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二足の草鞋を履くー東京アマデウス管弦楽団 [音楽]

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我が家のお隣の隣が待晨教会(たいしん教会)である。待晨教会は、教会と言っても内村鑑三が提唱した無教会主義のプロテスタント教徒が礼拝、聖書研究などをするための集会場で、正式には「待晨集会」。少し広いが普通の家と変わらない。日曜日には礼拝の信徒が集まる。

そこの奥様がいらして、コンサートの切符を2枚戴いたけれどもよろしければと仰るので、家人とバスで荻窪の杉並公会堂へ出かけた。

東大の卒業生を中心に活動している東京アマデウス管弦楽団の特別公演で、曲目はR.シュトラウス「メタモルフォーゼン(23の独奏弦楽器のための習作)」とL.v.ベートーヴェン「交響曲第3番 変ホ長調 Op.55 」「英雄」。
指揮はバイエルン国立歌劇場管弦楽団、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団、ミュンヘン・バッハ管弦楽団、バイロイト祝祭歌劇場管弦楽団など名だたるオーケストラの第1コンサートマスターを長年勤めたクルト・グントナー氏。
恥ずかしながらドイツの指揮者の名は、似た名前のフルトヴェングラー(Wilhelm Furtwängler, 1886年 - 1954年)くらいしか知らない。

たしか昨年の暮れだったかに「難民を助ける会」主催のコンサートに行き、パガニーニの奇想曲などを聞いて以来なので半年ぶりである。そういえば現役の頃、大阪では身赴任でもあったので、取引先が応援していたサイトウ・キネン・オーケストラやオーケストラ アンサンブル金沢などの演奏を、時折来阪した家人と楽しんだことを思い出した。
自分はまったく音楽はわからないので、聞いても眠くなるだけだから愉しめるのは専ら家人のみである。

さて、今夜の一曲目「メタモルフォーゼン」は、良いとは思うのだが何やら難しく、ふっと真ん中へんで睡魔が来た。
それでもべートーヴェンは、おなじみの「エロイカ」だからそれなりに十分楽しみ10時には帰宅した。夕方6時半に家を出てバスのみで、7時開場、7時半開演に間に合うのだから、体調不良の身には、近いのが有難く何より助かる。

東京アマデウス管弦楽団は、1973年創設でアマチュア オーケストラの老舗という。
アマチュアというが、広いレパートリーを持ち、楽団名に冠したモーツァルトのみならず、ドイツものを得意とする本格的な管弦楽団としての評価は高い。
団員は20代から60代で大半が東大オーケストラの卒団者 、音楽をこよなく愛する社会人で構成されているというが、見たところは若い人が多いようだった。何人か中年らしき方もおられた。

今どきの交響楽団、管弦楽団の運営の困難さは、一流、名門のオーケストラでさえも尋常でないことは誰もが知っている。
仕事を持ちながら音楽を楽しむ人達で運営されているというが、アマチュアとすればどんなにその維持、運営に腐心していることか、大変であろうと推察する。

また、サラリーマン40年余の我が身にてらして思うに、仕事を持ちながら自分の好きなこと、好きな趣味を捨てないということは、なまなかのことで出来ることではない。
仕事を人並みあるいはそれ以上に遂行出来る能力と体力、音楽に対する情熱があるだけでは、たぶんこの二つは両立出来ることではなかろう。同好の仲間の存在が絶対条件に違いない。
加えて職場の仲間の理解、家族の支援も不可欠だ。
演奏者の姿を見ながら、音楽に限らず、「自分の好きなこと」と「仕事」の二兎を追うなどとても自分には出来ることではなかったな、と我が身を振り返った。
まず、最も要求されるのは仕事の能力であろう。それも十分な余力があるくらいでないと無理だ。
それでも職場の同僚としてみれば仕事一筋に、全ての生活を賭けている自分と、仕事は仕事、終われば自分の時間と割り切っている同僚には、どんなに寛容な人であれ、どうしても違和感がついて回るだろう。

我がつたない経験からすれば職場を離れても、仕事は自分を完全には開放してくれなかった。家に帰っても寝る時でも、どうするか、ああしたら、こうしたらと考えていることがある。勿論いつものことではないし、最後はなるようにしかないとふてくされて寝るのだが。
頭の切り替えが出来るかどうかは能力の問題だと簡単にいうが、人を使う立場にあって、かつそれなりの重い責任を負わせられれば、ことはそう単純な話ではない。

我が世代で言えば、第一勧業銀行できっちり仕事をしながら、作曲など音楽活動をしていた小椋桂氏を遠くから眩しく見ていた。また、「人生を二度生きる」とうそぶく日銀の金子兜太、たしか俳句では他に永田耕衣が人生二毛作、手堅い勤め人だったと思うが、能力のある人はつくづく羨ましいと思っていたものである。世に多才な人は多く、マルチな活動家は数多いるが生活のための仕事をきちんとこなし、自分の好きなことを続ける人をみると凄いなと思う。

作曲や俳句と異なりオーケストラの演奏は、繊細で知的なものでありながらきっと力仕事でもあろう。しかも文字通り個性の発揮のみならず、人との協調性が求められる。

そんな難しさがありながら、素晴らしい音楽の世界に全身で浸り、しかも人に感動を与えている人たちが目の前にいた。

リタイアして好きな水彩画を、趣味としてそれも自分のためにだけ愉しんでいる我が身にてらして、心から敬服せざるを得ない。

能力差の大なること、人間とはかくも違うものかとしみじみ考えさせられた一夕でもあった。

虻と蜂二足の草鞋でつかまへり 杜 詩郎

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