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うまいものにはわけがある [随想]

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大阪に赴任したとき、関西の美味しいものはと聞くと、沼島(ぬしま)のはも、長岡京のたけのこ、琵琶湖の焼きもろこ、丹波のいのしし、間人(たいざ)のかに、大阪泉南の水ナスと教えてくれた人がいた。
また、琵琶湖の源五郎鮒のなれ鮨、鴫なべ、兵庫の魚棚の穴子、京都のすっぽん鍋などを推すひともいた。 別の人はてっちり、くじら鍋が一番という。美味しいものは無限にあるが、こればかりは好き好きであり、推すものが人によって違うのはあたり前である。
料理が美味しいわけは沢山ある。また美味しく食べる条件もたくさんある。健康で空腹感があること、食材が新鮮であること、料理が上手なことなどはむろん欠かせないが、食べる雰囲気や食べるものに楽しい情報が付いていることも大切である。人が美味しいと言ったとか、稀少なものであるとかが舌に微妙な影響を与える。
関西の美味しいものというのは、なるほどその通りだったような気がするが、なにせ昔のことでどんな美味しさだったか残念ながら、味の記憶も茫漠としたものになっている。
沼島のはもは、鋭い歯が光り、内臓の刺身が七色に輝いていたこと、長岡京の筍ステーキの分厚さ、焼きもろこの焦げ目、猪の肉の朱色、松葉蟹のみそのにぶい色と鮮やかな赤い殻、水ナスの薄い青紫など視覚的な記憶の方が、味覚の記憶より強く残っているのは何故なのだろうか。
つらつら思うに、誰もが美味しいというものには必ず「美味しいわけ」がある筈だ。それが分かればいつも美味しいものにありつけることになる。
上記の美味しいのは湖や土中の微生物、深海に生息するプランクトンなどを体内に取り入れたものばかりである。人間もそこに含まれている何かミネラルなどを必要とするから美味しいと感じ 、それを欲するように身体が出来ているのだろうか。
関連して思い出すのはブルゴーニュでテイスティングの真似事をさせて貰った時に、現地の人から聞いたワインの葡萄の木の話である。ぶどうの木は長い時間をかけて地の底の石灰岩か何かの層に辿り着き、その養分を吸い上げ葡萄の実に送る。それが美味いワインの出来る理由だと聞いた。シャブリなどの芳醇で独特なカルシウムを思わせる風味を味合うと納得感がある。だから長い根を持った古木の葡萄からしか、良いワインは出来ないという。しかも地層は複雑だからワインは地域、村(ヴィラージュ)、畑(クリュ)毎に味が異なるのだという。

さて、河豚に代表されるが、美味しいものは残念ながら欠点は値段の高いことである。大阪のみなさんが教えてくれたものは、皆高価である。とくに、あまり知らないが、料亭などで名のある処、いくつか聞いて耳に残っているのでは蟹の和久伝、鮒寿司の想古亭、筍の錦水亭、鼈の大市など、で食べようとすれば財布が悲鳴をあげる。このうち食べたい時に買って、旬であればだが、気軽に食べられるのは、まあ水ナスくらいだろう。

リーゾナブルな値段、つまり料理に場所代、雰囲気代など必要以上のコストがかからないものと同義だが、安くて美味しいものがあれば何より素晴らしいことである。
関西では、まずきつねうどん、お好み焼き、なかでも十三のネギ焼き、たこやき、鶴橋の焼肉、平野の押し寿司などたくさんある。繰り返して食べてもいつも美味しいというのが何よりである。安いというのが味のスパイスになっているのは貧乏性でもある。

大阪や京都にかぎらず、世に料理の達人というのがいる。経験と工夫、探究心などに驚かされるが、何よりその感性は天与のものであろう。味覚のみならず、色彩感覚にも優れ、とくに食材の付け合わせにおいてその感性はいかんなく発揮され食べる人を驚かす。
高価で新鮮かつ良い食材を使えば、素人でもそれなりの美味しい料理は出来る。しかし、ありふれた食材で美味い料理を作る時に、鉄人達はその力を発揮するのだ。
いつも思うのだが、彼らの技術と感性を科学的に解析しマニュアル化したレシピが出来れば、家庭料理は一段とレベルが向上するだろう。

料理が美味いのにはかくの如くそれぞれわけがある。美味いわけは、勿論これだけではない。他にもたくさんあってきりがないほどだが、思いつくままいくつかあげてみたい。

まず料理で大事なのは、周知のようにだしである。昆布、かつお、あご、いりこなどプロも伝統的家庭料理も、これが秘伝になったりするくらいだ。それに劣らずに重要なのはスパイス。唐辛子、にんにく、胡椒、丁字、香草など古から工夫されうまい料理にふんだんに使われてきた。料理の過程で使う多様な調味料、食べる時に使う調味料もたくさんあってこれがうまい料理の理由であることも多い。

スペインのイベリコ豚ハムのように風土と人の努力の積み重ねが美味しい食材を作る。作物は肥料や農家のたゆまぬ努力による土作りが一番と良く言われる。土が美味しい野菜、果物を育てることは間違いない。

食材でいえば、流通、保管過程での品質管理の進歩がうまい料理に役立っていることは明白である。近年の冷凍技術、輸送技術は革新的であり、日進月歩である。一般人の我々でも秋刀魚の刺し身や活きた烏賊を堪能出来るようになった例を見れば良く分かるというものである。

食材の品種改良は、地味な時間のかかる仕事であるが多くの人のたゆまぬ努力によって続けられている。とくに毎日食べる主食の米、小麦などは、果物や野菜などの華やかさはないにしても着実に進んでいる。米のコシヒカリ、小麦でいえばスターキングなどを挙げるまでもなかろう。

美味いものに発酵技術の進歩は見落とせない。先人の知恵は納豆、漬物、寿司、酒、味醂、酢、味噌、醤油など上手いものを作りだした。すべて微生物を活用した発酵食品であるが、バイオ技術と相まってまだまだ開発、進化するだろう。

料理を引き立てる酒も忘れるわけにはいかないだろう。料理とワインの相性を持ち出すまでもない。

家人は美味しい料理は熱いこと、ぬるいのは絶対ダメという。器を含めてであると。確かに単純なことながら熱いものは熱く、冷たいものは冷たく食べるのが一番であろう。

ところで、子供の頃に食べたものが一番美味しいと感じるとはよく聞く話だ。結局のところおふくろの味であり、家庭の妻の味が一番ということにもなる。きっとそうであろうが、これまであげた美味いもののわけとはどういう関係になるのであろうか。また、歳をとると飛び上がるほど美味しいものなど、そんなに欲しいこともなくなり、鰯の干物やお新香など質素ながら淡白なものを好むようになるのは、そもどういうことなのか。味覚というものまだまだ分からないことも沢山ある。

科学の進歩は、美味しいものからその旨味み成分を抽出し、さらにその合成が可能になっているものもある。また、人が美味しいと感じた時に脳のなかでどんなことが起きているかも究明されるだろう。これらはいずれ、「美味いもののわけ」をもっと明らかにするに違いない。
それにしても美味いものとは実に複雑、奥深いものであるとしみじみ思うとともに、個体維持のためにある人間の食欲の不可思議さを思う。




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