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恋の句ー芭蕉と蕪村(1/2) [詩歌]

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芭蕉と蕪村は、ずいぶん古くから比較されその違いが論じられてきた。専門家はもちろんだが、二人の違いについては、自分のような俳句の素人にとってもたいへん興味があるテーマである。
芭蕉が陰、漂泊詩人であれば、蕪村は陽、炉辺の詩人とか、芭蕉の句を墨絵、日本画にたとえれば蕪村のそれは明るい西洋画だとかである。
二人はたしかに対照的なところがあって、どちらの句が好きかというのもよく話題になる。
蕪村(1716-1786年)は、芭蕉(1644-1694年)の50年ほど後の俳人であり、同時代に生きた人ではないが俳聖を深く敬慕した。正岡子規が、写実を強調する目的で蕪村は芭蕉に比肩するとまで、ことさらに称賛したことから、近代になって俳聖と並ぶほどの江戸俳句の代表者となった。子規は芭蕉は十に三が、蕪村は十に七が佳句とまで言った。自説のためには何でも言う。発句から俳句を独立させる目的で「連俳は文学に非ず」と言ったのと同根だ。言い過ぎである。当の蕪村本人は、苦笑しているのかもしれない。

このところたまたまだが、青空文庫で「芭蕉雑記」( 芥川龍之介)と「郷愁の詩人ー蕪村 」(萩原朔太郎)を読んだ。小説家と詩人であり俳人でもなく俳句評論家でもないせいか、門外漢にもたいへん分かりやすくて面白い。
萩原朔太郎が、蕪村にはリズムが乏しいが、芭蕉の句は音楽的とも言えるリズムがあると指摘しているが、本当にそうだと感心した。蕪村は画家だから「視覚の人」だ。絵画的な俳句が彼の特徴であり、誰にも分かるシンプルな句が多い。かたや芭蕉は、「耳の人」でもあったのであろう。
朔太郎は、詩のリズムを重んじるも、どちらかといえば芭蕉より蕪村びいきである。「蕪村の句の特異性は、色彩の調子が明るく、絵具が生々しており、光が強烈であることである。そしてこの点が、彼の句を枯淡な墨絵から遠くし、色彩の明るく印象的な西洋画に近くしている」
蕪村の絵画的な浪漫、高い叙情性を評価しキーワードは「郷愁」だという。

芭蕉と蕪村の比較論は、既に言い尽くされ今更素人の出る幕など無い。上記の二著を読んで二人の女性観に興味が湧いたが、これとて多くの人に論じられてきたに違いない。

しかし、二人の恋の句を改めて並べてみるとなかなかに味があって面白い。

芭蕉は、「数ならぬ身となおもひそ玉祭」の寿貞尼の話や「寒けれど二人寝る夜の頼もしき」の杜国など美少年好みだったことなどが伝わっているが、恋の句が得意だったということは、かねて何かで読んだことがある。芭蕉は、自分でも人に負けぬと言って自信があったようである。
「芭蕉雑記」で芥川龍之介は次のようにいう。芭蕉は「殊に恋愛を歌ったものを見れば、其角さへ木強漢に見えぬことはない。況や後代の才人などは空也の痩せか、乾鮭か、或は腎気を失った若隠居かと疑はれる位である」
蕉門のトップクラス其角も木強漢(ぼっきょうかん 武骨な男)にされてしまった。手ばなしの称賛である。

俳諧連句には周知のように「月の座」、「花の座」のほかに「恋の座」がある。ここでは必ず恋の句を詠まねばならない。
恋の呼び出し、恋の句、恋離れの句は歌仙の中ほどにあって花や月の句とともに歌仙のステージを盛り上げる重要な役割を果たしている。
恋の座で詠む恋とは、性愛だけでなく女性にかかわる全てが対象のようであり、恋の歌もちろんすべてが囑目ではないけれども、作者の恋愛観は自ずと滲み出るだろうと思えば面白い。芭蕉の恋の句で有名なのは、次の付句だ。

さまざまに品かはりたる恋をして   凡兆
浮世の果は皆小町なり       芭蕉

色々な恋と言うが、結局は小野小町の、「花の色は うつりにけりないたずらに我が身世にふるながめせしまに 」さ、恋も無常よ、といったところか。

ほかにも佳什が多い。
狩衣を砧の主にうちくれて 路通
わが稚名を君はおぼゆや 芭蕉

宮に召されしうき名はづかし 曽良
手まくらに細きかひなをさし入れて 芭蕉

足駄はかせぬ雨のあけぼの 越人
きぬぎぬやあまりか細くあでやかに 芭蕉

上置きの干菜きざむもうはの空 野ば
馬に出ぬ日は内で恋する 芭蕉

殿守がねぶたがりつる朝ぼらけ   千里 
兀げたる眉を隠すきぬぎぬ    芭蕉

やさしき色に咲るなでしこ    嵐蘭
よつ折の蒲団に君が丸くねて    芭蕉

遊女四五人田舎わたらひ      曽良
落書に恋しき君が名もありて     芭蕉

ふすま掴んで洗ふ油手       嵐蘭
掛け乞に恋のこヽろを持せぱや    芭蕉

芥川龍之介は芭蕉の恋の句について「是等の作品を作つた芭蕉は近代の芭蕉崇拝者の芭蕉とは聊か異つた芭蕉である。たとへば「きぬぎぬやあまりか細くあでやかに」は枯淡なる世捨人の作品ではない。菱川の浮世絵に髣髴たる女や若衆の美しさにも鋭い感受性を震はせてゐた、多情なる元禄びとの作品である」という。

つまり、言葉は適切をかくかもしれないが、芭蕉が生きた時代の恋を「あからさま」に、「おおらか」に詠っているのである。詫び、さび、軽み、不易流行など難しいことばかりをいっているのにと思わざるを得ない。
芭蕉は「事は卑俗に及ぶともなつかしく言ひとるべし」と言っている。恋は卑俗のうちか。
恋の句ー芭蕉と蕪村(2/2 終わり)に続く

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