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耄碌寸前 [本]

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この頃老人もの随筆をよく読む。最近読んだものの中ではこれが出色だと思う。
鷗外長男である1890 年生れの森於菟が表題の随筆を書いたのは、彼が満71歳の時で今の私は同い年である。彼は医者でそれも基礎医学の解剖が専門だが名文家。抑えた静かな文章にユーモアがちりばまれていて、さすが文豪の子である。上等な文体である。1967年昭和42年没、77歳。
「私は自分でも自分が耄碌しかかっていることがよくわかる」という書き出しではじまる。そうそう、わたしもだと同感する。
「記憶力がとみにおとろえ、人名を忘れるどころか老人の特権とされる叡智ですらもあやしいものである。」うん、そうそう。
「ただ人生を茫漠たる一場の夢と観じて死にたいのだ。」と言い、
「私は死を手なづけながら死に向かって一歩一歩近づいて行こうと思う。
若い時代には恐ろしい顔をして私をにらんでいた死も、次第に私に慣れ親しみ始めたようだ。私は自分がようやく握れた死の手綱を放して二度と苦しむことがないように老耄の薄明に身をよこたえたいと思う。」と書く。
みすず書房の解説はドイツ文学者でエッセイストの池内 紀。私と同年の1940年生れ。この人も名文をものす。私は好きでよく読む。
余談だが私と氏の生年は紀元2600年。同級生には紀一、紀之、紀四郎とやたらと紀の文字が多い。紀二六君というのもいた。鈴木君と呼んでいたが名前を何と読んだかいまも思い出せない。ほかに「紘」の付く名前も多い。八紘一宇からとったものである。紘平、紘一郎・・・。
また、小学校の同級性に渡辺日独伊君もいた。「ヒトイ」君である。当時の世の中の雰囲気、風潮を如実にしめしているが、70余年後の今そのことに気付くひとは少ない。私は現役の頃、あなた昭和15年生れでしょ、と当てたことが何度かある。
私と同年の解説者、紀オサム氏は、解説の最後に、「いずれにせよ死の観念一切を尻目にかけて、一種たのしい軽みといったものに統一されており、その客観ぶり、遠近法の独特さは、鷗外的な「無私」よりも、なお一段深いような気がしてならない。」と書いている。
素直に胸に落ちる評である。
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