SSブログ

ユトリロの水彩画ー醉彩画! [絵]

モーリス・ユトリロ(Maurice Utrillo, 1883- 1955 )は、パリのモンマルトル生まれ。生活環境に恵まれなかったにもかかわらず、アルコール依存症の治療の一環として始めた絵画が評価された近代フランス画家の巨匠。72歳で没。
母親であるシュザンヌ・ヴァラドンはモデルであり、また画家であった。
母が名を明かさなかった父もアルコール依存症であったとされるが、ユトリロのアルコール中毒の症状はかなり早くからあらわれて、すでに16、七歳頃から泥酔、乱醉、神経錯乱がはじまっていたという。
1902年19歳のユトリロはモンマルトルの丘の上にあるコルトー街2番地に住み着く。この頃から水彩画を描く練習を始めた。
1910年から15年ころまでのいわゆる「白の時代」の絵は評価が高い。1920年頃からの「色彩の時代」を経て、1928年レジョン・ドヌール勲章を受章する。

われわれでもユトリロは、野外スケッチが嫌いでときに絵葉書などを見て、風景画を描いたと聞かされている。絵はライブ感が重要だと教えられるとき、例外としてユトリロがでてくるのである。
ユトリロは、当時の多くの画家と同じようにピサロに心酔したと言われるだけあって、風景画は静謐で安定している。破綻がないのである。とても酔いどれの絵ー醉彩画ーとは思えぬ。

参考記事 カミューユ・ピサロの水彩画
http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2014-03-06-1

ユトリロの水彩画は少ない。グヮッシュや水彩をもとにつくられたリトグラフやポショワールがあるので、たくさん描いたのであろうが。

image-20140427080401.png

「Moulin de la Galette ムーラン・ド ・ラ ・ギャレット 」(水彩)画集に水彩と明記された珍しい一枚である。ユトリロはムーラン・ド・ラ・ギャレットを何枚も何枚も描いた。
「Moulin de la Galette ムーラン・ド ・ラ ・ギャレット 」(油彩)水彩と比べたくて油彩を一枚。
「ミル 」水彩か。
「ムーラン・ド・ラ・ギャレット 」(1950 ポショワール版画)32 ×26 cm。
ポショワールとは、亜鉛や銅版を切り抜いた型を用いて刷毛やスプレーで彩色する西洋版画の一種。写真製版によって作家の原画から複製品を作る技術が無かった20世紀初頭に、このポショワール技法が多く用いられたという。
「サクレ·クール寺院」色鉛筆か。水彩も使っているように見えるが。
「風景 」これも色鉛筆か。
「モーリス·ユトリロの肖像 」(Suzanne Valadon 1921 油彩 ) 母ヴァラドンによる息子の肖像。38歳位か。
「ロビンソン・レストラン 」水彩か。点景の人物のお尻が大きいのが特徴という。後ろ姿が多いような気もする。
「ストリートシーン」 これも水彩のようだが。

image-20140427080434.png


「サンベルナールの城 」(1950ポショワール 版画)
「コルト通り モンマルトル」ユトリロが死の二日前まで描き続けていたとされる未完の絶筆作品。次のリトグラフの説明にあるようにグヮッシュらしい。
「コルト通り モンマルトル」未完成のグワッシュを元にして制作されたリトグラフ(1956リトグラフ)
「ポン・ヌフ」(1955リトグラフ) 23×32cm。
「ポン・ヌフ 」(油彩)
「花束」(油彩)ユトリロの静物は少ない。赤が印象的。
代表作の油彩を3枚。
「La Petite Communiante,Eglise de Deuilドゥーユ村の教会」(1912油彩)52x69cm。  
「 Mother Catharines's Restaurant in Montmartre モンマルトルのキャサリン母さんのレストラン 」(1917油彩)
「ノートルダム寺院」(油彩)

作家の開高 健は映画、絵画等についても独特の批評眼を持ち合わせていたが、ユトリロについても書いている。自ら素人というが、もちろん並の素人ではなく素人にもわかるユトリロ論を展開している。自分など真正の素人には、これを読むだけで十分ユトリロを知った気になってしまう。ランダムだが引用してみる。

「・ユトリロの絵にはかたくなな拒否の表情がある。しかし、それにもかかわらずどこかあどけないといってもいいほどの透明なオプティミズムがあるのだ。

・ユトリロの傑作がつくられたのはきびしく眺めていけば72年の生涯のうちの二十歳後半期から三十歳台にかけてのわずか十数年のことで、ベルギーの金持ちの後家さんと結婚してから以降の後半生にはほとんど見るべき作品がのこされていない。

・彼の風景画のなかにはきわめて親密でナイーブな感性と同時に、ある執拗な否認の意識がある。人間がぜったい登場しないのだ。ときたま登場しても、なぜかその数は五人ときまっている。

・十数年の昂揚期を通じてユトリロについて眺められることは、一つには、その、執拗な人間嫌い、ミザントロープの志向である。」
「現代美術15 ユトリロ」開高 健 (昭和36 みすず書房)

開高 健には「ピカソはほんまに天才か」というエッセイ(藝術新潮35 昭和59)があるくらいで、彼は自分の眼だけを信用するのである。

ユトリロ論のなかでも、作品の価値そのものよりは、作家の人格や行状の評価に腐心したがる私達のわるい癖、だと言い、古きよき時代の街のアル中患者行状記と抱きあわせにして、彼の作品を語ろうとしてはならぬと戒める。彼の絵を「醉彩画」などというのはもってのほかということであろう。

自分などは、絵を観る眼に自信がないので、つい、画家の生い立ちや描いたときの状況、背景などを知りたがる。高齢になったせいかとくに、描かれたときの年齢が気になる。
じっと絵を見て、絵をして語らしめよというあるべき鑑賞姿勢から程遠い。もって大作家のご注意を噛みしめなければならない。

また、開高は、ホンモノ(原画)と複製の落差について、複製はウイスキーの入っていないハイボールのごときものだと言う。これは、原画と画集や画像との違いにもあてはまるだろう。的を射ているが、美術館や展覧会に出かけられぬ高齢者には、画集やヴァーチャル画像が頼りだから辛いところではある。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。