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老いらくの恋ふたたび ・「老いが恋」と「恋の重荷」 [本]

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平成25年が明けた正月に芳賀 徹の「詩歌の森へ」(日本詩へのいざない 中公新書)を読んだ。
「詩歌の森へ」は、平成11年4月から13年12まで日経の日曜文化欄に2年9ヶ月連載された。日本、中国西洋の詩歌とまつわる話143章が分かりやすく、本になり、座右に置いて好きな時に好きなところ読む、というファンが多いと聞いて読む気になったのである。

自分のことを言えば、この時期40年近く働いた職場を退職し、  第二の職場で働き始めそこでドタバタ騒ぎにあい、日経を購読していたので連載されたこのコラムの存在は知っていたが、読んでいないと見えて記憶がない。
今回、取り上げられた古今の「詩歌」とそれに纏わる掌論をゆっくり楽しみながら
読み、あらためてわが国の詩歌の素晴らしさを再認識した。

芳賀 徹(はが とおる)氏は1931年東京生まれ 、本籍は山形県。日本の文学研究者、比較文学者。国際日本文化研究センター・東京大学名誉教授、京都造形芸術大学名誉学長、岡崎市美術博物館館長、静岡県立美術館館長。
1950年東京教育大付属高校をへて東大教養仏文卒業。
江戸時代の文化史にも造詣が深く、徳川治世を「パクス・トクガワーナ」と評価したことでも知られる。24年3月には、江戸が生んだ短詩型文学・俳句の海外との交流を研究した功績で、現代俳句大賞を受賞した。八十歳を超えた今も、静岡県立美術館長等の要職をこなす現役学者である。

さて、この本を読んでみて、著者は蕪村が好きだな、とあらためて思った。引用著訳者別索引で見ると143章(348p)のうち芭蕉は12箇所出てくるが蕪村も同じ12箇所、章だてでいうと次の通り12章に蕪村のためにページを割いている。
氏には、多くの人に読まれている「与謝蕪村の小さな世界」(1986年 中公文庫)という名著があることからも、どうも俳聖芭蕉より蕪村の方が好きなのではないかと勘ぐる。
各章だてと挙げている主たる俳句(ないし新体詩など)を抜き出して見た。
「蕪村のアンニュイ 」
       春の夕たへなむとする香をつぐ  
       にほひある衣も畳まず春の暮れ 
       春雨や小磯の小貝ぬるるほど
「冬籠りの名人 」屋根ひくき宿うれしさよ冬ごもり
「夜色楼台雪万家 」うづみ火や我がかくれ家も雪の中
(表題の「夜色楼台雪万家図」は蕪村の傑作水墨画淡彩、国宝)
「みじか夜の蕪村 」みじか夜や浅井に柿の花を汲ム
「野なかの薔薇 」愁ひつつ岡にのぼれば花いばらー(蕪村の新体詩)
 「中空になすな恋 」老いが恋わすれんとすればしぐれかな 
「冬来たる 」こがらしや畠の小石目に見ゆる 蕭条として石に日の入る枯野哉
「白梅の夜明け 」しら梅に明る夜ばかりとなりにけり
「春もさむき春」
      春もさむき春にて御座候。いかが御暮被成候や。御ゆかしく奉存候。(「春風馬堤曲」ものせた新春句帳「夜半楽」の添え状)
「京の蕪村、江戸の源内  」春の海終日のたりのたり哉
「花まみれの風流  」
   花も踏みし草履も見えて朝寝哉
   花とり(鳥)のために身をはふらかし、よろずのことおこたりがちなる人のありさまほど、あはれにゆかしきものはあらじ。(句に添えた画賛)
「螢火の不思議 」さし汐に雨のほそ江のほたるかな

自分も蕪村は絵も俳句も好きなのでこれらの幾つかは知っているが、瞠目したのは、 上記のうち「中空になすな恋 」の
老いが恋わすれんとすればしぐれかな
 である。これは初めて知った句である。目を瞠って正月気分が一瞬とんだ。
なぜなら、かつてこのブログで「老いらくの恋」を書いたことがあるのだが、老いらくの恋にはかねて少しばかり関心があるのだ。

http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2012-02-09

芳賀徹氏は、私の好きな蕪村の一句にこの句がある、として以下のように解説する。氏はこの文章を書いたのはおそらく古希前後と思われる。そのせいか、文章のプロだからあたりまえだが、実感がこもった良い文だ。
 「しみじみとして美しい。老いらくの身ゆえに、これがかなわぬ恋だとはわかっている。だが、妄執は消えない。消えないからこそ、忘れようとする。ひとり、この心をあしらいかねているときに、初冬の薄暮色がひろがりはじめる、という」

心をあしらいかねているとき、が何とも良い。
老いの恋と時雨が付いているだけと言ってしまえば、身も蓋もない句だが、年寄りには佳句と感じ入るものがある。
もちろんこれは蕪村の嘱目の句ではないであろう。しかし、蕪村の句には恋といえば違うかもしれないが、たとえば
       春雨や小磯の小貝ぬるるほど
に見られるように、何か知らぬ「色艶」があることもこのブログで書いた。
上掲の「蕪村のアンニュイ 」にある
にほひある衣も畳まず春の暮れ 
などもまさにそれである。そうだとすれば、もしかすると、などと思ったりするのも楽しい。
ブログは恋の句ー芭蕉と蕪村(2/2)

http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2012-09-02

芳賀徹氏は、この句のあとにおだやかな蕪村の老いが恋とは対照的な激しい「老いらくの恋」の話を続ける。
謡曲「恋重荷」である。
伝世阿弥作の恋の破局は、あわれ深くもおそろしい。
シテは白河院の御所の庭で菊のした葉をとるのが専門というしがない老爺。この老人が恋こがれるのは、なんと白河院の女御という高貴なおかた。年の差以上の超えがたい身分の差がある、過酷な設定である。
「重荷なりとも逢ふまでの、重荷なりとも逢ふまでの、恋の持ち夫(ぶ)にならうよ」
「よしとても、よしとても、この身は軽し徒に、恋の奴になり果てて、亡き世なりと憂からじ」
「そも恋は何の重きぞ」との嘆声とともに老人は息絶える。
女御は
「恋よ恋、われ中空になすな恋、恋には人の死なぬものかはー」戯れに恋はすまじといいかけ去ろうとするも老人の怨霊にとりつかれその場に動けなくなる。

歌人川田順(68歳)の「老いらくの恋」を彷彿とさせる。むろんシュチュエーションも恋の行方(歌人は恋の勝利者、つまり老いらくの恋が成就する。相手は人妻俊子、39歳、3女の母だった。)も違うのだが。
        げに詩人は常若と
  思ひあがりて、老が身に
  恋の重荷をになひしが、
  群肝疲れ、うつそみの       うつそみ=空蝉(うつせみ)
  力も尽きて、崩折れて、
  あはれ墓場へよろよろと。 (「恋の重荷」)
むろん歌人は謡曲「恋重荷」から詩の題名をとったのであろう。自分など「群肝疲れ」というのに身につまされて嘆息するばかりだ。

老いらくの恋とは一体何なのか。本の主題、詩歌のこととは無関係に、変なことに興味は深まるばかりである。とまれ、またいつの日か、みたび「老いらくの恋」について書くことがあるような予感が生じた新春の読書となったように思う。









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