SSブログ

家族から見た作家たち [本]


image-20120908073351.png

小説家、作家の子や妻など家族が、父、母、夫を語るといった本をたまに読むことがある。他人が書いた評伝や本人の書いた自伝、回顧録などとは違って、日常生活にまつわる話のなかで、この作家にもこんな一面があるのかなどと、興味深いことを始めて知ることがあったりして面白い。少し覗き趣味のようなところもないわけでもないが、作家が亡くなったあとに出版されたりすると、つい手にする。出版社の編集企画者の狙いに、はまった体(てい)だ。
わが読書記録から検索して見たら、最近では「父でもなく 城山三郎でもなく」 (井上紀子 毎日新聞社)
「 父 開高健 から学んだこと」 (開高道子 文藝春秋)
「 夏彦の影法師 手帳50冊の置き土産」 (山本伊吾 新潮社) などがあった。
幸田文(露伴)、森於菟(鷗外)なども昔読んだような気がする。
さすが文豪の夏目漱石などは、子、孫、妻、娘婿など多勢が書いていて、それぞれ面白い。半藤一利もその一人。
おしどり作家が、それぞれ相手のことを書いているものもある。これも夫婦の日常生活での間合いの取り方や、二人の個性のぶつかり合いが面白い。高橋順子、車谷長吉や吉村昭、津村節子などである。曽野綾子、三浦朱門はまだ読んだ記憶が無い。

先日、「次郎と正子 娘が語る素顔の白洲家」 (牧山桂子 新潮社)と「白洲家の日々 娘婿が見た次郎と正子」 (牧山圭男 新潮社)を読んだ。
白洲次郎と正子の長女、一人娘の佳子(かつらこ)さんは、1940年生まれで自分と同い年、父親の次郎は1902年(明治35年)生まれで自分の父親と同じだが、偶然のことでさしたる意味はない。
むろん平凡なサラリーマン人生の自分とこの人たちの特異な境遇、波瀾万丈の人生は天と地ほど差異があり、比較にもならないが、なんとなく同時代を生きているという感慨はある。

白洲次郎と正子は、戦後、鶴川の武相荘で暮らしたことで有名だが、そこでの生活を含め、特異な両親の生活がよく描写されている。とくに二人の晩年の様子は、自分の両親のそれとくらべ身につまされる。
父親の次郎は、周知のようにGHQから「従順ならざる唯一の日本人」と言われたとされるだけあって、エピソードに事欠かない。娘の著書でも、面白い話題が多いが、なかでも次郎のイギリス人の親友ロビンとの付き合いのくだりなどは、こういう経験もない自分には興味深く、羨ましいの一語に尽きる。1985年(昭和60年)83歳で沒する。

白洲正子の随筆は、「かくれ里」、「名人は危うきに遊ぶ」「ひたごころ」など何冊かを読んだ。男女の差を言うのは余り好きでは無いが、女性としては美意識、論理思考、文章力など抜群の優れた頭脳の持ち主であったと思う。
白洲次郎、青山二郎がそばにいながら、小林秀雄を敬慕、憧憬したというだけでもよく分かる。同じく小林秀雄を敬慕した池田晶子を連想した。こちらは、若くして世を去ったが、白洲正子は88歳で1998年(平成10年)没した。二人の才媛に慕われた小林秀雄は人間として、よほど人間的にハンサムだったのであろう。
桂子氏の本でも小林秀雄と白洲家との交流は出てくる。白洲家の次男の妻は小林秀雄の息女だから姻戚関係にある。
小林秀雄は桂子の息子龍太(りょうた)氏の名付け親となり、「白洲龍太はダメだが牧山龍太は良い」と自賛したという。龍太という「文字や音」と姓との相性を言っているらしいが、その美意識は凡人には分からぬ。

正子は小林秀雄の影響を受け骨董にのめり込む。韋駄天正子と言われた母親は娘からみれば物欲の塊りだというのも愉快だ。

また少し、白洲正子の本を読んで見たくなった。作家たちのことを家族が書いた本には、そういう効用があるのかもしれない。






nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。