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麻雀雑考 [雑感]

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麻雀には良い思い出がない。負けることが多かったからであろう。
多くの人がそうだと思うが、初めて麻雀を知り遊んだのは学生時代である。小さい時に家庭麻雀で覚えた人もいるが数は少ないだろう。
負けず嫌いは誰にでもあるが、つらつら思うに、自分のは負けて悔しいというのが極端に強いらしく負けると感情が制御出来ない。或いは感情の処理が下手である。 遊びだ、運だ、負ける時もあるさと冷静になれない。またそのことが情け無くて自己嫌悪に陥る。だから人とやるゲームは碁でも将棋でも何でも苦手である。
これはどうも子供の頃にゆったり大ぜいでゲームを楽しまなかったからではないかと訝っている。
麻雀の仲間に入らず、学生の本分にあらずなどと言っていたが、本当のところは別だったのである。長じてサラリーマンになってからも同じことだ。麻雀は人生の縮図だなどと言っている先輩には、人生がそんな安っぽいものかなどと茶化していたが本当のところは別だったのである。楽しめば良いのに。
必然的に下手で、やると遅くてリズムを重んじる上手からは叱られ、チョンボも多い。だからほとんどやらない。やらなければ上達しない道理だ。
しかし、サラリーマンともなれば、取引先に麻雀大好きと言う人もおられる。懇親麻雀大会というのもある。全くやらないわけにはいかない。しかしこれは負けても良いというか負けた方が良いので気楽である。優勝などまずしないが順位賞やラス前賞もあり運が良ければ満貫賞もあるのでせっせと手づくりに励んだりする。
10卓以上の懇親大会の主催者だったとき、いい気になっていたら、待っている当人と他の2人には明らかに見えている国士無双のイーピンを目出度く取引先の名人に振り込んだことがある。そのとき不注意といえやってはいけない手を「ブタ麻雀」というのだと同僚から教えてもらった。
下手が言うのだからあてにはならないけれど麻雀は運が7くらいではないかと思う。しかし確かに技術もある。第一には記憶力だろう。例えば牌を撹拌して積み込まれるときにちらりと目にはいるのを憶えていると聞いて仰天した。確率を読む時にその差が出よう。尤も機械麻雀になってからはどうなのかは知らない。
たいてい麻雀が強いサラリーマンは、サラリーマンとして優秀なのが多い。先の技術力、計算力のほかに、場の状況や人の心を読む能力、選択と決断、リスク管理などに長じていることが大事という点で双方に通底するものがあるようだ。勿論例外もいた。振り込まないのが勝つのだ。
逆も真かどうかは言わぬが花、己のためでもある。
携帯端末のはしりのソニーのクリエを愛用していたので、リタイア後、麻雀ゲームでよく病院の順番待ちなどで時間つぶしをした。iPadにも無料アプリを入れているがあまりやらない。麻雀ゲームはオンラインでもなく相手もいないので負けて悔しいということはないが、さすがに時間が勿体無い。よくクリスマスなどにやった家庭麻雀もはるか昔のこととなり久しくしていない。
麻雀はやると中毒のようにやりたくなり、やらないでいるとどうということもなく忘れている。ゲームはなんでもそうだが、依存症になりやすいものだ。現役のとき麻雀の好きな同僚が5時を待てないという顔をしていたのをいま懐かしく思い出す。
飽きてつまらない、時間が勿体無いと言いながらやっていたりする。ゲームに熱中している時間は、まさに昔学んだseinでなくdaseinだとつくづく思ったものである。
反面でそうも熱中できるものがある人を羨ましいと思ったこともないではなかった。不可解な心理だ。
たしかにゲームとしての麻雀はよく出来ている。こんなものを考え出した中国人には本当に感心する。そして碁、将棋より品は良く無いと言う人もいるが、大衆的なところが何より良い。
最近は主婦の間でも流行っているというが、こちらはおしゃべりの方に重点があるのか。それはそれで効用があろう。4人揃うのが大変だろうが。

つらつら考えるに、いろんな意味で麻雀はしみじみe生活からは、遥か遠いところにあることは確かな様な気がする。だらだらと書いたように麻雀は不思議なゲームなので、理由をきれいに整理するのは難しいが何となくそう思うのである。


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