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エミール・ノルデの水彩画 [絵]

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エミール・ノルデ(Emil Nolde, 1867年 - 1956年)は、ドイツの画家。本名はエミール・ハンセン(Emil Hansen)で、ノルデは出生地デンマークの北シュレースヴィヒ地方のブルカル (Burkal) にあるノルデで地名である。故郷の地名を名乗ったことになる。

ノルデの作品の特徴は絵を見れば明らかであるが、原色を多用した強烈な色彩にある。また単純化された形態もノルデの絵の特色だが、ともにゴッホの影響があるのでないかと言われている。
油彩のほか木版画や水彩画も描く。特に水彩は北ドイツの風景、草花などを題材にし、水彩という画材の持ち味を自在に生かし、にじみやぼかしを使って作るグラデーションが素晴らしい。紙と水と水彩絵具のハーモニーという感じだ。卓越した技術、技量をもっていたのであろう。

何と言っても水彩画の色の扱いが凄いと思う。強く激しい赤、ウルトラマリンかディープブルーか目も覚めるような青、藍、インディゴ。あくまでも明るく輝くような黄色。深いというしか表現のすべのない緑色。ときどき現れる紫色(ヴァイオレット)。
補色を大胆に配色するかと思えば、それぞれの色の濃いあるいは薄い色もふんだんに使う。見るものをしてその脈拍を高らしめるというもの。
どうしたらこんな色が出るのか、絵の具そのものの色すらこれを出すことは、それほど容易ではない。紙の白さを生かしながら塗らねばならない。
紙の上で、重ね塗りをして混ぜるとまず汚くなる。パレットの上で複数の色を混ぜて作る場合も、ノルデの色を出すのは至難であろう。ノルデしか作れない色だ。もしかするとノルデにも同じ色は二度と出せないのかもしれない。
水彩も焼き物と同じ偶然が作り出す色がある。この辺りはまさに技術、技量の世界だが、色彩感覚が生まれつき備わっているのか、後天的なものかノルデこそ水彩画における「色彩の魔術師」の称号がふさわしい。

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水彩は油彩に勝てないと思っている人は多い。たしかに鉛筆の線の上に淡い透明水彩絵具を塗って、穏やかに描いた水彩画はゆったりと落ち着いてはいるが、展覧会などでは、迫力においてはやや乏しいことは否めない。水彩は描くスピード、手軽さが短時間に美を捉えるには、格好の画材ではある。
しかし、勝つ、負けるというのは変だが、油彩のほうが力強いとは言えるだろう。
ノルデの絵はこの常識を覆す。水彩でも、油彩に劣らぬこれだけ強いものが描けるのだ。
しかし、図書館でノルでの画集(世界の巨匠シリーズ エミール・ノルデ 美術出版社 )を借り、見ると水彩画は殆どなく、油彩ばかりが収録されていたのにはびっくりした。ノルでの水彩を全く評価しないのか、何か編集方針があったのか知る由もないが、これだけ徹底すると唖然とするばかりである。

話が変わるが、日本の水彩画は、線画水彩に囚われ、世界の潮流から50年遅れをとっていると主張する人がいる。世界の潮流とは何か、絵に潮流があるのか首をかしげるが、線画水彩にも優れたものもあり、対極にあるかとも思うノルデの、色彩を紙の上にぶち撒いたような画もまた同じ水彩画だ。
描く人によって絵はまちまち、見る人の好みもまちまちである。時代の好みもあるからそれを潮流というのであれば分かるが、遅れるとか進んでいるというのは少し違うような気がする。

さて、ノルデの作風は20世紀のドイツ画家たち、カンディンスキー、キルヒナー、エゴンシーレなど、内にこもったものを表そうとする点で共通するものがあり、ドイツ表現主義(Expressionism)と呼ばれている。
表現主義は印象主義(Impressionism)に対する言葉であるが、不安・焦燥の感情など内的なものを表現するという意味である。
ドイツのドレスデンで1905年に絵画グループ「ブリュッケ(橋)」が旗上げし、いわゆるドイツ表現主義と言われる運動が始まる。
ほかに「青騎士」というグループもあるが、ノルデは孤独を好む性格で群れるのを嫌ったという。彼はクリスティアン・ロールフス らと同じく「北ドイツ」表現派に属するとされる。
たしかにノルデの水彩画は、美しいだけではなく内的な何ものかを表現しているように見える。歓びより、むしろ憂愁とか不安に近いように思える。絵が華麗だけに何かひとの胸に迫るものがある。

第一次世界大戦の敗戦で、彼の故郷ノルデはデンマークに割譲される。また彼は当時まだ弱小政党だったナチスの政策に共感して、1920年にはナチ党員となる。ナチのゲッベルスは彼の水彩の花の絵を好んだという。
パウル・ヨーゼフ・ゲッベルス(Paul Joseph Goebbels、1897年 - 1945年)は、国家社会主義ドイツ労働者党宣伝全国指導者、初代国民啓蒙・宣伝大臣であるが、「プロパガンダの天才」といわれ、アドルフ・ヒトラーの政権とナチス党支配下のドイツの体制維持に剛腕をふるって貢献する。ヒトラーによりドイツ国首相に任命されるが、その直後に家族とともに自死した。
そのゲッベルスは、1937年にナチ党政権が「退廃芸術」として批判した表現主義、抽象絵画の作品を集め、見せしめとしての「退廃芸術展覧会」を開催した。シャガール、クレー、キルヒナー、ノルデ、ゴッホ、ピカソ、ブラック、セザンヌなどの絵がみせしめとして展示された。キルヒナーは自分の作品を退廃芸術に指定されたことに強い衝撃を受け、自らの命を絶った。
ナチのやったことの中では小さなことだが、展覧会が芸術、文化に与えた影響は大きなものがあったのである。
ノルデの強烈な宗教画は、「宗教への冒涜」「退廃芸術」という批判を浴びていたからナチ党員でありながら、この展覧会の対象者となる。その果てにドイツ社会から非難を浴び、美術院からも除名され、絵画制作まで禁止されてしまう。

彼は戦時下を極小サイズの水彩画を世に隠れて描きながら、やり過ごしていた。戦後、これらの絵を描きなおす仕事を再開し、1956年に89歳の生涯を終える。
日照時間の短い北欧に生まれ、おそらく孤独癖のあったと思われる青年時代を経て、ナチに共鳴し、後にそのナチから頽廃画家の烙印を押され、戦時下に筆を隠して暮らしたノルデは戦後の10年余りの晩年、何を思いどんな絵を描いたのか。

ノルデの絵は鮮やかな色彩の抽象画のような単純化した風景画と花の絵があり、一方頽廃的とも見える人物画など、これが同一作家かと思われるようなタイプの異なった絵がある。前者は線が殆ど見られず、後者は線が目立つ。また油彩あり版画あり多様だ。
薔薇にエミール・ノルデという名を冠したものがある。鮮やかな黄色いバラである。画家の名に由来しているという。ノルデの絵の黄を指しているのか詳細は知らないが、ノルデの黄色もたしかに素晴らしい黄色だ。とくに隣にブルーが配された黄色は何とも言えぬ。バラの新品種は長時間かけて忍の一字で開発するといい、発現は宝くじ並の確率と聞く。
命名者は、開発中に思い描いていた色が、新しいバラが誕生した時、ノルデの鮮やかな黄色と似ているとおもったのだろうか。たぶん油彩でなく水彩の黄色とだと思うのだが。

水彩画のお稽古をしている自分には、ノルデの人物画よりも、やはり色彩感溢れる風景画や花の方に惹かれる。
こんな色をどうしたら描けるのだろうと、腕組みをしながらしみじみと眺めるのだ。



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