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ゼノフォビア [雑感]

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何時の頃かさだかでないが、以前から「ゼノフォビア」(zenofobia) ということばが気になっている。ふつう「外国人嫌い」と訳する。
先に亡くなられた丸谷才一の随筆「青い傘」(文藝春秋)によれば、スコッチ・テープ、ダッチアカウントなど、スコットランド人のけちやオランダ人の割り勘好きなどを揶揄する時の英語の得意の言い回しがあるが、zenofobiaとはもともと英語学で「外国人嫌い」のことだという。
氏は、生地の山形と秋田など隣の県の悪口を言うのが大好き、という心理やスコットランド人とイングランド人の悪口の言い合いやフランス人とイギリス人の罵り合い(フロッグイーター)などの、いわば文化的な嫌悪感の例をあげているが、自分の関心はこれとちょっと違う。


戦時中疎開先の閉鎖された社会で育ったせいか、自分は絵本に出てくる鼻の高い魔法使いのお婆さん、魔女狩りの魔女やその後テレビで熱狂したプロレスラーオルテガがどうも苦手だった。力道山は我が味方で好きだったのにである。
物語では金髪の姫君や白馬の王子もいたはずなのに、なぜか特に好きにもなれず、どうして魔女が苦手か、と言われても理由が判然としない。嫌いというよりどちらかと言えば怖いという感覚の方が強い。心のどこかでこういう意識は島国日本の田舎に生きているからで、あまり良いことではないと思っていた。一種のコンプレックスも混じっていたのであろう。

長じて会社人間となり、国際部に配転となった時も、 中国、韓国、東南アジア には親密感を、ニューヨーク、ロンドンは苦手という意識が残っているのを感じていた。欧米支店は憧れの勤務地なのだが。
英語下手はこのことと関連はあるが、直接的なものではないだろうと思う。

大相撲では無意識に日本人力士を応援したり、贔屓チームであっても外国人助っ人の多いジャイアンツは好きじゃないということもある。
奈良の古い飛鳥寺の仏像や当麻寺でみた12神将のペルシャ風の怪異な貌なども、あまり美しさを感じない。それでいて朝鮮文化の影響を受けた弥勒菩薩坐像などには、美しいと心から惹かれる。この辺はかなり曖昧な心理である。

外国人嫌悪および外国人恐怖症は、外国人や異民族などのアウトサイダーと見られている人や集団を嫌悪、排斥あるいは憎悪する気質を指すという。
中国の「北狄、南蛮、東夷、西戎」、ユダヤ人、クルド人などの例がしばしば出される。中東ばかりでなく世界中に民族戦争も絶えない。
xenophobiaクセノフォビアとは、ギリシア語(xenos, 異人、異国、よそ者、外国人)と(phobos, ポボス、恐怖)に由来するという。
xeno-(外国人、外来の物)+phobia(恐怖症)は外国人嫌い。未知の未知の人・物に対する嫌悪、恐怖なのである。


この未知の人・物に対する嫌悪、恐怖はきっとたいての人にあるような気がする。問題はそれが、人種差別に繋がる可能性があるということであろう。そのすぐ先にホロコーストや戦争があると言っても飛躍していない。
小さいときから、外国人と接し共に学び、遊べばこんな馬鹿なことは思いもよらないにちがいない。正しい情報や教育が必要なのは、戦争末期の疎開児童経験者には身にしみて良く分かる。
この意味で、多民族のるつぼアメリカ合衆国の繁栄は希望だし、子供、青年の国際交流ももっと盛んになる必要がある。国連やその関連機関ももっと重視されねばなるまい。

丸谷才一も冒頭の随筆では、このことに触れて欲しかった。しかし、何処か他で論じていて、自分が知らないだけのことかも知れないが。何しろ膨大な著書のうち、自分はほんの少しの随筆と歌仙の本くらいしか読んでいないのだから迂闊なことは言ってはならない。


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