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思いぞ鬱屈するとき [随想]


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開高 健は、時々びっくりするような言葉を発する。言葉のプロを自認して、ものごとを表現するのにありきたりのものでは恥ずかしいと何かに書いていた気もするが、この言い方、いいなあと思うこともある。
「思いぞ屈した時に取り出して見る本」というのを見つけた時もそう思った。
そういう本が一冊でもよい、手許に欲しいなどと思っていたからであろう。

「屈」を辞書でみると4つある。
①曲がる 屈折 屈曲
②くじける 屈辱 曲屈 卑屈 不屈
③かがまって伸びない 鬱屈 退屈 窮屈 偏屈 卑屈
④強い 屈強
思いぞ屈するとは③であろう。それも用例にある「鬱屈」が一番近いような気がする。
鬱屈を辞書で見ると、気分が晴れないこと、気がふさぐこととある。これこれ。
「Simizimi-ziの鬱屈」(2012.4.25)を書いた時に、最初「ーの憂鬱」としたが、ふと「鬱屈」という言葉が浮かんだので、それを使った。間違うといけないので念のために辞書で確認して、自分の気持ちに合っているので納得し、決めた。

全く別のことながら、よく「屈託がない人」などという。先の「屈」の用例にこの「屈託」が載っていないので、あらためてべつに「屈託」を引くと
次の2つの意味がある。
屈託 ①くよくよすること きがかりでほかのことが手に付かないこと
②飽きること、退屈すること
屈託が無いというのは①でさっぱりしているということであろう。さすれば「屈託」の「屈」は上の4つのどれに当てはまるのであろうか。
①か「退屈」があるから③か、その混合のようなものか。

それにしても、日本人であっても英語に堪能な人は英語で物を考え、英語圏の人と似た発想までするという。
自分は、日本語でしか物を考えられないとつくづく思うのだが、日本語というより漢字 、漢語で物を考えているんだな、とあらためて思う。
さすれば、自分の考えは中国人に近いものの考えかたをしているのか。日本人の本来の国語は、いったいどうなってしまったのだろうか。日本人として生まれたからには、日本人らしい発想でものを考えたいものだが。

日本語は日本固有の古語と漢字、て、に、を、は、漢字くずしの平仮名、カタカナの合成で出来ている。分類上「膠着語」というくらいしか知識がないが、言語こそ国そのもの、国は人そのもというからには、日本語についてもっと勉強しないといけないな、としみじみ思うのである。

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