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老いらくの恋 [随想]

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 適齢期というものがある。辞書では「それをするのにふさわしい年頃」とある。
 かつてよく言われたのは結婚適齢期(英語ではmarriageable age)だったが、今は余り使われていないようだ。
 人間も自然の一部である以上、子孫を残さねばならないから生理的なというか自然科学的に旬というのはあるが、婚姻は制度でもあるからして社会的側面も強い。男性も女性も社会の変化、時代の流れの中で「ふさわしい年頃」もばらけてしまったのであろう。
 結婚適齢期は女性にとっては妊娠、出産適齢期であり、男性にとっては、肉体的なピーク時あるいは経済的な自立、家族扶養可能となる時期か。ちなみに、自分は25歳、相手は20歳であった。適齢だったかどうか全く定かではない。適齢期というのは観念的なもので平均的な概念、個別具体的なものとは相容れないことが分かる。

 一方で恋の適齢期というのは聞いたことがない。初恋ですら幼稚園や小学生からという。ファーストラブがあるならセカンドラブもあり、越前守の母堂の教えではないが灰になるまでというからにはファイナルラブ(晩年の恋)もありそう。老いらくの恋という言葉もある。恋と年齢は無関係、まして「ふさわしい年頃」などというのは無いのだ。

 働き盛りのころつまり自分が若かりし頃、結婚適齢期にならって死亡適齢期というのがあるという小話、冗句を何かで読み唖然とした覚えがある。面白がってあちこちで使わせてもらった。とくにバーやクラブでうけたような気がするが、なにせ若かったから馬鹿げた顔をして話していたに違いないと思うと愧じ入る。
 小話というのはこうである。

 男女とも平均的に閉経期がほぼ50歳、子供の養育期間15年として65歳が死亡適齢期だという。男にも閉経があるという。この話を「平家物語」というのだというのがオチである。養育期間が過ぎれば本当の老後、余生だ。
 この年齢を6年も過ぎてしまった今では、あまり良い小話とも冗談ではないと思うのは身勝手というものか。国連の世界保健機関 (WHO) の定義では、65歳以上の人のことを高齢者としているから、高齢者とは死亡適齢期を過ぎた者ということになる。高齢者のうち、70歳までをヤングオールド、75歳までをミドルオールド、80歳までがオールドオールドという。それ以上はオールドパーという冗談もあるが悪いジョークだ。品も無い。

 ところでその時、つまりこの小話を知った時も、この小話は神様、造物主 はなぜ人間に老後を与えられたかという問いに関連したものだろうと思った。子孫を残す使命を果してしまった人間をなぜ神は暫くとはいえ、生かすことにしたのか。人により長短の差はあるが、その間に何を為せば神の御心に沿うのかという深遠な問いである。平家物語は意味深長な小話なのである。
 深遠な問いのその答えはなかなか難しい。世の為、他人の為、利他に生きよということか、遊びをせんとて生まれてきたのだから趣味や道楽、恋(!)など、おおいに余生を楽しめということか。

 この議論は難しそうなので、傍らに置いておき、ここでは老いらくの恋についてである。老いらくの恋とは、あたりまえながら、年老いてからの恋愛をいう。そんな英語があるのかどうか知らないないが、シルバーラブのことである。
 老いらくの「らく」は「楽」ではない。単に「老い」という意味とか。古語「おゆらく」の音変化したものであって「楽」という意味は本来ないそうだ。 しかし何となく受ける印象は楽しそうではある。残念ながら未経験なので想像の域をで出ないが、切なく苦しいのは老いらくの恋でも青春期の恋でも同じだろうに。

 老いらくの恋というのは、 昭和23年(1948)、68歳の歌人川田順が弟子(俊子39歳)と恋愛、家出し、「墓場に近き老いらくの、恋は怖るる何ものもなし」と詠んだことから生まれた言葉だとものの本にある。
 昨年11月頃、瀬戸内寂聴「奇縁まんだら~司馬遼太郎」(日経新聞社)を読んでいたらこのことが書かれていた。
 「川田順の不倫の恋は司馬さんが取材して『老いらくの恋』と表題をつけたと聞いた」とあった。司馬遼太郎の新聞記者時代というところが、わけもなく面白い。ついでながら寂聴さんの「交友録」はとびきり痛快である。
 歌人はこの時、平家物語でいう死亡適齢期を過ぎているが、相手は30代と若い。相手も65歳以上なのが本当の老いらくの恋だろうとも思うが、そう厳密なものでもないのだろう。

 歌人は住友総本社常務理事退任後、歌壇で活躍した。弟子の俊子は元京都大学教授中川某の妻で3女の母。二人は失踪し大騒ぎとなる。歌人は当時皇太子殿下(現、天皇)御作歌指導掛をし、三大紙の歌壇選者だったというから、騒ぎもさもありなん、ということだったろう。
この老いらくの恋は、二人のいくつかの歌を見ればおおよそが分かる。

 樫の実のひとり者にて終らむと思へるときに君現はれぬ(順)

  若き日の恋は、はにかみて
  おもて赤らめ、壮子時の
  四十歳の恋は、世の中に
  かれこれ心配れども、
  墓場に近き老いらくの
  恋は、怖るる何ものもなし。 (「恋の重荷」序)

 はしたなき世の人言をくやしとも悲しとも思へしかも悔いなく  俊子

げに詩人は常若と
  思ひあがりて、老が身に
  恋の重荷をになひしが、
  群肝疲れ、うつそみの       うつそみ=空蝉(うつせみ)
  力も尽きて、崩折れて、
  あはれ墓場へよろよろと。 (「恋の重荷」)

 さて、歌人の事件が起きたのは自分が8歳の時、今を去ること63年前である。死亡適齢期はおろか、古希をも過ぎた我が身が、疎開先で腹を空していた小学生だった頃の話だと思うと妙な気分になる。

 二人は事件の翌年、昭和24年に結婚し、川田順は昭和41年に84歳で死去。俊子は今から6年ほど前の平成18年2月死去、享年96歳。二人は一緒になってからどう暮らしたのだろうか。そして川田夫人は一人になってからの長い時間をどう過ごしたのだろうか。

 老いらくの恋とは一体何か。恋は思案の外というのは年齢と無関係に相違ないだろうが、何やら高齢者の恋は特別奥深いものがありそう。といってもそれは男と女ではかなり違うような気がする。何がどう違うのかは無論わからぬ。 自分が考えることは、どうしても男の方から見た一方的なものになるのだろう。女性から見たらどうなのかは推測すら出来そうにない。
 老人の恋のエネルギーの有無、強弱にも個体差が大きいだろうことは、病んであちこち痛いとばかり言っている半病人たる今の我が老痩躯に照らしてみて、容易に想像できる。加齢に伴いこの個体差はますます大きくなる。誰もがめでたく老いらくの恋をするわけでは無いことは言うまでもないことだ。

 良寛(70歳)と貞心尼(30歳)の恋、芭蕉、谷崎潤一郎のそれなど文学で読む老いらくの恋に真実味はあるのだろうかと関心があるが、あまりそれに絞って読んだこともないので偉そうなことは何も言えない。

 今興味を持って思い起こすのは、やや突飛だが、あの辛辣な舌鋒と独特な文体が癖になって愛読した編集者で随筆家山本夏彦の晩年の恋である。
 誰も知らなかったという密やかな恋だったと、ご子息の著書にあったのを随分前に読んだ。
 氏は平成14年(2002年)87歳で亡くなる。没後に、相手に出した手紙が見つかり、周囲はそれを知ったという。 その手紙の最後のサインが「奈の字より」とあった。それを読んで、どういうわけか言葉に表せない強烈な印象を受けた。 奈の字よりーとは!。あの毒舌家が。

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kuri

おはようございます。
偶々このページにきました。はじめまして、よろしくおねがいします。渋谷在住です。楽しく拝見してます。水彩画はまだ全部は拝見してませんがすずらんの「はな」はいいですね。水彩画って難しいでしょう?色を重ねすぎると無残になってしまうのでは・・・
これからゆっくり拝見します。とりあえず一報を。
by kuri (2014-04-25 10:16) 

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