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戒名 [随想]


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名前にまつわる話の三つ目は戒名であるが、話が「コレデオシマイ」というわけではない。

辞書を引いてみると、もともと戒名とは僧侶が受戒するときに受ける法名のこととある。仏門に入った証(あかし)、また戒律を守るしるしとして、新たに身につける真の名前という意味でこの法名を諱(いみな)といい「法諱」(ほうい)ともいったとある。 諡(おくりな)は、生前の徳行によって死後に贈る称号のことである。
日本では時代が下ると、僧侶が俗人の葬式において死者に授戒し、戒名として諱(いみな)、つまり「忌み名」を与える儀礼が行われるようになる。
このため、諱(いみな)は諡(おくりな)と混同されて現在ではしばしばほとんど同義に使われているとのこと。
周知のように現代でも、 死後に浄土で仏と成る浄土思想にもとづき、故人に戒名(鬼号、追号)を授ける風習続いており、死後に葬式のときにお寺の僧侶に戒名をつけて貰うことはごく一般的に行われている。

浄土真宗では、戒名とはいわず「法名」、日蓮宗系(日蓮正宗を除く)では、「法号」がそれぞれ正式な名称というし、禅宗では戒名がないとか聞くなど同じ仏教でもまちまちである。戒名については自分の理解も、もうひとつというところがあって少しく心もとない。

さて、現代の戒名は評判がすこぶる悪い。遺言に戒名無用とを書く人もいるくらいである。
その理由は戒名料の根拠、基準がなくいわば闇の中で、つけてもらった時いったいいくら包めば良いのか相場もなく曖昧模糊、不透明であるとか、お志次第と言われたりするとか沢山あるが、つきるところそれが高価だということにあるようだ。数万円から最高位の院殿号になると数百万ともいわれる。しかも信士、信女 ー居士、 大姉ー院号 ー院殿号などクラスがあることも、死んでまで格差があって金次第かという反発を招いてもいる。

そこで不透明感を払拭するためか、最近はネットで戒名をつけてもらう方法もあるようだが、手軽になるにしても、リーゾナブルな値段になるのかなど詳しいことは知らない。

皮肉に聞こえてもやむを得ないし、独断偏見でもあることは承知だが、考えてみるに戒名は亡くなった人の伝記の側面がある。戒名料は伝記の原稿料だから高いのだ。

横道にそれるが、「伝記稿料」で好きな連句の付句を想い出した。芭蕉の頃の俳諧連句は難しく読んでもわからないのが多いが、現代の連句は素人でも十分愉しめる。残念ながら出版されている歌仙集は少なく図書館にも丸谷才一 、大岡信らが巻いた歌仙の本、「とくとく歌仙」、「すばる歌仙」、「浅酌歌仙」など数冊しか無い。付句の解説がついているのでそれを楽しむ。正確ではないかも知れぬが、好きで覚えているのがある。次の付け句だ。

モンローの伝記稿料5万円 丸谷才一
どさりと落ちる軒の大雪 大岡信

どさりとモンローが良く合う。傑作だと思う。

閑話休題、僧侶は短時間に故人の人となりと生きざまを聞きとり戒名をつける。一般的に長い(字数が多い)ほうが格が上とされていて、現在の基本形は「院号」・「道号」・「位号」で成り立つので実際の「戒名」は二文字もあれば立派に成立する。
 たとえば、「○○院妙徳靜和大姉」という戒名は、○○院が「院号」、妙徳が「道号」、靜和が「戒名」、大姉が「位号」となるという。
 要するに、決まり文句のほかの少ない文字でその人の一生を、つまり伝記を書きあげる。
 この少ない文字は、本来は故人が生前、お寺のために一生懸命に尽くしてくれたことへの寺側の感謝の意を表わすために使う。例えば寺の修理をしてくれた、寄進をしてくれたなど、いろいろな功績があった人に何かをしてあげたいが、お金というわけにいかぬ。そこで、名前に感謝の意を示す言葉を追加し、あの世に見送るのだ。
それが建前であるが、実際にはその人の生い立ち、生業、宗教心 人柄などから適切な漢字を選択し当て嵌めてつけるのが多いようだ。むろん生きていた時の本名、つまり俗名から字を取るのもある。
この辺りのことは、親しい方を見送ることになった誰でもが経験し始めて知ることが多い。

そんな目で著名人の戒名をいくつか見てみよう。
漫画家の手塚治虫 は伯藝院殿覚圓蟲聖大居士。文豪夏目漱石 は文献院古道漱石居士。なぜ漫画家が大居士で文豪は居士なのか。「虫」、「漱石」ともペンネームから。
江戸幕府300年の祖、徳川家康 の戒名は二つあって安国院殿徳蓮社崇誉道和大居士と東照大権現安国院殿徳蓮社崇譽道和大居士。ふたつながら「誉」が使用されている。徳川幕府が浄土宗を支援した。院殿号がついていることで、その支援が並でないとわかる。「権現」は神号であるが、問題ないのであろうか。本地垂迹説もあり余計な心配か。
御巣鷹山日航機事故で早逝した坂本九 は天真院九心玄聲居士。「九」と「声」が戒名に入っている。今でもファンの多い、急性白血病で若くして亡くなった夏目雅子は芳蓮院妙優日雅大姉。「優」は女優の優か。昭和の歌姫、美空ひばりは茲唱院美空日和清大姉。「唱」と「美空」は分かるが、「和」は和也君じゃないだろう。それぞれの文字にそのひとの自分史、伝記を彷彿とさせるものが散りばめられているような気がする。

しかし戒名が全てそうではなく例外もあるのも確かである。物知り文士幸田露伴の戒名は 露伴 。位号もなく短いが、一文字幾らという戒名料は低廉だったのだろうか。
「パリ燃ゆ」の大佛次郎 は大佛次郎居士だそうで本名と同じとは、我が「伝記説」とちがうが、本人の遺言なのかあるいは別の事情があったのか知りたくなる。
また、「あと三千回の晩餐」、「人間臨終図鑑」「コレデオシマイ」などで有名な作家の山田風太郎 は風々院風々風々居士 と生前から 勝手に自分で称していたらしい。当然これはお寺からの正式?な戒名ではないが。

自分が知らない自分の名前、それが戒名である。あたりまえだが戒名は一人称になりえない、勿論名乗ることもないし、位牌に記されるだけで名刺に印刷することもないという、よく考えてみればおかしな名前である。
本人のために命名されるのではなく、畢竟遺された者のためのものであろうが、かと言って遺された者が決して使うこともない不思議な名前である。


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