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大野晋「日本語の水脈 」ーいろの話 [本]

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「日本語の水脈 」(大野 晋 新潮文庫 2002)は、本来難しい本なのだろうが分かりやすいところもあり、なるほどと納得してしまう語源の話があって面白い。斜め読みなので偉そうなことは言えないのだが。
水脈(すいみゃく)とは地層の下に流れる水のこと。「みお」と読めば、澪と同じで船の航跡。いずれも美しい日本語だが、ここでは前者であろう。

大野 晋( すすむ)は、1919年(大正8年)東京生まれ。2008年(平成20年)89歳で亡くなった国語学者、文学博士。学習院大学名誉教授。
日本語の起源については、アルタイ語族説、朝鮮語同系説など諸説あって確定されていないが、その一つにドラヴィダ語族説すなわちクレオールタミル語説がある。これを唱えたのが、大野晋である。タミル語は南インドの言葉。海流に乗って日本に来たのだろうか。よくも対応関係を見つけたものと感心する。

この本には、いくつか面白い語源の話があるが、そのうち二つだけを。一つは絵を習っていることもあって関心がある色の話。

日本語の「いろ」については、他の言語とくらべかなり特異らしい。

古事記 では、アカ赤、クロ黒、アオ青、シロ白の4つしかないという。
万葉集になると二 丹、ムラサキ 紫、アカネなどが加わる。

注目すべきひとつはこの中に三原色の黄色がない。黄色がないー大野はその理由を、弥生時代ごろまでの日本人は金属を使うことを知らなかったからとしているらしいが、金属を持ち出さなくとも、他のもの、たとえば黄葉や硫黄の色で代用させることはできたのではないか。

色については、この代用、転用こそが日本独特らしい。
漢語やヨーロッパ言語例えば英語では、三原色(赤、青、黄 ーRed Blue Yellow )と中間色(黒、白ー Black White )には固有の名詞をあてている。どちらも、もとの意味はあくまでも色そのものである。その他の色(茶、灰色 ーBrown Grey)なども同じだ。

これに対して日本語は、色固有の名詞がない。つまり日本語の場合には原色、中間色やその他の色についても、色彩以外の事象のことばで代替させている。
赤はあかあかとした夕日、払暁の日の出。青は青々とした空、海。黒は黒々とした暗闇、焼けぼっくいの木といったぐあいである。
「むらさき」、「だいだい」、「やまぶきいろ」、「ふじいろ」、「ちゃいろ」、「はいいろ」などはみな、草、花、実のような植物などからの転用である。

大野はこの転用、代替のことに触れていないが言っていることは同じことだ。我々も青を空色、黄を金色、ピンクを桃色・さくら色などと言うので感覚的にはよく分かる。

大野の赤、黒、青、白の語源説は次の通り。
①アカ 赤 ー明かるい (タミル語「akal」ー夜が明ける、と対応しているという)二 丹は赤い土、赤い顔料
②クロ 黒はクラシ暗しでなく(発音の高低が違うという)クリツチ黒土。
③アヲはアヰ藍。
これらは皆染料または顔料である。
④シロの語源はタミル語の 「tel-i」ー白くなる、とか。

ちなみにタミル語は南インドで五千万人以上が使う言葉で、日本語と五百以上対応語があるという。

白は顔料ではないとすれば何か。しらじらしいという擬態語か。転用、代替説なら雪などを持ってきそうだが、南インドに雪は降らないだろうからそれはなさそう。
むろん、東南アジアには多いというオノマトペ・擬音語ではないだろう。

日本語の色に固有の名詞がなかったのはなぜなのか。良く言われるように言葉は気候風土、生活様式などその国の人々の生活や文化と密接な関係がある。大野もモンスーン地帯の日本語の雨に関する言葉の多様性、騎馬民族の馬に関する言葉の多いことを例として出して説明している。
本書ではそこまで言ってないが、とすれば、色については日本人の生活様式(例えば採取、狩猟)や文化(縄文、弥生)とどういう関係があったのか。または、日本人の色感と関係があるのか。これらも興味深い疑問だが本書では解答が見つからない。
また、ミドリ 緑、翠やクレナイ ・ベニ 紅の語源は何かなども面白そうだが説明が無いので解らぬ。
また、「いろ」自体の語源は何か。「いろはにほえど」、「いろにでにけりわが恋は」、「色即是空」などの「色」は同じものかなど、まだまだいろについて知りたいことはたくさんある。

蛇足ながら。和色大辞典というのがあって、それによれば日本の伝統色は、意外と豊かである。おそらく400以上あるという。着物、織物、染物、焼物、漆器、日本画などの伝統と密接な関係があるのだろう。しかし大方の色名は植物、鳥、鉱物などからの転用だ。
日本人の色感は、海の向こうの人達と決して劣ることは無いと思う。しかし、天鵞絨(びろうど)、 翡翠(ひすい)、浅葱(あさぎ)、利久鼠(りきゅうねずみ)、紅殻(べんがら)、瑠璃(るり)、鬱金(うこん)空五倍子色(うつぶしいろ)など色の和名を見ていると、転用、代替もさることながら、変わっていることは確かかもしれないと思う。
例えば、色相、明度、彩度による科学的な体系化がなされていないで、それぞれに雅びな名前がついていること、また鼠などは、葡萄鼠、鴇鼠、素鼠、暁鼠などと沢山あって微妙な色の違いを区別していること等々である。

「日本語の水脈」で面白かったもうひとつは、かねてから日本人は何故五七調が好きで俳句、短歌なども何故五七調なのかという疑問があったが、本書の「よむとかく」の文章にその答えを見つけたことである。
大野はなぜ歌をヨムというのかについてこう書いている。
「英語やドイツ語などでは、中世以後、歌は脚韻を踏んで作られる。また漢詩でも脚韻を踏む。それが詩を朗読した時の音楽的な美しさである。しかし、日本語はその文法的構造のせいで脚韻をふむことができない。そこで日本語の歌は、五・七・五・七・七というように音節の数を整え、拍子の数を区切ることによって美感を表す。つまり声に区切りをつけて、あたかも、魚の数を「一丁ナ 一丁ナ」と数えていくように、発声を整えて歌っていく。それはまさにヨムと表現されるべき事態であった。そこで歌を、一音節ごとに数えるように歌いあげることもヨムというようになった」

また、これも知らなかったのでおどろいたが、音読から黙読へと変わったのは最近のことで、 読字量が飛躍的に増えた明治以後のことだと思われるという。音読をしていた昔の人の脳の発達は、たぶん我々より良かったのであろうと考えさせられる話だ。

なお、「書く」は「引っ掻く」からという。これは分かりやすい。
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