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代々木公園で考えたこと [随想]

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代々木公園には、これまでも何度か訪れ、散策したことがある。24年秋、久しぶりにスケッチに行って、いろんなことをぼんやり考えた。

代々木公園の前身は、1909年に新設された陸軍省練兵場だという。1945年終戦でアメリカ軍に接収されて、軍の宿舎敷地ワシントンハイツとなりその後、1964年東京オリンピックの選手村となった。
都立代々木公園としての開園は1967年、昭和42年である。

練兵場としては習志野が有名だが、東京には代々木のほか青山練兵場、駒澤練兵場などがあった。明治神宮外苑は青山練兵場の跡地である。しかし駒沢オリンピック公園は駒澤練兵場の跡地ではないらしい。

1904年勃発の日露戦争は私の生まれた35年前、1905年、明治39年に終戦したけれども、小さい頃、日清、日露戦争と聞いても遥か昔のことと感じていた。明治維新、明治元年1968年も似たような感覚で、その先の江戸時代はその延長線上にある。
この感覚からすれば、太平洋戦争は終戦後既に67年が過ぎている。例えば代々木公園の芝生で乳母車に赤ん坊を乗せ、ひとときくつろぐ若いお母さんやその隣の樹下に寄り添うカップル、華麗なランニングファッションでみるからに健康そうにジョギングを楽しむギャル、スマートなマウンテンバイクを傍に倒して、迷彩服模様のシャツを脱いで昼寝をしている痩躯の青年など、平成生まれの若い人には、太平洋戦争はもっと遠い昔々の歴史上の出来事である。
練兵場などといっても、およそピンとこないであろう。時間の経過の感覚とは不思議なものだと思う。しかも若い時と年老いてのそれは、自分の経験に照らせばかなり違うようだ。

時間の経過と言えば、1703年という元禄大地震から1885年の安政大地震まではおよそ152年、安政大地震から1923年、大正12年の関東大震災までは68年。安政の大地震から東日本大震災までは167年などと数えることが出来る。関東大震災は私の生まれた17年前だから、今から89年前に起きた。
それぞれの間隔を並べて見ても何がわかるというものでもないが、分かっていることは、自分の物心ついてからまだ戦争や大きな自然災害に会わずに生きてこられたということである。
自分が生まれて1年後から5歳までが太平洋戦争だったが、まず記憶が無いから、偉そうに戦争経験者とも言えまい。東日本大震災の被災者には申し訳ないけれど、東京での被害は原発事故をふくめて東北地方などと比較にもならない。
この間、65年有余の平安である。無論多くの人々にとって、この間が無事そのものだったなどと言っているのではない。
総じて言えば、こういう平和な時代は、歴史的に見ても多分稀なことで、まさに僥倖と言っても良いだろうと思うのである。

3.11の事故や南海の孤島問題など自然、人為災害、戦争の気配が漂っているが、私の時代だけでなく、これからも何とかこの平穏が続いてくれればとしみじみ思う。

練兵の孫も走るや秋の園 杜詩郎
迷彩の服脱ぎ午睡秋の園

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