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ピエト・モンドリアンの水彩画・抽象水彩画2 [絵]

ピエト・モンドリアン(Piet Mondrian、1872年 - 1944年 )は、オランダ出身の画家。ワシリー・カンディンスキーと並び、本格的な抽象絵画を描いた最初期の画家とされる。
カンジンスキーより6歳年下だが、奇しくもカンジンスキーと同年の1944年、アメリカNY において72歳で没した。

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初期には風景、樹木などを描いていたが、やがて抽象へ移行して行く。
「Landscape with Ditch 掘割のある風景」(1895 )は水彩で描かれたごく普通の風景画だ。

その後に描かれた有名な「リンゴの樹」の連作を見ると、樹木の形態が単純化され、完全な抽象へと向かう過程が読み取れると言われている。さすれば、彼の抽象画の大元も具象たる「自然界にある樹木」ということになる。
「The Gray Tree 」(1912 油彩)はそのうちの一枚。

同じ抽象画でも、過激な表現主義派に近いカンジンスキーのものと画風は大きな違いがあるのはアマチュアでも分る。
比較的初期の「Composition No.6 」(1914 Oil on canvas)で見るように縦横の格子が描かれ、一見して静かな印象である。
カンディンスキーは「熱い抽象」、モンドリアンは「冷たい抽象」と呼ばれるという所以である。

モンドリアンは、1917年、パリで「デ・スティル」グループを結成する。デ・ステイル (De Stijl) とは、オランダ語で「様式」の意味という。
その頃の作品。
「Composition Chequerbord,Dark Colors 」(1919 Oil )
「Composition:Light Color Planes with Gray Lines 」(1919 Oil)

1920年、モンドリアンは「新造形主義」宣言を発表し、ヨーロッパ中にその新理論が席捲する。
その理念は、グループの重要なメンバーでもあるモンドリアンが主張した「新造形主義」(ネオ・プラスティシズム、Neoplasticism)であった。
新造形主義は、「新しい造形」(抽象絵画・非具象絵画)が持つ「単純で癖のない形態」、「自由なラインと原色」のほうが、従来の具象絵画に比べてより優位性があるとするものである。自由なラインとは、自然界にある線に束縛されぬという意味だろう。また、現実にある色より原色の方が素晴らしいのだということだろう。

モンドリアンによれば、純粋なリアリティと調和を絵画において実現するためには、絵画は平面でなくてはならない、つまり従来の絵画のような空間や遠近の効果は不要であると考えた。そして自らの絵画こそ、それを実現しうると主張したのである。
必然的に、色むらやはみ出した部分がない厳密な線や色彩面を描きあげるために、細心の注意と努力に集中することになる。絵は、いきおいストイックなものにならざるを得ない。

これでは水彩のにじみ、ぼかしなどの偶然が創り出す美などは、当然に合い容れないことになり、論外ということになる。

1921年、水平と垂直の直線のみによって分割された画に赤、青、黄の三原色かあるいはそれよりも少ない色でから成る「コンポジション」の作風が確立された。そしてモンドリアンの代表作となる。
「Composition 」(1921 油彩)
「コンポジション 大きな青地 、赤 、黒 、黄色、灰色 」(1921油彩)などである。


モンドリアンが創出した幾何学的抽象表現は、デザインの世界にも大きな影響を及ぼした。例えば若い女性に今でも人気のあるモンドリアンンモードは、このコンポジションをベースにしているが、ロングライフ サイクルのデザインだ。

しかし、モンドリアンの主張に対し、「スティル」のリーダーであるドースブルフの考えは、絵画よりもむしろ建築を重視する。1924年には、リーダーが垂直と水平だけでなく、対角線を導入した要素主義(エレメンタリズム)を主張したために、両者の対立は決定的となり、モンドリアンは、1925年にグループを脱退してしまう。しかしながら、仔細に見れば、カンジンスキーの絵にも斜めの対角線があるが、この辺の事情は良く解らぬ。

結論から言えば、念のために注意して探したが、モンドリアンの抽象画に(たぶんグヮッシュを含め)水彩画は無いようだ。

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ところで、モンドリアンの抽象画を理解する人も多かったが、彼は生活を支えるために淡い色調で描かれた植物(特に花)の絵を描いては売っていたという。

モンドリアンの抽象画に水彩がなく、ちょっと落胆したけれど、面白いことに、生活の糧として描いたその水彩画がなまなかのものではなかった。素人にとっても参考になったのは、思いがけない大収穫だった。
「Passionflower 」( 1908 Watercolor and ink on paper)
「Chrysanthemum 」(1908 Watercolor)
「Amaryllis 」(1910 Watercolor over pen)
「White Rosé in a Glass 」(1921)
「Lily 」(after1921 Watercolor and colored pencil on paper)


またモンドリアンはキャンバスを45度傾けた(角を上下左右にもってきた)作品を創ったり、額縁を用いなかったりなど、描画以外の面でも様々な工夫を凝らしたという。抽象画家は何事によらず革新的なのだと感心する。

さすがに「自画像 」(1918 油彩)は、抽象画ではないが、背景の壁の四角形と縦横の線がご愛嬌。

モンドリアンは第二次世界大戦から逃れ1938年からロンドン、1940年からNYで暮らした。
「ブロードウェイブギウギ 」(1942-43 oil)は、画家の晩年、古希の頃の作品。彼の代表作となる。
摩天楼が立ち並ぶマンハッタンの都市道路や、幾何学的な碁盤目状のブロックに触発されて制作されたという。ブギウギは当時流行したジャズ音楽。絵と無関係だが、笠置シズ子の「東京ブギウギ」のヒットは、1947年(S22年)。時期的に平仄?があう。

さて、この絵からは画面を分割する黒い線が消え、赤、青、黄がリズミカルに並び絵に動きが出ている。色も重なり、快活さと楽しさが強く感じられる作品になっていて、彼の抽象画の特徴だった「冷たさ」も、ましてや老境も感じさせない。

連作というか、似たものに「ニューヨーク・シティⅡ」(1942-44 Oil)や「ヴィクトリー・ブギ=ウギ」(1943-44Oil)がある。後者は、未完となったが、画家の絶筆であろうか。同じテーマながら、矩形でなくひし形である。
革新を貫いた抽象画家は、老いをものとせず、最後まで「新しい造形」という自らの主張をし続けたように見える。
 
次回は、カジミール・マレーヴィチの水彩画・抽象水彩画3

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