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ジョン・ コンスタブルの水彩画 [絵]

ジョン・コンスタブル(John Constable、1776年 - 1837年)の代表作は、「The Vale of Dedhamデダムの谷」(1928)「The Hey Wain 乾草の車」(1821)、「Salisbury Cathedral from Bishop's Grounds 主教の庭から見たソールズベリー大聖堂」(1823)などである。いずれも油彩であることに見られるように油彩画家であるが、同時代のウィリアム・ターナー(1775-1851 )と同じように優れた水彩画も描き二人は19世紀イギリスを代表する初期の風景画家として並び称されることが多い。

彼の油彩画は、野外での水彩スケッチをもとに、屋内で完成したものだが、刻々と変わる風景を出来るだけ正確に捉えて、それをキャンバスに再現しようとしたのである。水彩スケッチといえ、空気感と光と影を描いて完成度の高いものだったからこそ、後世の我々は独立した絵として鑑賞することが出来るのであろう。

コンスタブルは、英国サフォーク州イースト・バーゴルトで裕福な製粉業者の息子として生まれる。ターナーの生まれた翌年である。
画は23歳ごろから、ロイヤルアカデミーで学び始め、画家としてのスタートは遅い。
1816年父親の反対を押し切って、マリア・ビックネルと結婚。マリアは結核に感染し、彼らは、ロンドン中央よりは健康的だと考えて、北ロンドンのハムステッドに住む。1820年代にしばしばマリアの健康のためにブライトンを訪れる。ブライトンはイギリス・イングランド南東部、イースト・サセックス州西端に位置する都市で、今でもシーサイド・リゾート、保養地として有名である。
1828年に愛妻マリアが子供を遺して亡くなるが、男手一つで7人の子を育てあげた。
コンスタブルは、自然を解釈して描くターナーと異なり自然をそのまま写実することに注力した。夥しい雲の習作などを見ると、その姿勢が良く伝わってくる。
フランスロマン派などに影響を与え、国内より大陸で評価が高かったが、イギリスを出なかったのは病弱の妻と家族のことを考えたからであろうと言われている。
コンスタブルは、生地サフォーク周辺をはじめ、妻と住んだハムステッド、良く訪れたブライトンなどのイングランド風景を生涯描き続け、1837年ロンドンで心臓発作で没する。61歳。なお、ターナーは、その後も活躍し1851年、76歳で没するまで絵を描き続けた。

周知のように、オランダなどと異なり英国では、それまで神話、聖書のエピソード、歴史上の大事件や偉人などをテーマとした「歴史画」が常に上位におかれ「風景」はその歴史画や物語の背景としての意味しか持っていなかった。
コンスタブルはターナーとともに風景画を絵画のジャンルとして確立したのであり、美術史上の役割は大きい。さらにその後ドラクロワなど大陸の画家たちにも影響を与え、いわば印象派の先駆者ともなったとも言われる。

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「Dedham Church and Vale デダム教会と谷 」(1800 水彩)デダムは画家の生地。絵を学び始めて1年後の若い24歳のときの作品。
「Windsor Castle from the River 川からのウインザー城」(1802 pencil and red chalk and Watercolor )淡彩風の心地よい作品。城へは昔行ったことがある。
「His Majesty's Ship 'Victory' in the Memorable Battle of Trafalgar ,between two French ships of the line トラファルガーの戦いで、二艘のフランス軍艦にはさまれた陛下のヴィクトリー号」(1805 水彩)
「A Country Girl in the Lake District 湖水地方の田舎の少女」(1806 水彩 )コンスタブルの人物画は珍しい。
「Derwentwater : Stormy Eveningダーウエントウオーター:嵐の夕方 」(1806 水彩 ) 湖水地方のダーウエントウオーター湖。
「A Windmill at Stoke by at Nayland ,Near Ipswich Suffolkストークの風車」(1814 水彩 )Stoke 市の正式名称は 「ストーク・オン・トレント (Stoke-on-Trent)」。 イングランド・ウェストミッドランズ地方スタッフォードシャー州の都市で、ロンドンから北西へ約200kmに位置 する。
「Coal Brigs on Brighton Beach 」(1824 水彩 )ブライトン海岸の石炭船。蒸気船のことか。
「Sky Study with Rainbow 虹のある空の習作」(1827 水彩)
「Study of Clouds Above a Wide Landscape 広い風景の上の雲の習作」(1830 水彩)コンスタブルは、油彩で多くの雲の習作を描いた。水彩はあまり多くは残されていない。

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「View over a wide Landscape,with trees in the foreground 前景に木のある広い風景の上の景観」(1832 水彩 )
「Stoke Poges Church ストークポージュス教会」(1833 水彩 )
「Hampstead Heath from near Well Walk ハムステッド荒野」(1834水彩)現在ハムステッド・ガーデン・サバーブ は、イギリスの首都ロンドン北西部バーネット・ロンドン特別区にある郊外住宅地区。昔こんな灌木の生えた地だったのだろうか。
「Old Sarum at Noon 真昼のオールドセーラム」(1829 Graphite on wove paper )ウオーブ紙は織ったような紙か。水彩と油彩が描かれたかなり前の絵。
「Old Sarumオールドセーラム 」(1834水彩)オールドセーラム は英国イングランド南部、ウィルトシャー州の都市ソールズベリの前身にあたる町があった場所。城砦や大聖堂などがあった。ソールズベリSalisburyの中心から北へ2.5kmほどのところにある。ストーンヘンジStonehenge へ行くバスも途中で通る。
「Old Sarumオールドセーラム 」(Date unknown oil )
この3枚は同じ題材。例によって、水彩と油彩を比較すると、明らかに水彩の方が迫力があるように思う。空、雲など全体に描写もはっきりしている。油彩では左の点景人物が消えているのも、物足りない感じがする。油彩は、英國らしいどんよりと曇った空が重厚な感じではあるが。2枚の大きさが分からないのが残念。
「Stoke Poges Churchストックポージュス教会 」(1834 水彩)
「Stonehengeストーンヘンジ」 (1835 水彩)38.7×59.1cmの大きさ。画家の亡くなる2年前、晩年の傑作。題材も神秘的だが、空、雲の光と影も妖しげな雰囲気。特に背景の空のヴァイオレットが印象的だ。石舞台が明るく強調されている。
なお、ストーンヘンジの油彩もあるかと、探したが見つからない。
「A Barge on the Stour ストゥール川のはしけ」(水彩date unknown )

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「Pitt Place,Epsom 」(水彩date unknown )ロンドンのエプソム は競馬場で有名。ピットプレースとは何か、不学にして知らぬ。ピットは大か、小か、政治家とは関係ないか。
「View in Borrowdaleボロウディルの眺め」(水彩date unknown )1564年にイギリスのカンバーランド地方ボローデールで良質の黒鉛が発見され,これを棒状に切断して糸でまいたり,木ではさんで使用するようになった 。鉛筆の歴史に出てくる地として知られる。 湖水地方の渓谷。
「Brighton Beach with Fishing Boats and Crewブライトン海岸の漁船と船員 」(水彩date unknown )
「The Valley of Stour ,looking towards East Bergholt ストゥール川の谷」(1800 水彩)
「The Vale of Dedham デダムの谷」(1828 油彩 )代表作。画家52歳の作品だが、さすがに見る人に静かな感動を与える絵だ。空、木などこの絵が出来るまでに膨大な習作が描かれたであろうと想像する。近代風景画の扉を開いた絵としても有名な一枚である。

コンスタブルの水彩画はターナーと少し違って水が少ないように思う。空、雲などにドライブラシを使う。ターナーはウエットインウエットを基調としているように見えるがどうか。アマチュアの見方だから間違っているかも知れないが。

いずれにしても、水彩風景画草創期のコンスタブル、ターナーらの絵は、自分のようなアマチュアに大変参考になることは疑いが無い。
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