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小熊 秀雄の水彩画 [絵]

小熊 秀雄(おぐま ひでお、1901 - 1940)は、昭和初期の詩人、小説家、漫画原作者、そして画家である。ペンネームに、小熊 愁吉( しゅうきち)、黒珊瑚(くろさんご)、旭 太郎(あさひ たろう)などがある。
1901年(明治34年)、北海道小樽市に生まれる。幼年期は稚内市・秋田・樺太で暮らした。イカ釣り漁師、養鶏場の番人、パルプ工場従業員など様々な雑務作業に従事した後、1922年、23歳の時に旭川新聞社で記者となる。この頃から詩作を始めた。
1928年、27歳で上京。雑誌社や業界新聞で働きながら、雑誌に作品を発表。1935年に「小熊秀雄詩集」長編叙事詩集「飛ぶ橇」でプロレタリア詩人としての地位を確立した。
自由や理想を奔放に歌い上げる作風で、詩壇に新風を吹き込んだ。詩作にとどまらず、童話・評論(美術を含む)・絵画など幅広い分野で活躍した。
小熊の最初の詩集「小熊秀雄詩集」の装幀をおこなった寺田政明ら池袋モンパルナスの画家たちと交流し、みずからも絵を描いた。
1938(昭和13)年、「池袋モンパルナスに夜が来た」という文で始まる詩を発表。「池袋モンパルナス」の名づけ親が小熊といわれている。

池袋モンパルナスに夜が来た
学生、無頼漢、芸術家が
街に出てくる
彼女のために
神経をつかえ
あまり、太くもなく
細くもない
在り合わせの神経を―
「池袋風景」(1938 S13 サンデー毎日)

周知のように、 20世紀初頭のフランスは世界の芸術の中心であり、パリのモンパルナスは、その拠点だった。モンパルナスが最盛期(エコール・ド・パリ)を迎えたのは、1920年代である。
デュシャン、ブルトン、ピカソ、ダリ、ミロ、シャガール、モディリアーニ、ジャコメッティ、藤田嗣治ら国籍も年齢も異なる芸術家たちが集まり、後期印象派からキュビズム、フォーヴィズム、ダダイズム、シュルレアリスムなど、その後の20世紀芸術を規定する革新的な前衛芸術を生み出していった。
小熊は憧れと期待を込めてアトリエ村を池袋モンパルナスと歌った。当時の池袋アトリエ村には確かにモンパルナスを彷彿とさせる雰囲気があったという。

池袋モンパルナスは、大正の終わり頃から第二次世界大戦の終戦頃にかけて、東京都豊島区西池袋、椎名町、千早町、長崎、南長崎、要町周辺にいくつものアトリエ村(貸し住居付きアトリエ群)が存在し、多くの芸術家が暮らし芸術活動の拠点としていた一画である。この地域に暮らした画家、音楽家、詩人などさまざまな種類の芸術家が行った芸術活動および熱く語りあった文化全体もさす。
ここにかかわった芸術家は、小熊秀雄の他高橋新吉、熊谷守一、長谷川利行、靉光、長沢節、丸木位里・俊夫妻、松本竣介、北川民次など延べ千人ともいわれる。
中には現役の画家にもまだおられ、野見山暁治氏もその一人だ。
ちなみに若い漫画家の集まったトキワ荘、田端文士村などもこの地の近くになる。

小熊秀雄は、晩年には、漫画出版社・中村書店の編集顧問となる。
ペンネーム旭太郎で原作(漫画台本)を担当した「火星探検」(1940年)はSF漫画の先駆的傑作とされ、手塚治虫(1928 S3ー1989- H1)、小松左京(1931-2011)、松本零士(1938-)らに大きな影響を与えたとされる。

1940年(昭和15年)、東京市豊島区千早町30番地 東荘で、肺結核により死去。満39歳の若さであった。前にも書いたが、長谷川利行と没年が同じ。まったく関係無いけれど自分の誕生年である。

小熊秀雄の水彩は1930年代の10年間に描かれたが、制作年、月が不明なものが多い。いずれにしても晩年の作である。絵は、黒インク線描水彩で比較的小さなものが多い。絵は独特なので、アマチュアの参考にはなりそうもない。

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「詩人の食卓」(1930年代)水彩・インク)33.0×21.8cm。
「ピストル」(水彩)同名の絵が2枚ある。
「飛翔するイメージ ー童話風にー」(1930年代 S4-14 水彩)18.2 ×12.3cm。
「小熊夫人の像」つね子夫人は、1982(昭和57)年、79歳で亡くなった。
「たき火にあたる人物」(1930年代 S4-14 水彩)19.0× 12.8cm。
「巣鴨拘置所」(水彩)
「自画像」(1938 S13油彩)
「少年」( 水彩 ) モデルがひとり息子かどうかは不明。長男焔は1945(昭和20)年、19歳で早世した。
「三人の人物とカエル」(1930年代 S4-14 水彩)20.4× 14.8cm。
「河童 」18.3 ×27.0cm。
「寺田政明像1 」22.3× 30.3cm画家の寺田政明は長谷川利行にも肖像画(水彩)があるが、子息が俳優の寺田 農(みのり)氏。
「きのふは嵐けふは晴天」(1930年代 S4-14 水彩)27.1 ×35.9cm。

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「ピストル」(1930年代 S4-14 水彩)17.6× 23.7cm。
漫画 「火星探検」 1940 台本 旭 太郎(小熊秀雄 )画 不明。
漫画「 勇士 イリヤ」 作 小熊秀雄 画 謝花凡太郎。
小熊秀雄詩集「飛ぶ橇(1935 S10)」表紙。 装幀が寺田政明 かどうか不明。
「夕日の立教大学」(1935油彩)。
「池袋モンパルナスのスケッチ」市立小樽文学館所蔵。

小熊秀雄の著作集は青空文庫に収載されているので、詩も読めるが自分は詩ごころが無いせいか、あまり良い鑑賞者になれそうもない。あの時期に反戦詩人として生きた稀有な存在だったことは誰もが認めるところだろうが。

旭川市に建てられた詩碑に刻まれた遺稿の詩。
 こゝに理想の煉瓦を積み
 こゝに自由のせきを切り
 こゝに生命の畦をつくる
 つかれて寝汗掻くまでに
 夢の中でも耕やさん

 さればこの哀れな男に
 助太刀するものもなく
 大口あいて飯をくらひ
 おちよぼ口でコオヒイをのみ
 みる夢もなく
 語る人生もなく
 毎日ぼんやりとあるき
 腰かけてゐる
 おどろき易い者は
 ただ一人もこの世にゐなくなった

余計ながら多才な小熊には短歌もあるが、どうもあまり良い出来でないように思う。なんとなく滑稽な味合いはあるが。狂歌や俳句なら佳作に違いない。

 犬の顔まぢまぢみれば犬もまた まぢまぢわれのかほをみしかな
なやましき烏の踊りみぎり足 いちぢるしくもあげにけるかな
現世に大根が生きていることの 可笑しかりけりうごかぬ大根
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