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華屋与兵衞 [雑感]

かつて現役のころ、40年近く勤めた職場とリタイア後の職場と二度にわたりSさんに世話になった。どのくらいかというと、足を向けて寝てはバチがあたるほどである。

Sさんとは、スーパーのライフコーポレーション創業者で代表取締役会長兼CEO(最高経営責任者)の清水 信次(しみず のぶつぐ)氏である。
1926年三重県生まれ。ダイエー中内功・イトーヨーカドー鈴木敏文・ジャスコ(いまイオン)岡田卓也らとともに戦後の流通業界を牽引した人であるが、86歳の現在も日本スーパーマーケット協会会長で業界の重鎮として知られており、新聞・雑誌にたびたび登場する。講演活動も行い、政治も含めて数多くの提言・発言を行っている。著名な経済人である。
戦後復員して食品スーパー「ライフ」を起こすに至るまでの波乱万丈の話など、興味深い話を何度か伺ったことがあって 、強く印象に残っており忘れられない。

さてSさんは、ライフコーポレーションのほかにもうひとつの会社を設立している。
ファミリーレストランチェーンの「華屋与兵衞」である。レストランの華屋与兵衞は江戸前鮨、手打ちうどんなど和食を主力メインに打ち出したユニークな外食産業である。いま株式のマジョリティは別の企業になっているようだが。
レストランの名称が変わっているが、その名を江戸時代の華屋与兵衞からとったのかどうかは、Sさんから聞きもらした。しかし多分その通りであろうと思う。

image-20120514145436.png


今やレストラン華屋与兵衞の方が有名になって、江戸時代の華屋与兵衞を知る人は少ないが、与兵衞とはいかなる人物だったのか、江戸時代の鮨屋はどんなものだったのか興味深いものがある。

華屋 與兵衛(はなや よへえ、1799年 - 1858年、小泉與兵衛、花屋與兵衛とも)は、福井県、若狭国生まれである。
文政7年(1824)頃、東両国の回向院前に「華屋」を開業し、大繁盛したとされる。
江戸時代の狂歌に、この店の繁盛ぶりをうたったものがあるという。

 こみあひて待ちくたびれる与兵衛鮨 客ももろてを握りたりけり

華屋与兵衞華は、初めて鮨に山葵を使い、現在の寿司に非常に近いものを出したことから、一般には握り寿司の考案者とされる。

他の業者と競い豪華な寿司を提供したことから、奢侈を禁じた天保の改革の際には他の寿司職人ともども投獄されている。一説では、与兵衛が投獄された原因はアナゴ寿司にあったという。

天保の改革(てんぽうのかいかく)とは、教科書にも載っているが、江戸時代の天保年間(1830年 - 1843年)に水野忠邦主導で行われた、幕政改革の総称である。享保の改革、寛政の改革と並んで、江戸時代の三大改革の一つに数えられる。
貨幣経済の発達に伴って逼迫した幕府財政の再興を目的とした。またこの時期には、諸藩でも藩政改革が行われた。与兵衞寿司は贅沢として倹約令に反したほど華美華麗な寿司を客に提供したのであろう。

華屋の流れを汲む両国与兵衛寿司は、関東大震災の影響もあって、残念ながら昭和5年(1930年)に閉店しており、今はない。ファミレスに名をとどめているばかりとは淋しいかぎりである。
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