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痛みのこと [健康]

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 「さりながら死ぬのはいつも他人(マルセル・ディシャン)」という言い方に倣えば、「痛いのはいつも自分」である。しかし、自分の痛みが他人に分らないのも、他人も間違いなく痛むこともそれぞれ100%確実なことである。
 痛みというのは、本当に不思議なものである。

フィットネスでストレッチ教室のインストラクターが「痛気持(イタキモチ)いいところ」を探して、そこまで伸ばしてーなどとおっしゃる。「痛み」と「快い」は同一線上にあるように見える。その境目を探して伸縮し、血流を良くしなさいということらしい。また「痛痒い」ということばもある。痒いも過ぎると痛みに変わる。

体の防衛機能のひとつとされる「痛み」は不思議なもの、不可解なものである。
体を守るためというが、警戒警報だけではあるまい。痛みを消す、つまり治療しなければ、その部位の機能不全にいたるのだから防衛機能というのは理解できるが、持続する強度の痛みは生きる意欲を奪うという。痛みのもつ不快感はこれが原因ではないか。不可思議さ、不可解さもここにあるような気がする。
痛みの定義は「実際の、または潜在的な組織損傷を伴う不快な感覚的、精神的な経験」=国際疼痛研究学会(IASP)だと聞いても、神経細胞が刺激され脳が痛みを感じるのだという痛みのメカニズムを聞いてももうひとつ分からない。
これまで全身麻酔を数度経験している。麻酔から醒めた時に臨死体験とはこういうものかなど、的外れな、埒もないことを考えたことを良く覚えている。
麻酔は脳と神経の働きを一時的に止め、痛みを消す。神経が機能しなければ、痛みは感じない。脳も寝ていて機能しないのだから痛みは感じない。意識が戻れば、痛みも復活する。このことから痛みのメカニズム自体は麻酔を経験すると感覚的によくわかる。
しかし痛みは精神的なものなら意識か。痛覚というから感覚か。知覚?、不快感を伴うなら感情か?一体何だというのか。「不快な感覚的、精神的な経験」ではどうも納得感に乏しい。
痛みは体が何らかの障害を受けたときに生じる単なる刺激ではなく、心や感覚が伴った苦しみであることは確かであり、痛む組織の機能不全、ひいては生命を脅かすという怖れ、これが私たちの感じる「痛みの本質」ではないかという気がする。

痛みは非常に幅広く種類の多いのが特徴である。
まず、早い痛み(急性)と遅い痛み(慢性)がある。慢性とは3カ月から6カ月以上続くものという。一過性或いは間歇的なものとずっと持続する痛みといった方がしっくりする。
そして「遅い痛み」の正体はブラジキニンという発痛物質とか。電気信号とか。では早い痛みは何なのか。同じ電気信号ではないのか。

次に、痛み方は多様 であるのは何故なのか。生理痛、分娩痛は想像はしてもむろん知るよしもないが、それはそれは辛いと聞く。傷の痛み 、歯の痛み 、腹の痛み 、腰の痛み 肛門の痛み(痔) 、尿道の痛み 、頭痛。未経験の痛みももっともっとある。きっと挙げても際限が無いほどだろう。
しかも痛みの度合いは人によりさまざま。痛みの種類(痛み方)も刺すような、うずくようなとか言葉の難しさもあって医者泣かせである。
キリキリととかズキンズキンととかジンジンと痛むなど人により使うオノマトペも異なり、同じものでも同じ実態を表現しているという確証は無い。
部首により痛みの種類=痛み方が違うのは、壊れた細胞組織や神経細胞の太さや細さに関係があるのだろうとは想像できる。
体の表面が痛む「体性痛」と内側が痛む「内臓痛」がある。体性痛はさらに皮膚や粘膜の障害で起こる「体表痛(火傷や打撲など)」と、筋肉や骨の「深部痛(骨折など)」があるとのこと。痛みを分類してみても詮無いが、この辺は実感として理解出来る。
侵害受容性疼痛は器官や臓器が傷害されたときに、そこにある末梢神経から痛みが発せられるものでほとんどの痛みはこれだろう。
神経障害性疼痛は痛みを伝える神経そのものに問題が生じて起こる痛み。「心因性疼痛」は神経や体には問題があまりないのに発生する痛みであり、「中枢性疼痛」は神経の中心にある中枢神経そのものがやられてしまうことで起こる痛みという。

このうち「心因性疼痛」には心当たりがある。2年半以上続いている肋間神経の疼痛治療をペインクリニックで受けた時、先生が鎮痛剤カロナール、モービックのほかに抗鬱剤トリプタノールとガバペンを処方してくれた。先生は「最近は痛み止めと精神薬を併せて服用する」と言われた。ガバペンというのはてんかん発作を和らげる薬だという。傷の痛みに効くロキソニン処方とは性格が異なる、それは心因性だからとおっしゃる。逆に言えば痛みの本当の原因が分からないものであろう。この疼痛にはいまもって悩まされている。まさに「慢性疼痛」そのもの。
その後、末梢神経障害に有効とされるリリカカプセルに変更しても効かず、いまは新薬のトラムセットを朝と夕方服用しているがはかばかしくない。原因不明と医師は仰り、温め血流を良くして凌ぐしかないと。自分で考え出し、ヤクバンを貼ったり、筋肉痛用のインダシンクリームを塗ったりしている。気をまぎらしているだけに過ぎない。もう3年近くなる。
痛みは運動を避けるようになり、外出や旅も敬遠し閉じこもりがちで勢い生活の質低下をもたらす。それでも、痛みが強くならないで曲がりなりにも暮らしていることには感謝している。
毎月、ペインクリニックの女医に診察を受けるとき、鎮痛剤服用実績記録と一日の痛みを5段階に表記してエクセルで表を作りiPadでお見せする。これが長くつづいている。「5」は1番痛い痛みあるいは、我慢出来ない痛みとしているが、あくまでも主観的なもの。先生もよく心得ていらして、優しく年寄りの我儘をお聞きくださって有難い。この優しさが何よりのペインクリニック、ペインキラーだ。幸いこのところ寒いせいか「4」もあるが「3」が多いのは嬉しい。

さて、鎮痛剤(ちんつうざい)は、中枢神経系・末梢神経に様々な効用をもたらすもので、痛みを和らげたり取り除いたりする医薬品。鎮痛剤の種類は非常に幅広い。痛みが多種多様であるように鎮痛剤も多種多様である。英語ではPainkiller。文字通り「苦痛を殺すもの」である。
一般的には歯痛や頭痛に効くバッファリンが有名であるが、ややこしい場合は専門医に頼るしか無い。最近はどこの大病院でもペインクリニックが設置されている。
原因を除去する訳ではないので治療薬ではないけれども、痛みを和らげているうち原因が治ることをひたすら期待する。

ところで全然別の話となるが、痛みの不思議なもののひとつに「幻肢痛」というのがあるそうだ。痛みの記憶の一つと考えられているが、失った四肢など無い部位が痛むという。これは幸いなことに経験はない。似て非だろうけれど、古傷が痛むというのは経験がある。10年以上も前に、転んで鎖骨を折り手術をした後が、今になっても寒い日などに思い出したように痛むことがある。たいてい短い痛みである。これも痛みの記憶だろうか。痛みは忘れるのが救いなのだが。消えたはずの痛みがまた現れるとは。表現し難い不快感の伴う痛みである。

痛みというのは、不思議なものだ。よく「人の痛みがわからない」、とか「痛みを分け合う」とかいうが、痛むのはおのれだけではないことも厳然たる事実。その不思議をあらためて思う。痛みは「しみじみ e 生活」を妨げるものだが、生きているからには誰もそれから逃れることは出来ない。正岡子規の痛みの中での驚くべき意思の強さを考える今日このごろである。















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フィットネス

こんにちは。突然のコメントすみません。体を動かすことの大切さや楽しさを伝えようと「フィットネスの勧め」というサイトを立ち上げています。
内容は、ヨガ、エアロ、バレエ、ボクササイズなどのスタジオレッスンを始め、自重、ダンベル、バーベル、チューブ、バランスボールなどを用いた筋トレ、ストレッチポールやフレックスクッションをコンディショニング、またはバランスボールやバランスディスクを用いたバランストレーニングなどをイラストや動画を用いて解説しています。
 また、「身体に関して」の項を設け、筋肉、骨、靭帯、神経、循環器系などについての解説も掲載しています。
よろしければ暇なときにでも見てください。
http://www.i-l-fitness-jp.com/
このようなコメント、失礼に感じたら大変申し訳なく思います。
※重複してコメントしないように注意していますが、もし重複してコメントしているようであれば、その時はその失礼お許しください。

by フィットネス (2012-01-20 12:48) 

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