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流政之の世界 たまちゃん、雲の砦、コイコリン [随想]


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毎週一回金曜日に通っているAカルチャー教室は、住友三角ビルの4階にある。
このビルは1974年(昭和49年)3月建てられ、新宿西口新都心の高層ビルの中でも草分的存在である。日本の高層ビルでは初めて200m(210.3m)の高さを越えたビルとして建築業界では良く知られている。
ビルが竣工したとき、片隅に"Samurai Artist"の異名を持ち世界的に活躍する彫刻家、作庭家である流 政之氏(ながれ まさゆき、1923生まれ)の「たまちゃん」という黒い石の彫刻が一緒に披露されたことはあまり知られていないが、今でも人気があることは、時折り立ち止まって見ている人がにこにこ顔をしていることで分かる。
台座に次の文章が刻まれている。

  ひとにいのちあれば ねこにもいのちあり
  江戸の里をひらきし太田道灌
  この地の北でいくさに敗れ
  あわやいのちを失わん時
  一匹のねこあらわれにげ道をあんない
  いのちをとりとめ江戸を開いた
  なれどこのかくれた江戸の恩猫も
  ねこなるゆえに名ものこらぬはふびん
  江戸のいゝたま玉ちゃんと名づけ
  のちのちまでの江戸のまもりとす
             つくりびと  流 政之
ねこの生まれ 文明狂年

太田道灌を助けた猫とあるが、流氏一流のジョークか。「ひとにいのちあれば ねこにもいのちあり」というのが何とも言えずよろしい。
たまたまそばに都庁があるが、この猫は道灌ゆかりでしかも江戸のまもりとあればそこにあった方が似つかわしい。都庁にも巨大な赤い動くオブジェやイサムノグチの彫刻などが幾つもあるけれども、太田道灌の像も江戸にゆかりの像もない。全て調べたわけではないので、あるいは何処かにあるのかも知れないが。

昔有楽町の都庁にあった鷹狩り姿の太田道灌像は、今は東京国際フォーラムの中にある。

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この像は、開都500年を記念して造られたもので朝倉文夫作(昭和31年10月)。旧東京都庁第一庁舎前にあったが、都庁が平成3年に新宿新都心へ移転したとき何故か一緒に移らず、跡地に平成9年に建てられた東京国際フォーラムの中に移設されたのである。江戸城の近くに居たいとゴネた訳ではないだろうが。 大田道灌は1457年に江戸城を築城した江戸の開祖・父とも言える人物。その後、徳川家康が江戸(東京)に幕府を開いたのはおよそ150年後の1603年である。 

三角ビルには、この他彫刻、オブジェは6、7個はある。忘れるところだったが、たまちゃんのそばに同じ流政之の「恋弁天」という彫刻も建っている。こちらの由来は、同じく台座につぎのように刻されている。

恋はみづもの 水あれば
心は狂い 花が咲く
その昔よりこの地は
沼や池水ゆたかなる里
水をもとめてひと あつまり
さかえしという
いらい弁天をおき 水をまつる
ゆえに 新宿の弁天たちは
恋には 水をささぬとの 伝え
つくりびと 流 政之
うまれどし 一九七五年
 その後、いつの頃からか当地を訪れる人々の間で恋弁天に祈ると恋が叶うと囁かれはじめたとして、平成8年5月縁結び神様として知られる出雲大社より縁結びの霊験を授かるべく修祓式が執り行われた。新宿住友ビルもなかなか味なことをしたものである。
 恋弁天の像は雨ざらしのたまちゃんと違って煉瓦の天蓋の中にあるが、像はまことにユニークで艶かしい。何やら良縁と幸福の御利益がありそうな雰囲気がある。

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流 政之氏は長崎県生まれ、海軍飛行予備学生の零戦搭乗者で終戦を迎え、彫刻は独学と言う。
1975年には、ニューヨーク世界貿易センター(WTC)のシンボルとして広場に約250トンの巨大彫刻「雲の砦」をつくり国際的評価を得たことで知られる。
この「雲の砦」は黒い御影石の三角錐がふたつひねられて連結されており、その両端が少し浮き上がっている。折れたプロペラにも見えるが、流は「浮上三角形」と呼んだという。
私はこれは彼のカモフラージュでは、なかったのではないかと疑っている。エノラゲイに到底飛行高度において届かなかった零戦の墜落機のプロペラか、はたまた殲滅されたアメリカ原住民インディアンの雲と消えた砦かだったのではと妄想が沸いて出てくる。建築家の脳裡にそれらがよぎらなかったと誰が断言出来よう。してみれば4半世紀にも亘り広場でニューヨークっ子に親しまれ愛されたのは何だったのだろうか。当時は世界最大の石による現代彫刻と呼ばれた。20のパーツに分かれる黒御影石が、緻密な構造計算によって連結されていたという。
2001年9月11日、ペンタゴンなどと同時に、雲の間から現れた数機の旅客機がWTCに突っ込む。広場にあった「雲の砦」までが忌まわしいテロに巻き込まれたのは、何を意味するのか、何とも皮肉としか言いようがなく傷ましい。

この作品は、このテロでも破壊されずに残ったが、人命救助のためその後取り壊された。「雲の砦」を二分の一に縮小したその名も「雲の砦Jr.」が北海道立近代美術館にあるという。

流氏は、放浪の作家とも言われ、香川県や北海道など全国各地にそこの風景に溶け込んだ作品を沢山作っている。
流氏の作品はどれも形からしてユーモラスで、それぞれにユニークな名前が付けられ、あたかも人と同様に人格が備わっているような親しみを感じさせるのが特徴である。
例えば「波しぐれ三度笠」、1989年 鳥取県赤碕町菊港。(「ながれもん三度笠」1993年 モービル石油本社(ヴァージニア州)というのもあるとか。)
大手町に勤めていた頃によく見た丸の内仲通り東京海上パブリックアート「波神楽」(1974年)など。
石の素材感も残しつつも鋭利な直線が魅力的だが、一方丸み持った輝く面もあり、つい手を出して撫でたくなる誘惑に捉われるような作品も多い。東京三菱UFJ銀行「さわり大黒」(1973年)など。

古いのでは、猫好きにはたまらぬ愛らしさの銀座4丁目のコイコリン。恋の招き猫、縁結びスポットとして有名。1963年(昭和38年)、株式会社三愛が三愛ドリームセンターの建設時に銀座の名所になるように設置して多くの人に親しまれている。
コイコリンという名称は何なのか知らない。銀座だから恋のコイだろうか。
当時巷には裕次郎の銀座の恋の物語、フランク永井有楽町で逢いましょうが流れていたけれど直接関係あるまい。
コリンは動植物の組織、例えば脳などにある塩基性の物質で脂肪代謝の調節などに作用するものというが彫刻家は知っていたと思えない。単純に造語であろう。
それにしても、コイコリンとは、わけが分からないところがうまいネーミングである。
猫は番いでそれぞれ「コイコリン ごろべえ」(オス)、「コイコリン のんき」(メス)という名前が付いている。ごろべえ、のんきの名も由来を詮索するのは野暮というもの。男性は「のんき」を女性は「ごろべえ」を撫でると願いが叶うとか。いや逆だったか。撫でたい人はちゃんと調べてからいった方が良い。

流政之氏は1923年2月生まれというから今年89歳になる。そのバイタリティは、なまなかなものではない。いったいそれがどこから生ずるものかを、知りたいものだ。



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