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ヘルマン・ヘッセの水彩画その2 [絵]

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以前にヘッセの水彩画のことを書いたとき、「画家の歓び」という詩が見つからず、まだ読んでいなかった。ヘッセの絵を鑑賞するなら、この詩を是非読まねばならぬとずっと気になっていた。
http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2013-01-16

図書館で「色彩の魔術 ヘッセ画文集」(Magie der Farben 1920 V.ミフェルス編 岡田朝雄訳 岩波書店)を借りてきて読むと、その中にこの詩を見つけた。

画家のよろこび(Malerfreude)
畑は穀物を生みだすが金がかかる
牧草地の周囲には有刺鉄線がある
困窮と所有欲とが並立し
すべてが堕落し監禁されているようだ

しかし私の眼の中には
万物を統べるもうひとつの秩序が住んでいる
スミレ色は溶け真紅が王座につく
その色彩のけがれない歌を私は歌う

黄には黄が 赤にも黄が加わり
バラ色に染まった涼しい青空!
光と色は自然界から絵の世界へ揺れ伝わり
愛の大波となって高まり響いて消える

病めるものすべてを治癒する精神が支配し
緑が生まれたばかりの泉から響き始め
新たに意味深く世界は配分される
そして心は愉しく晴れやかになる

絵を描くと、心が晴れると高らかにその歓びを歌っている。
このほかに幾つか印象的な詩があったが、中でも「アトリエの老画家」という次の詩が自分に重なりすっかり気に入った。自分は、画家ではなくカルチャー教室の老画学生といった風情だが。

アトリエの老画家(Alter Maler in der Werkstatt)
大きな窓から12月の光が輝く

いろとりどりのアネモネと黄色いクレソンの花束が
その中央に坐って 制作に我を忘れて
老画伯が鏡の中に映し出された
自画像をかいている
おそらく孫のためにそれを始めたのであろう
遺言のつもりかそれとも己の
青春の痕跡を
鏡の中に映し探しているのか だが制作の動機は
とうに忘れられていた
絵をかく気分
ただそれだけが動機であった

彼がひたすら心を砕くのは
赤 茶 黄の均衡と
もろもろの色彩の相互作用の調和だけだ
それは創造の時間の光の中で
かつてなかったほど美しく光輝く
ーハンス ブルマン(画家)に友情をもって捧げるー

この「色彩の魔術」はヘッセの水彩画を理解するためには格好の本だ。随所に水彩画を描く詩人の心が記されており、自分なりにだが「うん、なるほどわかる、わかる」と合点しながら読み終えた。

私は白い画用紙に鉛筆でいくらかデッサンをし、パレットを取り出して 水を注ぎました。それからやおらたっぷりと水をふくませ、ネイプルズイエローを少しつけた筆で私の小品の最も明るい箇所に色を塗ります。(水彩画 Aquarell)

詩人がスケッチに出かけ、トルコ赤(とはアリザリンレッドのこと)がパレットにないのに気付いて、次のように書く。ヘッセは画家にも負けぬほど、沢山の枚数の絵を描いたと伝えられている。その彼が、芸術はひとえに技量、というと迫力がある。

トルコ赤なしでどうやってすばらしいスペイン瓦の屋根を描いたらよいのだろう!
「そこで私はアリザリンレッドの欠如をほかの色で補うことに着手した。私は朱色、バーミリオンを取り出して、それに赤紫色を少々混ぜた」が熱望した色にならなかった。
「人が何と言おうとも、芸術において決定的なものはひとえに技量、能力、あるいはそれで不都合なら僥倖であると言おう」(トルコ赤を使わずに Ohne Krapplack)

「私は帽子を椅子の上に投げだすやいなや、グラスに一杯の水をもってきて、水彩画のパレットを探し出し、すぐさま濡れた布切れで、色の鈍い、埃をかぶった絵具の塊を拭って元のように鮮明にし、クロムイエローが、ヴェロナグリーンが、アリザリンレッドが、ウルトラマリンが、濡れてとけながら輝き出すのを見た」
一モクレンを写生しようと志す不遜な企てに比べたら、一編のドン・キホーテや、一編のハムレットを書くことは一つの小事、一つの児戯ではなかったろうか?
(絵をかくよろこび 絵をかく苦労 Malfreude,Malsorgen)

「絵をかくよろこび」では、木蓮を写生する難しさを、不遜な企てと言い、ドン・キホーテやハムレットを書くことの方が「児戯」と言って嘆くところなどは、本当によくわかる。花は描いてみるとわかるが本当に難しい。ヘッセの絵は風景が多いが、モクレンの絵が何枚か残っている。良い絵だ。
編者が書いた、この本の序に、次のような文がある。

またロマン・ロランが1921年にヘッセに宛てた次のような手紙の一文もこれらの絵の心を言い当てている。「私はあなたの水彩画のアルバムに魅了されました。あなたの絵は果物のようにみずみずしく、花のように優雅です。これらを見ていると心がなごみます」
ロマン・ロランもこのモクレンの絵もきっと見ているに違いない。ヘッセの絵を見ていると心がなごむと言っていることに、これも自分なりにだが、深い共感を覚える。

ヘッセは40歳過ぎてから水彩画を始め、晩年まで絵を描いたと伝えられている。85歳で没するまでだから長い画歴だが、絵が精神的な危機を乗り越える助けになったというが、それだけでなく詩に小説に大きな影響を与えただろうことは、容易に推測される。
ただ、それが具体的にどんなことか良く理解できないが、ヘッセの水彩画は、どくとくの色調を持っているように思う。花などいくつかのペン水彩も優しい線だ。
「色彩の魔術」で詩人の絵に対する想いを読んでいると、画集の絵一枚一枚がいろいろ話しかけてくるような気がするのは、自分だけではないように思う。











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