカレンダーとは!。もはやアイドルである。
 個人的に言えば、お天気お姉さんも良いとは思うが、静かにゆったりと予報される男性の予報士がいられる。こういう落ち着きはどうして会得されたのであろうかと思われる方がおられて、いつも尊敬のまなざしで見て予報を聞いている。

 お天気は挨拶代わりになるくらいだから、ひととの交流では潤滑油的に使われたりして重宝されるが、かたや「雨の降る日は天気が悪い」とか、「やまない雨はない」とか結構意味深なことばにもなる。

 ここ数年、体調が悪く半病人状態が続き、医者に行ってもなかなか良くならないとき、家人にすすめられて、あたかもラストリゾートに駆け込むように家の近くの鍼灸(しんきゅう)医院に通いつめた。
 医院の先生は沖縄伊江島のご出身である。お歳は自分と同じか少し上か、やさしい先生である。治療を受けながら、仕事で徳之島のサトウキビ工場に行ったことがあるのでその時のことや沖縄の話を二人で時々した。先生懐かしいらしく最近、島に帰り親戚中の方とお会いしたと、いつも寡黙なのに珍しく話がはずんだこともあった。
先生の過ごされた長い時間と自分のそれと比べても詮無いことであるが、同じ世代ということであろう、言葉に表せぬしみじみするものがある。

 鍼灸とまとめていうことが多いが、はり、きゅう師はそれぞれ別の資格である。周知のとおり国家資格である。当然気象予報士などより長い歴史をもつ。身体の不自由なかたでなくとも受験できるように法改正されたとかで先生のように眼の不自由な方には厳しい世の中である。

 しかし先生は、いつもクラシックをBGMで流し歌を口ずさんでおられる。お子さんはいらっしゃらないようであるが、姪御さんを可愛がりあくまで明るい。何かと言えばすぐふさみこみがちになる自分は、いつももっと見習わねば、と思うのである。
 もちろん、腕は確かでいつかウクライナの女性が、治療に来て、すっかり治りその後自分のお母さんまで連れてこられて診て貰ったそうである。都内に限らずかなり遠くから通われる患者も多いようだ。

 鍼治療が終わった後、先生は、僕の身体はいかがでしょうかと尋ねると必ず「身体が気候に順応しきれていないだけです、すぐなおります、心配いりません」と仰る。気候、気象と人間の身体は深い関係にあるというのが東洋医学の基本であるとあらためて理解する。

 予報士資格と鍼灸師資格とくらべる意図は無かったのだが、気象と健康との話からたまたまつながっただけのことで特段の意味があるわけではない。

 さて、遠出をするときや気象が荒れない限りは、総じて天気予報というもの、平和なものである。したがって、ぶつぶつ文句を言いながらも、テレビの天気予報は気楽に聞いている。台風・地震情報となるとそうはいかないが。

追記 この記事はここまで書き、写真も用意したあと23.3.11東北関東大震災がきた。(写真はNHKテレビ のお天気お姉さんをデジカメで前日の3.10に撮影したもの)。

 震災の被害は、息をのむのみ。なお終わらず進行中である。終息を祈ることしかできないのは情けない。

 3.11から世の中が変わる予感がする。このブログも変わるだろう。(23.3.16)

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