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俳号と俳名(その1) [随想]

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俳号(はいごう)あるいは俳名(はいめい)とは、俳諧あるいは俳句を作る際に用いる雅号のことである。この雅号(がごう)とは、文人・画家・書家などが、本名以外につける風雅な名のことである。

例えば、「漱石」は夏目漱石 の雅号である。本名は夏目金之助。俳号はよく知られるように愚陀仏。尤も「漱石」は俳号でもあり筆名でもある。
「鴎外」は森鴎外 の雅号である。本名は森 林太郎。「大観」は近代日本画壇の巨匠、横山大観の雅号。本名横山秀麿(よこやまひでまろ)。
「白石」は江戸時代の学者新井白石 の雅号であり、本名は新井勘解由君美。「松陰」も吉田松陰 の雅号、本名吉田寅次郎矩方。「海舟」は勝海舟 の雅号、本名は勝安房守義邦 、 勝安芳。幕末維新に活(暗?)躍した。
政治家も雅号を持つ。「南洲」は西郷隆盛 、「甲東」は大久保利通 、「松菊」は木戸孝允 、「東行」は高杉晋作 、「世外」は井上馨 、「木堂」は犬養毅 、「咢堂」は尾崎行雄の雅号である。それぞれの由来は、あるだろうが不勉強にして知らない。大勲位は雅号ではなかろうから、引退した人を含めて近年の政治家に雅号をもって呼ばれる人がいるのかどうか、これも知らない。

正岡 子規(まさおか しき)の本名は常規(つねのり)。幼名は処之助(ところのすけ)で、のちに升(のぼる)と改めた。のぼさんである。
雅号が「子規」。子規とは、ホトトギスの異称で、結核を病み喀血した自分自身を、血を吐くまで鳴くと言われるホトトギスに喩えたことはよく知られている。「子規」は俳号でもある。また別号として、獺祭書屋主人、竹の里人、香雲、地風升、越智処之助(おち ところのすけ)なども用いたという。
子規の随筆「筆まかせ」の「雅号」の中で自分が54種類の号を用いていると書いているのには驚き呆れる。一体何のためにどう使い分けたのだろうか。そんなに沢山の自分の名前を覚えていられるものだろうか、と余計な心配もしたくなる。
加えて多くのペンネームが用いられている。有名な「野球」(のぼーる)もそのひとつである。
これもよく知られているが、別号のうち「獺祭書屋主人」の「獺」(だつ)とは川獺(かわうそ)のことである。かつて中国において、川獺は捕らえた魚を並べてから食べる習性があり、それは人が祭祀を行い、天に供物を捧げるさまのようであると信じられていたという。それを詩歌改革をめざして書物を開く自らに重ねて雅号としたのである。

現在では、俳人の雅号を「俳号」という。
「俳名」という場合は歌舞伎役者が持つ「異名」を指すことが多い。江戸時代、歌舞伎役者には素養として俳諧をはじめとする風流の道をたしなむ者が多く、もともとはそのための号として俳号が生れたという。この文化的流行が歌舞伎役者に一般化するにつれて俳名に変化し、それが役者の愛称として、舞台に声を掛ける際などにも使われるようになったといわれる。
この俳名が現代の俳優名に発展したとのことであるが、俳諧やその発句たる「俳句」が歌舞伎、演劇のちに映画などの「俳優」と密接な関係があるのは何やら面白い。共通する「俳」という字は辞書を引くとなるほど「俳優」、「俳句」の二つの意味がある。
江戸時代も後期に入ると役者は、屋号、芸名のほかに、俳句を作る作らないに関わりなく必ず俳名を持つようになり、さらにはその俳名が独立してひとつの名跡となることもあった。
やや横道に逸れるが、名跡(みょうせき)とは、家制度と密接に結びつき、代々継承される個人名。または家名のことである。
名跡の襲名は歌舞伎や落語等の寄席演芸、家元制度を採る茶道、華道、舞踊など各種の芸能、芸道に多く見られる、日本独特の制度・慣習の一種である。
歌舞伎、能楽、狂言、人形浄瑠璃、邦楽、日本舞踊など日本の芸能のいずれの分野にも名跡襲名が存在し、このシステムがその文化継承にも寄与しているという側面もあると思われる。
歌舞伎の場合では、尾上菊五郎系統の梅幸、松緑、中村歌右衛門系統の芝翫、梅玉、片岡仁左衛門系統の我童、我当、芦燕などが「俳名由来」の名跡である。二代目市川猿之助が名乗った初代猿翁、八代目松本幸四郎が名乗った初代白鸚などはそれまで彼らが使っていた俳名を隠居名として名跡にしたものという。
現在では俳名由来の名跡を継いだ役者にもそれとは別に俳名がある。例えば七代目尾上梅幸の俳号は「扇舎」であったという。
ところで、現代の名優9代目松本幸四郎 (市川染五郎)は俳句を実際にものす。芝居に生きる様を詠んだものに佳句が多い。俳名 は錦升。江戸時代から脈々と続いてきた役者の俳句の遺伝子が佳什を詠ませるのだろうか。そうとすると江戸時代の文化というのは奥深く侮り難いものがある。

相撲の年寄株なども同じようなものだろう。年寄名跡(としよりみょうせき)とは、日本相撲協会の「年寄名跡目録」に記載された年寄の名称であり、俗に年寄株、親方株とも呼ばれる。年寄名跡は、日本相撲協会の役員になったり、相撲部屋を作り弟子を養成するために必要な資格である。一代年寄を除く年寄名跡の定数は105家である。
春日野かすがの、時津風ときつかぜ、尾車おぐるま、九重ここのえ、武蔵川むさしがわ、宮城野みやぎの、錣山しころやま、花籠はなかご、伊勢ノ海いせのうみ、二所ノ関にしょのせき、立浪たつなみ、放駒はなれごま、間垣まがき、不知火しらぬい、荒磯あらいそ、二子山ふたごやま、友綱ともづな等々優雅な名前ばかりである。名跡はそのまま我々が力士の紹介で聞く部屋名であるが、前々から何と雅なネーミングだと感心していた。おそらく古歌やその歌枕などから命名しているのであろう。 タカラジェンヌも顔負け。
相撲茶屋、巡業問題などのほかこの親方株が相撲改革の目玉というのだから、中身を知らないが何やら厄介なシステムなのだろうと思料する。
なお、一代年寄というのがあるが、現役時代の功績が著しかった横綱が引退した際、日本相撲協会の理事会がその横綱一代に限って認める特別な年寄名跡で、名称には大鵬、北の湖、千代の富士、貴乃花など引退時の四股名がそのまま用いられる。

雅号の話から相撲部屋の名前にまで飛んでしまい長くなったのでこれは前篇として後篇の俳号の方に移ろう。











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