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俳号と俳名(その2) [随想]

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俳号の話しとあれば、やはり俳聖芭蕉から始めなければなるまい。
松尾芭蕉の若い時の俳号は「宗坊」、のちに母方の桃地姓から「桃青」、深川に遁世して「芭蕉」(はせを)と号したことは有名である。芭蕉は弱い風にも破れるので「風羅坊」とも名乗った。弟子が深川の庵にバショウを植えたからという単純なことで無く、芭蕉は謡曲「芭蕉」に出てくる無常なる女の妖怪だということを承知でつけたとする説は面白い。(嵐山光三郎 「悪党芭蕉」 新潮文庫)
あまたの俳人の号はそれぞれのいわれや訳ありなのだろう。
蕉門十哲というのは、必ずしも定まっている訳ではないが、俳号を十哲にみれば、以下のとおりである。江戸時代の俳号の一例として挙げてみる。
宝井其角(たからい きかく)、服部嵐雪(はっとり らんせつ)、森川許六(もりかわ きょりく)、向井去来(むかい きょらい)、各務支考(かがみ しこう)、内藤丈草(ないとう じょうそう)、杉山杉風(すぎやま さんぷう)、立花北枝(たちばな ほくし)、志太野坡(しだ やば)、越智越人(おち えつじん)
十哲は杉風・北枝・野坡・越人の代わりに以下の4人を加える説などもある。
河合曾良(かわい そら)、広瀬惟然(ひろせ いねん)、服部土芳(はっとり とほう)、天野桃隣(あまの とうりん)。
彼らはそれぞれ藩士や医師、商人などでむろん本名を持つが、歌仙を巻く時、発句集を編む時などこれら俳号を名乗ったのである。

現代では俳号を持たないで本名で通す俳人もいるが、多くは句会で披講されるときに、選に入って自身の句が読み上げられると俳号を名乗るのである。

東京柳句会というのがある。プロの俳人でなく皆本業を持ちながら俳句大好き人間が集まり、句会を開き40年も続いているという。この人たちの俳号もそれぞれ訳ありだろうが由来を知らなくとも眺めているだけで面白い。むろん句も個性的で良句も多いが。
宗匠の入船亭扇橋の俳号は「光石」 落語家。永 六輔 が「六丁目」作家,放送タレント、大西信行は「獏十」 劇作家,演出家,脚本家である。小沢昭一は「変哲」俳優、桂 米朝は「八十八」落語家。加藤 武は「阿吽」 俳優、柳家小三治が「土茶」 落語家、矢野誠一 は「徳三郎」 作家,評論家。
アマチュアでも俳号を持つともなればむろん本格的である。俳優名、落語家名、ペンネーム、あるいは本名を頭に浮かべ、俳号を見て句を鑑賞するとにやりと微苦笑も生じるというものだ。
例えば「すみれなど咲かせやがって市役所め」変哲など。

我らの詩人高橋順子(ファンなのである)の俳号は泣魚。親友と連句で遊ぶ時の俳号と言うが、夫である車谷長吉氏と両吟歌仙を巻いて遊ぶ時にも使うのだろう。しみじみ生活であろう。羨ましい。
「芭蕉 の句、行く春や鳥啼き魚の目は泪からですか、とよく聞かれるが泣き虫だから、付けたまでのことである。魚も好きだし」とおっしゃる(「うたはめぐる」文藝春秋)。
「 春の風邪声を飾りてゐるやうな」
ついでながら 、泣魚さんが夫婦句会「駄木句会」を催すという、つれあいの車谷 長吉(くるまたに ちょうきつ)は作家で俳人。本名、車谷嘉彦(くるまたに よしひこ)。筆名の「長吉」は唐代の詩人李賀にちなむ。 
   「殉情の男ぬかづく春の土」  

次のこちらはプロの俳人の俳号。アトランダム。添えた句は代表句というより自分が好きな句。
「森澄雄 」 本名森澄夫。雄と夫の差はどいう感性の差か。妻蘢俳句は嫌いという人もいるが、嫌うのは変。孫俳句とは違う。
「 除夜の妻白鳥のごと湯浴みをり」
「藤田湘子 」 本名藤田良久。
「天山の夕空も見ず鷹老いぬ」
「飯田 蛇笏」(いいだ だこつ ) 本名、飯田武治(いいだ たけはる)。別号に山廬(さんろ)。4男「龍太」も俳人。笏は束帯着用のときに右手に持つ板。もとは備忘メモ用紙を貼るためのもの。蛇のメモ板とは。
「 をりとりてはらりとおもきすすきかな」
「中村 草田男」(なかむら くさたお) 本名・中村 清一郎(なかむら せいいちろう)。自分を本名の「清い」の反対の男だと自嘲、卑下し付けた俳号と何かで読んだ気がする。
「降る雪や明治は遠くなりにけり」
「松根 東洋城」(まつね とうようじょう)、本名は豊次郎で俳号はこれをもじった。
   嶋じまや湾の奥まで春の海  
「高浜 虚子」(たかはま きょし)、本名の高濱 清(たかはま きよし)からの俳号。
「初空や 大悪人虚子の 頭上に」
「河東碧梧桐」(かわひがし へきごとう)も本名秉五郎(へいごろう)から音韻連想つまり洒落。
「赤い椿白い椿と落ちにけり」

「鷹羽 狩行」(たかは しゅぎょう)、本名・高橋行雄。
「スケートの濡れ刃携へ人妻よ」
「坪内 稔典」(つぼうち としのり)、俳号では、「ねんてん」。本名をおんよみで別の字を当てるのは案外多い。
「 三月の甘納豆のうふふふふ」

俳人ではないが文人俳句作者の「芥川龍之介」(あくたがわ りゅうのすけ)、号は澄江堂主人、俳号は我鬼。河童ではない。
「 水洟や鼻の先だけ暮れ残る」
劇作家「久保田 万太郎」(くぼた まんたろう)の俳号は暮雨、傘雨。筆名は千野菊次郎。 
「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」
女流俳人では、「杉田久女」(すぎた ひさじょ)本名は杉田久(すぎた ひさ)。
「谺して山ほととぎすほしいまゝ」が特に名高い。
橋本 多佳子(はしもと たかこ)本名、多満(たま)。旧姓、山谷。
「乳母車夏の怒濤によこむきに」は好きな句だ。
「中村汀女」(なかむらていじょ)本名破魔子(はまこ)。台所俳句と言われたが、意に介さず。
「外(と)にも出よ触るるばかりに春の月」
「星野立子」(ほしのたつこ)高浜虚子の次女。
「ままごとの飯もおさいも土筆かな」
「三橋鷹女」(みつはしたかじょ)本名たか子。
「この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉」
この多佳子、汀女、立子、鷹女は4Tと称されたことで知られる。

さて、著名人の雅号、俳号などの面白い話から次元の低い自分の話に落ちるが、
自分もときどき「俳句もどき」「川柳もどき」を作って一人で遊ぶ。習ったこともないのでまともなものとはおよそ言えないが、その時は「杜 詩郎(と しろう)」というWeb名を使っている。俳号はもともとは句会で抜かれた時の名乗り名だそうだが、句会というものやったことがないので必要性も無いから実感にも乏しい。
全て一人遊び用でたわいの無い俳号も「もどき」である。このWeb名は、10年以上も前にHPを作った時まだ現役だったので本名を出すのを憚り、本名をもじってつけたもの。自分が好きな李甫の「杜」と「詩」の字がたまたま気に入っただけのことである。一人だけの本を作るバーチャル出版社名も「杜白書房(としろしょぼう)」。「李甫」という言葉はあるが「杜白」という言葉は無い。それが気に入っている。
俳号を作るときは何か自分が別人になるような気がするものだ。
この感覚は、雅号や俳号をつける動機のうち重要のものだという気がする。
自分の場合は、たぶん実は何も変わるわけではないのだが。誰にも変身願望があるのだろうか。本名以外にWeb名やハンドルネームを名乗るのはこの変身の気分を味合うことだが、その効用は奈辺にあるか知らぬ。ただ、変わったような気がするだけで何も変わらないような気もする。

雅号を持つほどの人はまた違うのかもしれないが。



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