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ターナーの水彩画(3/3)・巨匠晩年のチャレンジ [絵]

ガーティンが1802年に27歳で亡くなり、ボニントンも1828年に26歳で没したあと、対照的にターナーは実に1851年、76歳まで長寿に恵まれて絵を描き続けた。
実に、1800点の水彩画作品と10000点にのぼるスケッチ類を残したという。

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その殆んどはイギリスやヨーロッパの風景を描いたものだが、珍しいものものを幾つか画集に見つけた。
「Heron with a fish 」( Date unkown , Watercolor on paper)
from The Farnley Book of Birds (1816 Pencil and watercolor)として沢山の鳥の図鑑の絵があるのでたぶんその一連の絵と同じものではないか。

「A Gurnard 」 (date unknown)ガーナード はホウボウの一種。生きている魚らしいが、躍動感があって良い絵だと思う。

「Two Recumbent Nude 」(1828 oil ) recumbent は側臥位。53歳の時、二度目のローマに行った時に描いたとされる。ターナーにヌードは似合わない。殆どこれが唯一ではないのか。茶褐色の髪の毛、赤いイヤリングだけを身に纏っている。鉛筆によるもう一人が描かれたらしいが、未完成だったらしい。
解説に、イメージはティツアーノに描かれた横たわるヌード「 ウブリーノのヴィーナス」(1838 フィレンツェ ウフィツィ美術館)を想起させるとある。
ターナーの権威は言う。人は、この絵がターナーのこれまでの仕事とあまりに異なっているので驚く。我々は、誰もが彼を、光と雰囲気の風景画家と見ているのにこのようなティツアーノや巨匠たちの全く違った対象を試みるとは。彼がこれまで描いてきた風景画や難破船から離れ、急進的にティツアーノや巨匠の絵を発展させようと試みたのだ。
よく知られているようにティツアーノのこのヌードは、ジョルジョーネの「眠れるヴィーナス」(1510)をもとに描かれて、後年E.マネがウブリーノに触発され「オランピア」(1863)を描いたとされるものだ。こちらは娼婦だが。
ターナーのチャレンジは成功しなかったようだが、画家の貪欲な一面を見る思いがする。

「A Bed, drapery Study」ターナーには、屋内を描いた絵は数少ない。ベッド、カーテン習作とあるから、何か寝室でも描く本制作のための練習か。セザンヌにこれと似たカーテンの水彩画があったのを思い起こさせる。

これは、珍しいものでなく、漱石展開催中でで話題なので。
「The Golden Bough 」(1835 oil on canvas)は、坊ちゃんに登場する絵とされるイタリア旅行の作品。「金枝」。スコットランドグラスゴー出身のジェームズ・フレイザー(社会人類学者 1854-1941)の「金枝篇」に口絵として掲載された
アイネイアス神話の一場面を描いている。画家60歳、最盛期の絵か。

ターナーは、風景画家ではあるが、点景に人物や家畜などの入っていて結果的に風俗画家でもあった。また、同時に、時代の要請でもあったのか報道画らしきものをたくさん描いている。
火山噴火、難破船、火事、戦争などの事件にも題材を求め、あたかも報道写真家のようでもあった。しかし、絵には事実を知らせるためというだけでなく、非日常の事件が画家の心を強く捉えたのであろう、単なる事件の写生と違ったものを見るものに感じさせるのは流石である。
水彩、油彩両方あるので一例としてあげると。
「The Burning of the Houses of Parliament」( 1834 watercolor )
「The Burning of the Houses of Lords and Commons」(1834-35 oil on canvas)
英国の国会議事堂は貴族院(上院)と庶民院(下院)からなるから1834年の議事堂炎上を題材にした同じものだが、油彩は一年後に完成したようだ。


晩年には形態や色彩の調和にこだわらない自由奔放な画風へと変化していったとされる。いわば絶えず進化する画家であったというのが通説である。

晩年の最高傑作と言われる「The Blue Rigi;Lake of Lucerne-Sunrise 」(1842 Watercolor on paper)は67歳ときの作品。スイスのルツェルン湖にあるリギ山の日の出を描いたもの。ルツェルンは昔行ったことがあるが、絵の方が素晴らしい。

確かに、対象の色彩にも形態にもとらわれず抽象画に近いとも思えるが、ターナーが好きな黄色に、ブルーを配し舟や人物らしき点景を描いたターナーの風景画そのもので、基本は若い時と変わっていないようにも見える。

これより後に描いた
「The Lauerzersee with Mythens 」(1848 watercolor ,pen and ink and scratching out on paper )。scratching outは外傷という意味だが紙質のことか、あるいは引っ掻くような技法のことか分からないが、左上の青い太陽らしきものがまず眼に入り実に味のある良い絵だと思う。これも中央前面に羊と羊飼いを配し、ターナーの風景画の基本形だ。ターナー73歳 の時の絵。ラウエルツ湖はスイス シュヴィーツ にある湖という。

「Lake of Thun 」(1845-51 Watercolor on paper)は、スイスのベルン州トゥーンにある湖を描いたものだが、70歳から描き76歳の没年まで手を入れたと見える。最晩年の作ということになるのか。
黄色が基調だが、全体に淡い。細く高い一本松、貴族たちの遊山であろうか人物の数も多く結構仔細に描き込んでいる。最後までターナーらしい風俗画的な風景画を描いたのだ。

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画集に70歳(1845年)頃しきりに描いた抽象画のような水彩画の作品が沢山ある。一見すると画風が老年になって大きく変わったのかと思わせる。例えば、
「Sailing Boat in a Lough Sea 」(1845 watercolor )や「Ship in a Storm 」(1845 Shipwreck )などである。
若い頃の海と船の絵や難破船の絵と比べたら、様変わりの淡い単純化した絵だ。
ほかにもさらりと描いたような絵がある。
「Lost to All Hope The Brig」(1845-1850 water and graphite on wove paper)
「Figures on a Beach 」(1845)
「 Red sky over a Beach 」(1845)
「Ship in a Storm 」(1845)
「Sunset seen from a Beach with Break water 」(1845)
「Two Figures on a Beach with a Boat 」(1845)

しかし、その後に描いた次のような晩年の風景画を見る限り、画風が変わったというのでなく、これらはむしろ習作のようなものではないかとも思う。
(余りにも数が多いので気にはなるのだが。)
「Fluelen ,Morning 」(1845 watercolor and gouache out on wove paper)
「Heidelberg 」(1846 watercolor )
「The Burning pass ,from Meringen 」(1847-48 watercolor )

油彩画にも、「Mercury Sent to Admonish Aeneas」( 1850 oil on canvas)など75歳の完成品もあるが、神話を題材としているが、抽象的なものではない。

ターナーの風景画の基本的なものは、晩年にも変わらなかったように、自分には見える。たしかに神経質で緻密な絵からは解放され、自由なおおらかさは獲得したようには思うが。
それを画風の変化というのかも知れないが、少なくともあのティツアーノのヌードを越えようとした時に挑戦したような、ラジカルな変容ではないように思う。

ともあれ、自分の年齢からみて、巨匠の晩年のチャレンジ精神には頭が下がるのみである。


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