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協同組合年に思う [雑感]

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昔勤めていた時のことは、あたかも前世のことのように遥か遠くに去ってしまっており、あまり思い出すことも少なく話すこともあまりないのだが、先日今年は協同組合年だという新聞記事を見たとき、このことでひとつ書きたいことが何かあったなとふと思い出した。

 私は協同組合で36年も働いた。
 職員だからサラリーマンである。株式会社で働くのと何ら変わりがない。就職する時もその違いを意識することは無かった。まぁ、まともに給料を貰えれば良いというくらい貧しく、生活安定が何より優先せざるを得ない時代であったと言えばそれまでだが、何も世の中のことを勉強していなかったということであろう。
しかし、心のどこかで「人の協同」のために働いているのだ、単なる利益追求のための会社で働いているのでは無い、という意識がなかったと言えば嘘になろう。

 会社が単なる利益追求だなどと思うのは勿論「若さというバカ」の思い上がりの何ものでもない。会社は世のため人のためにある。そうでなければ存立自体も経営のゴーイングコンサーンも何もありはしない。
株式会社が資本主義の根幹であり、協同組合は資本の無いもの同士が集まりそれに拮抗する力(countervailing power)として生まれたものには違いないが、株式なり、出資金なりをもとでに経営がなされて世の人に役立つという目的を遂行するシステムそのものであることには変わりはない。
 最高意思決定機関の株主総会と組合員総会、経営執行者たる社長と組合長、取締役会と理事会、監査役会と監事会、社員と職員など呼称こそ違え同じ法人として機能はほぼ同じである。
 株式会社の場合は、株式の保有者が、誰でもかまわないいわば没主観的なもので株式が転々流通するものであるのに対して、協同組合では一定の資格を持つ出資者が拠出する出資金が属人的で流通しないことだけが基本的相違である。

 協同組合がその価値を実践するための指針である協同組合原則は次の通りであるが、これを見ればおおよそ資本の論理が貫徹する株式会社と異なる点、或いは重なるところがわかる。
      第1原則「自発的で開かれた組合員制」
      第2原則「組合員による民主的管理」
      第3原則「組合員の経済的参加」
      第4原則「自治と自立」
      第5原則「教育、研修および広報」
      第6原則「協同組合間の協同」
      第7原則「地域社会(コミュニティ)への関与」

 いわゆる資本の論理(弱肉強食)による資本主義の弊害に対抗して、協同組合が西欧から輸入され官主導で育成されたわが国ではとくに自主性が弱いのが特徴とされる。

 あまり人は普段意識しないが、わが国でも協同組合の種類と数は多い。
良く知られた農業(農協JA)、漁業(漁協JF)、林業(森林組合)、生活協同組合、事業協同組合、商店街振興組合、商工組合、労働金庫、信用金庫、信用組合などそのほか沢山あるが、またそれぞれに連合会組織もある。これらはすべて根拠法がありそれに基づいている。

 協同組合の先進国はドイツや北欧である。発展途上国でも注目されている。いま、どうなっているかは不勉強で知らないが、社会主義国でも例えば中国の合作社など似たものがあった。このように協同組合はいわばグローバルな思想であり、国連は2012年を国際協同組合年(International Year of Co-operatives=IYC)と定めた。

 私の理解では、協同組合は一つの考え方思想であり、同じその思想の共有者が常にそれに磨きをかけていないと衰退、鈍磨するもの。だから協同組合年などというものがある。思想を持続するためには普段の地道な努力と、ときに思想を確認し合いこれからのことを議論することが必須なのだ。
 しかし、既にリタイアした者がこれからのことを言って見ても所詮「後の祭り」と思っているので、そのことをここで書きたいわけではない。

 余談になるが、かつての我が職場の雰囲気は、協同組合組織のせいかあらぬか普通の会社より上下関係もあまり強く無く、むしろ自由闊達を尊び横の競争意識も希薄、よく言えばのんびり、悪くいえばぬるま湯的とも言われかねなかったように思う。派閥や学歴重視なども比較的弱い方であったろう。そのかわり一部政府出資があった時期もあって、官にありがちな年次尊重など安定性志向みたいなものもあったように思う。
しかし、これは自分だけの受け止め方であって、他の人に言わせればそんなことは無かったぞ、といわれるかもしれない。
 勿論、今はもうそんなことを言っていたら大変なことになるだろうから、そんな雰囲気は一切払拭されていると、思う。優秀な後輩達の顔を思い浮かべながら確信している。

 ここまで、書いていてふと思い出した。我が協同組合組織の職場にも社訓(?)のようなものがあった。頭の良い先輩が脳漿を振り絞って(?)良き企業(?)風土たれと考えたものであろう。
 曰く、ABCDE。Aはadvance、Bはbackborn、Cはcharennge、Dはdialogue、Eはefficiency。
 Aは前進。Bのバックボーンは明らかに協同組合原則であろう。Cは挑戦でDは対話。最後のE、効率性は泣かせる。協同組合であろうと会社であろうと、これは要求されるのだ。今考えればなかなかの社訓である。.

 閑話休題、協同組合というと誕生の経緯もあって、弱者が集まり相互扶助の精神で団結し独占会社に対抗するとイメージを持っている人がいるが、それは誤解である。上記の協同組合原則にも相互扶助などは無い。
 官主導で育成され、税制や独占禁止法の例外規定などで優遇されてきたことも事実なので、協同組合は株式会社と鮮明に対立するものと考えている人は残念ながら決して少なくはない。
市場を通じて誰でも株式を購入することによって株主になれるのと同じように、資格さえあれば誰でも出資をすることによって協同組合員になれる。
 また、協同組合の基本的な考え方のひとつに市価主義というのがある。常に売り買いは市場価格によってなされ、利益は出資配当なり内部留保となる。職員の賃金もまたしかり、市価である。これらのことだけからでも、協同組合と株式会社は対立するものではないことがわかる。

 ただ協同組合活動が運動的でスローガンが「共存共栄」、「万人は一人のために、一人は万人のために」だから徒党を組んで常に自利のために活動して、市場原理を否定する存在なのだと誤解されかねないところがある。 協同組合が運動的であるのは、協同組合がひとつの思想であることからくる特性だからやむを得ない。
協同組合側にいるものは、この外部の人からの誤解について心すべきことだといつも思っていた。協同組合思想の切磋琢磨、ブラッシュアップが思わぬ誤解を招きかねないのである。

 常に協同組合の真の考え方を、その陣営の強化のために内部の人へ話すことは大事だが、それ以上に粘り強く外部のひとにも考え方を熱く語らねばならない。これはいつの世になっても大事なことだろうと思う。

 うだうだとがらにもなく昔の仕事の話などをして、長文の駄文連ねたが言いたかったのはこのことだけである。

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