SSブログ

丸谷才一「年の残り」を歳末に読む [本]

image-20121230123745.png

11月の下旬に風邪を引く。熱はないが咳がひどい。こじらせて2週間寝てばかりいた。治らず年の暮れ、12月下旬になってもまだ咳がでる。医者から肺炎と百日咳を疑われて、3週間目にレントゲンと血液検査をした。結果は、幸いにしてどちらでもなさそうとの診たて。ただの風邪にしては気管支が痛むほどの咳が長くつづいている。だが、医者は年寄りにはよくあることと言う。風邪、肺炎は年寄りには禁忌だと知ってはいるが、寒さの到来に身体が適応出来なかったのであろう。

3週間目くらいから少し楽になったので、気になっていた丸谷才一「年の残り」を図書館で借りてきて読んだ。

丸谷才一は、この小説で1968年に芥川賞を受賞したのだから、1925年生まれの作家が43歳の頃の、いわば壮年期の作品だ。実際に1966年に「笹まくら」、1972年「たった一人の反乱」などを、精力的に発表している時期である。

主人公の病院長上原 庸は、作者と30歳近くも違う老年の69歳。しかも「やがてみんな死ぬ」、というのが「年の残り」の主題である。
不惑の作家が古希1年前の男を描いた小説ということになる。それが出来るのは作家の持つ豊かな「想像力」というものだが、丸谷才一が実際に古希を迎えた頃に、この小説を読み返してみて、どんな感慨を持ったかと聞いてみたい気がする。作家は、2012年、今年10月に87歳で亡くなっている。
この小説の主人公は、自分より3歳下になるが、まあ同年代である。読んだ第一印象は、現役の医者だからでもあるが、自分と比べ若いということ。老いを余り感じさせぬ。老化には個体差があるから一概に言えないが、作者が若いということと無関係ではあるまい。
脈絡はないが、たしか山折哲雄だったと思うが、イエス・キリストは30歳前後で没したから、80年も生きた仏陀や親鸞のように本当の老年の苦しみを解ってくれるだろうかと疑っている信者のことを書いていたのを、ふと思い出した。

さて、小説の出来を批評する力はないけれど、よく読めば精緻な構成になっていることは分かる。水彩画の話に始まり、昔、主人公と見合いをしたが、結婚せず他の男のところに嫁いだ美人の女性のセリフで終わるエンディングまで、前後して複雑に語られる時の流れが読者によく分かるのは筆力であろう。

小説には珍しい消し書きというのが終盤に出てくるが、それが何を言いたいのか、どういう効果を狙ったものか判然としないというのが率直な感想。良い読み手ではないということだろう。

丸谷才一は言う。「そもそも小説家の仕事は普通の意味の真実の探求ではない。嘘をついて人を楽しませ、いはゆる真実とは違ふ別の真実を差出すことである(「綾とりで天の川」文藝春秋)
作品の中で展開される嘘を楽しんだかというと、これもよくわからないが、主題については年寄りによく理解が出来たといって良いだろう。しかし、多くの登場人物が死ぬが、こんなに殺さなくともテーマは語れるだろうにとも思う。

作品の冒頭に、こういうのを何というのか、献詞のようなものか、和泉式部の

かぞふれば年の残りもなかりけり老いぬるばかりかなしきはなし

が記されている。
「年の残り」とは年末も押し詰まってという意味、歳時記では「数へ日」である。もちろん老年の老い先が短いこともかけている。
この一首は、小説の主題を言い切っていると作者は言うのだろうが、和泉式部の方は、恋に明け暮れている間に年老いてしまってと嘆いている歌だろうから、少しばかり違うような気もするが、歌は読み手がどう読もうと良いのだから良しとしよう。
小説の構想が先で後からこんな歌もあると載せたのか、この歌からこの小説を書こうとしたのか興味深いところだが、連句好きの丸谷才一のことだから、たぶん前者だろう。

和泉式部は、百人一首の

あらざらむこの世の外の思ひ出に今ひとたびの逢ふこともがな

の方が有名である。あらざらむというのは、もうすぐ死ぬであろう私はー、という意味合いではあるが恋の歌。
かぞふれば年の残りー、などというこんな歌は不勉強で知らなかった。

和泉式部の生年は天延二年(974)、貞元元年(976)など諸説あって詳らかではないが、父は越前守大江雅致(まさむね)、母は越中守平保衡(たいらのやすひら)女。父の官名から「式部」、また夫橘道貞の任国和泉から「和泉式部」と呼ばれた。
紫式部などと同じ時期の女流歌人。奔放な恋の遍歴で知られ、「和泉式部日記」がある。
和泉式部には、ほかに

物おもへば沢の蛍も我が身よりあくがれいづる魂(たま)かとぞみる(後拾遺)

があって好きな歌だが、小説家であれば、この一首から恋物語を編み出すことができそうだ。蛇足ながら、物思へばーは恋をすれば、の意。

それにしても、年寄りで病人の特権といえ、たまたま皆さん忙しい歳末に、「やつがれ」が身につまされるような老年をテーマとする小説を読んでいるのも、妙なというか不可思議な話であるとしみじみと物思いに耽っている。

今年も今日を入れてあと二日を数えるだけとなった。咳風邪がまだ癒えない。このまま新年を迎えることになりそうである。



          
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。