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姓名にまつわる話 [随想]

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ひとの姓と名に纏わる話は何故か面白い。その理由は、たぶん名は体を表すからと言った単純なことでなく、人の姓は代々親から受け継ぎ、名は親などにつけてもらってはじめて「個・アイディンティ」が形成される。姓名は人の本質に関わるからのような気がする。このことは、後でいつかゆっくり考えてみようと思う。
ひとの姓と名にまつわる話を、まず一人称の「名乗る」ということから始めることにしたい。

現代では普通自分が名乗るときには、所属(帰属する組織などの)や肩書きの印刷された名刺を使う。講演や演説での自己紹介は、只今ご紹介に預かったXXの◯◯です。というのが一般的である。また選挙の候補者などは、鶯嬢が名前を連呼するだけでおよそ味気ない。

昔はどうだったか。普段の生活では今と大差無かったに違いないだろうが、戦場などでは、遠からんものは音にも聞け、われこそはーと大音声で名乗りをあげたという。スピーカーなど不粋なものを使わず、なんとも言えぬ雰囲気があったと想像される。
そういった雰囲気が、今でも残っていると思われる相撲の呼び出しや勝ち名乗り(一人称ではないが)なども、何ともスローで優雅だ。

大河内傳次郎演ずる丹下左膳のセリフは「姓は丹下名は左膳ーセイハタンゲ ナハシャゼン」。ご紹介に預かりましたなどとはおよそ違って味がある。
これは、林不亡原作 の「丹下左膳餘話 百萬兩の壺」1935年(昭和10年)山中貞雄監督の時代劇映画のセリフである。この名乗りも映画ファンに受け、有名になったという。

ご存じ、歌舞伎の「白波五人男」は、河竹黙阿弥の作で5人の大泥棒が主人公。1862年(文久3年)に初めて市村座で上演された。正確には「青砥稿花紅彩画」(あおとぞうし はなの にしきえ)。その名場面のひとつである「稲瀬川勢揃いの場」が有名である。ここで盗賊「弁天娘女男白浪(べんてんむすめめおのしらなみ)」通称「白浪五人男」(白浪とは盗賊の異名である)が勢ぞろいし、傘をさしてかっこよく決める場面で、それぞれが自分の素性を名乗る。この名乗りは「渡り台詞 」というとか。
問われて名乗るもおこがましいが <日本駄エ門>
さてその次は江ノ島の <弁天小僧菊之助>
続いて次に控えしは 〈 忠信利平>
亦その次に連なるは <赤星十三郎>
さてどん尻に控えしは <南郷力丸>
有名な弁天小僧菊之助の「知らざあ言って聞かせやしょう」も同じ青砥稿花紅彩画(白浪五人男)の別の場である「浜松屋店先の場」でのセリフである。盗っ人連中にしてはなんとも悠長かつ優雅な名乗りである。

キリがないのでもう一つだけ名乗り例を。
香具師寅さんの挨拶。お控えなさっての流れであろうが、誰にも好かれるこちらの方は、同じくどこかのんびりしている。
「 わたくし 生まれも育ちも 葛飾柴又でござんす 。帝釈天で産湯を使い 姓は車 名は寅次郎 。人呼んでフーテンの寅と発します 。とかく西へ行きましても 東へ行きましても 土地土地のおあにいさん おあねえさんには ご厄介かけがちなる若造です 。
以後見苦しき面体お見知り置かれまして きょうこう万端引き立って よろしく お頼もうします。」

ところで、名乗る時はやはり名前が短かい方が好都合だ。長いのは厄介である。
世界で一番長い名は、英国エリザベス女王 であると、井上ひさしの随筆で読んだことがある。
ElizabethⅡ,by the Glacé of God,of the United kingdom of Great Britain and Northern
Ireland and Her Other Realms and Territories Queen ,Head of the Commonwealth,
Defender of the Faith
確かにこれではマイネームイズと切り出して何秒かかろう。フルネームで声をかけるのも難儀というもの。
日本では長い姓は武者小路、長宗我部などせいぜい4文字くらいか。名前は、吉左衛門など4文字くらいしか 知らない。合わせて8文字くらいか。いや十文字、千文字 という姓があると言うのは下手なシャレ。

本題から離れるが、実在しない長い名前なら落語に広く知られた寿限無がある。
「寿限無(じゅげむ)寿限無(じゅげむ)、五劫(ごこう)のすりきれ、海砂利水魚(かいじゃりすいぎょ)の水行末(すいぎょうまつ)、雲来末(うんらいまつ)、風来末(ふうらいまつ)、食(く)う寝(ね)るところに住(す)むところ、やぶらこうじのぶらこうじ、パイポパイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命(ちょうきゅうめい)の長助(ちょうすけ)」

「 寿限無」の意味は、むろん生まれた子供の命名の話だからめでたいものを並べ立てたものだ。寿限無を繰り返すところ、リズム感、最後のちょうすけ、と切るところなど吹き出さない方がおかしい。
その目出度い中身は案外知らないひとが多い。まぁ、笑えば良いのだから中身など何でも良いのだが。長くなったついでながら。
「寿限無」は、寿命限り無し。いつまでも死ぬことがないということ。
「五劫の摺り切れ」一劫は、たとえはいろいろあるが、その一つは、天人が三千年に一度下界に下って岩を衣で撫でる。こうしてその岩を衣で撫でつくして摺り切ってしまうまでを一劫という。従って五劫は億万年という数えきれない年をいう。
「海砂利水魚」というのは、海の砂利と水中の魚。何百年たっても取り尽くせないほどたくさんあるという意味。
「水行末雲来末風来末」は、水の行く末、雲の行く末、風の行く末。いずれも果てしがないほど行く先が広い象。
「喰う寝る所に住む所」とは衣食住のいずれか一つが欠けても生きていけないが全て確保されている。
「やぶらこうじ、ぶらこうじ」藪柑子の木は強い木で、春には若葉を生じ、夏には花を開き、秋には実を結び、冬には赤き色を添えて霜雪をしのぐというめでたい木。
「パイポのシューリンガン、グーリンダイ、ポンポコピー、ポンポコナー」昔、もろこし(中国)にパイポという国があり、シューリンガンという王とグーリンダイという后がいた。その二人の娘の名がポンポコピーとポンポコナーで、二人そろって長生きしたという。
「長久命」長久と長命を合わせて長久命。
「長助」長く助けるという意味。

これと反対に実在する短かい姓名は我が国ではニ字 だろう。林さんちの実君など。音(おん)ではどうか知らない。禹(う)さん、李(り)さんという名字があるからその家に一音の名の人がいれば、それが最も短いことになろうが一音の名前は思いつかない。
周知のように天皇家は姓にあたるものがないので、天皇、皇(太)后、皇太子(妃)、(内)親王とも名前だけであるが、不勉強ながら推察するに、名が一文字、まして一音というのは過去にも無かっただろうと思う。
一方、昔苗字帯刀を許されなかった庶民も、当然名前だけであったが一字、一音があったかどうか知らない。な(奈、菜)さんなどありそうな気がするが。
私は「な」と言います。と簡単な代わり聴き取りにくそうだ。

むろんここで珍名探しをするつもりは全くないので、今回はこの辺でやめることにする。
それにしても名乗るというのは、一人称であり、自己主張、自己表現の第一歩であるが、その名乗り方は、当然時代によって大きく変わるものだと考えさせられる。

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