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福岡伸一「ルリボシカミキリの青」 [本]

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図書館の本棚で本を選ぶのは、少し疲れるが楽しい。ネット蔵書検索も便利で面白いが、何のあてもなく本の背表紙を見て探すのもオツな愉しみ。そして贅沢なものでもある。
この本を借りると決めるのは、たいてい無意識のうちに、その時関心があることと関連がありそうな気もするけれども、かと言ってさしたる根拠や理由もなく選ぶことが多い。縁、出会いといったところか。

「ルリボシカミキリの青」(福岡伸一 文藝春秋)この本は、題名がパッと頭に入った。
私の好みだ。「ーーの青」、というところがである。
一瞬、むかし家人と秋田の田沢湖、玉川温泉へ行った時、山の道端に青と白の斑のカミキリ虫を見つけたことがあったのを想い出した。たしか黒も混じっていたように覚えている。
デジカメで撮影した記憶があるので、後でファイルを探したら一枚だけ出てきた。写真に2004.7.29の日付が入っていた。いまあらためて見るとたしかに、ネット画像と同じのルリボシカミキリである。青と白の斑と思っていたのは記憶相違、青地に黒点で、美しい青は、我が水彩画の絵の具色でいえば、ターコイズブルーに一番近いような気がする。
無論、今回の本の選択とこのことは関係が無い。

ルリボシカミキリ(瑠璃星天牛、瑠璃星髪切)Rosalia batesi は、コウチュウ目(鞘翅目)・カミキリムシ科・ルリボシカミキリ属に分類される甲虫の一種という。

あと、続いて脳裡をかすめたものがある。これはもっと前、1983、4年頃のことだが、大分県は湯布院の旅館の庭に玉虫をみつけ、捕まえたことがあることを思い出した。
タマムシ(玉虫、吉丁虫)は、コウチュウ目タマムシ科(Buprestidae)に属する昆虫の総称という。日本のは、ヤマトタマムシ、法隆寺玉虫厨子で名高い。
あのカミキリムシも玉虫も共に、それは素晴らしい色と輝きだった。
不思議なことだがルリボシカミキリの青は虫が死ぬと消えてしまうという。が、玉虫の方は厨子の装飾に使われ、今なお輝いている(と思う)くらいだから、死後も美しい玉虫色を長く保つそうだ。何故違うのだろうか。

さて、あまり時間に余裕がなかったので、本は奥付だけチラリと見て借りてきた。普通はあとがきや著者略歴を見るのだが。
著者、福岡伸一?、Who?。 家に帰り今をときめく分子生物学者、生命科学ジャーナリストとあとで知る。無知とはこわい。本は週刊文春の連載コラムの単行本化したものとか、まず文章が分かりやすく、素晴らしい内容であった。サイエンスでない記述のところは、とくに名文で酔わされる。
あの免疫学者、多田富雄の本もそうだった。そう言えば、図書館での最初の本の選択の仕方も似ている。

福岡教授は「ウイルスの遺伝子を詳しく調べてみると、それはいずれも私たちの遺伝子の一部に似ていることがわかってきた。つまりウィルスはかつて私たちのゲノムの一部だったのだ」という。福岡ハカセは、彼らは「放蕩息子」なのだと仰言る。知らなかった。
それでは鳥インフルエンザウィルスはどうなのか読んでも最後まで不明、今でも残念ながら分からぬ。

また、「すべての男は、ママの美しさを別の娘のもとに運ぶ「使い走り」にすぎない。 でも希望はある・・・・・」このことは、よく知られたことだ。

「つまり募集行動は、不足や欠乏に対する男の潜在的な恐怖の裏返しとして生まれ、現在に至る」と書いている。
男たちは、女から見れば何故ガラクタ同様のものを蒐集するのか、という問いの答え。蝶、切手などのコレクターは確かに男たちだけだ。自分の中にも蒐集癖らしきものはある。

「私たちは見たいと望むものしか見ることができない」
科学者でもそうなのだから凡夫はましてそうだな。見たくないものは見ないし。いちいち納得感がある。

読み終えて、ネット検索して予約、福岡伸一著「生物と無生物のあいだ 」 と「できそこないの男たち 」(いずれも講談社)を借りて来て読む。
以下も書評などというたいそうなものとは程遠く、少し分かったところだけの抜粋とその感想である。もとより肝心の科学のところは「半知半解」、朦朧状態。情けない。

福岡先生の2冊目は「生物と無生物のあいだ 」2007年。
「ウィルスは、単細胞生物よりずっと小さい。大腸菌をラグビーボールとすれば、ウィルスは(種類によって異なるが)ピンポン玉かパチンコ玉のサイズとなる」これはわかりやすい比喩だ。
「ウィルスは生物と無生物の間をたゆたう何者かである」「たゆたう」がよい。
「ウィルスは自己複製能力を持つ」コピー能力とは、子孫を残すことができるということ。
この辺までは、解るが、コピー能力があるといって生物とは言えないという。生命の定義にもよるそうだが。
「生命とは動的平衡dynamic equilibriumにある流れである」となると、必ずしも理解できたとは言い難い。
「生物には時間がある。その内部には常に不可逆的な時間の流れがあり、………」
これは解る。よく自分もむかし虫や小鳥を殺めて後悔したし、また、歳をとって実感する日常である。

3冊目「できそこないの男たち 」2008年。
「このように見てみると、最初に紹介したフェミニズム仮設、すなわち、女性は、尿の排泄のための管が明確に分かれているが、男性は、それがいっしょくたなので、女性の方が分化の程度が進んでいる、つまりより高等である、との説はあながち間違っていないことがわかる。
あるいはこう言い換えることができる。男性は、生命の基本仕様である女性を作り変えて出来上がったものである。だから、ところどころに急場しのぎの、不細工な仕上がり具合になっているところがあると」
これも多田富雄や養老孟司の本で先刻知ったことだが、「生命の基本仕様(デフォルト)は女性で、そのカスタマイズされたもの、それが男性である」という言い方は分かりやすくて面白く、かつスマートだ。
「地球が誕生したのが46億年前。そこから最初の生命が発生するまでにおよそ10億年が経過した。そして生命が現れてからさらに10億年、この間、その生物の性は単一で、すべてがメスだった」やっぱりそうだったのか。やれやれ。

本の論旨と無関係ながら「生物学は、WHYには答えられない。がしかし、HOWを語ることはできるのだ」とか「私たちは知っているものしか見ることができない」など面白い言葉が随所にある。Whyの領域は生物学でなく哲学、宗教なのであろうし、知らないものは見ていないし、むしろ有っても「無いもの」であるとさえ言える。これは、普段しきりに自分も思うことである。

DNA(核酸)、ゲノム(伝達情報)、遺伝子、染色体などの区別も分からぬ素人にも、最近の生物化学の日進月歩は新聞報道などで想像することは出来る。その理解の手助けに、これらの本は役立ちそうだ。
著者は2006年の第一回科学ジャーナリスト賞受賞者とのこと。もちろん最近分かってきたこともあるのだろうが、70年余も生きて、ずっと知らずに過ごしてきて初めて知ること、初めて教えてもらうことも多い。ありがたい本である。

時あたかも、京大IPS研究所山中伸弥教授の2012年ノーベル生理学・医学賞の受賞ニュースがあった。
ES細胞、IPS細胞などは倫理問題もあるようだが、医療の進展に役立つ日の早からんことを願うや切、としみじみ思った。これが3冊の本の読後感想である。














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