デュフィ展 [絵]
新宿高島屋内の東急ハンズにイーゼルの壊れた部品の修理を頼んだら、出来上がりが4時間後の午後3時だという。これを奇貨として観たいと思っていた渋谷東急文化村のデュフィ展に行き、帰りに受け取ることにする。
自分もだが、デュフィの明るい絵を好きな人は多い。以前このブログでも取り上げた。
参考 ラウル・デュフィの水彩画
http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2013-03-09
人気が高い証に、日本でもこれまで何度も展覧会が開催されている。今回はBunkamura25周年特別企画で「絵筆が奏でる 色彩のメロディー」というテーマである。
ラウル・デュフィは1877年仏ノルマンディー地方の港町ル・アーブル生まれ、パリ国立美術学校で学んだ。色彩の魔術師と呼ばれ、20世紀前半の近代絵画を代表する。色彩を重視しながらも軽やかなタッチの線描が独特の雰囲気を醸し出す画風で活躍した。1953年 75歳で没した 。
今回の展示の狙いは、野獣派、フォーヴィスムと出会い、キュビズム絵画の先駆者ブラックと共に行ったレスタックでの制作、アポリネール「動物詩集」のための木版画制作、そしてポール・ポワレとの共同制作によるテキスタイル・デザインなど、造形的な展開を丁寧に検証することで、色彩と光の戯れの向こうにある画家の本質に迫るというもの。
ブラックらと行ったレスタックは、マルセイユ郊外プロヴァンスの港町である。
ジョルジュ・ブラック(1882ー1963)には、キュビズムへの転機となった有名な絵
「レスタックの家」(1908 油彩)があるが、それに似たデュフィ「レスタックの木々Trees at Estaque」(1908 油彩)が展示されていて、まず驚かされる。
ブラックとピカソの交流は有名だが、デュフィもその影響を受けていたのだ。しかしその後のデュフィは、二人とは違った道を歩んだことになる。
今回展示の木版画、テキスタイルなどは不勉強なので、これらのデュフィの作品が彼の絵にどう影響しているのか自分には解らなかったが、デュフィがマルチタレントであることはよく分かった。
お目当ての水彩画は10点ほど。ちょっと残念。ネット画集にあるものは、あまり無かったが、「アネモネとチューリップ」など花の絵や「マキシム」はやはり実物は見応えがある。
自分にはうまくその良さなどを表現出来ないので、この2枚について東京新聞のこの展覧会の紹介コラムから少し長いが借用させてもらう。
「アネモネとチューリップ」 (1942水彩 紙)
ー気持ち良く画面を走る筆致も、大胆なコンポジション(構図)も、すべては、色彩を生かすための仕掛けと思える。デュフィの色彩が放つニュアンスは、どこまでも自由で洒脱(しゃだつ)。高度な現代の印刷技術でも再現できぬ。実物を鑑賞しない限り、見ることができない色だ。
特に花の色彩は-。アネモネやチューリップには深紅が多いが、ここには単純な赤と呼べる色がない。それぞれの花びらの色の階調、明暗、濃淡、寒色-暖色の複雑な色調に名前をつけるのは難しい。光に透ける花びらからは、質感のみずみずしさやその香りまで漂ってきそうだ。
芸術作品は、自然光で鑑賞したいと思う。しかし、美術館に展示された本作品を前にしても、デュフィの力だろうか、鑑賞者の目だけが感受できる特別なフランスの光の色を味わうことができる。心が満たされる作品だ。 吉谷 桂子(ガーデンデザイナー)
「マキシム」(1950 水彩・グアッシュ、紙 個人蔵)
ーデュフィの絵にはそよ風が吹いている。音楽が流れている。作品の前に立った途端、頭の中で流れ始めるのは穏やかに調和した弦楽四重奏。リズミカルな筆の動きは主旋律を奏でるバイオリンか。豊かな色彩が軽やかな音色を奏でている。
「マキシム」とはセレブが集まったという伝説のレストラン。デザイナーのポール・ポワレと知り合ったことがきっかけで、デュフィはモードや装飾デザインの世界でも活躍した。いまなら《オシャレなマルチクリエーター》と称されるにちがいない。
社交界の女性たちは最新ファッションを身にまとい、生きる喜びをうたっている。躍動するような筆遣いと優しい色彩で描かれたこの作品。真夜中と思われる華やかな遊び場の情景にも、爽やかなそよ風と清らかな音楽が感じられる。デュフィの絵はどれも、私を心地よい世界へ誘ってくれるのである。こぐれひでこ(イラストレーター)
ほかに「果物鉢」(1948頃 水彩 紙)。背景やテーブルを先に描いて後から線を入れた
たのだろうか。制作過程を想像すると、線描が決め手になりそうで面白いが「色彩の魔術師」が泣くというもの。むろん色はデュフィ独特の赤、青、黄である。
「アイリスとひなげしの花束」(1953 水彩 紙)
デュフィの花の絵は、まず対象をそのまま絵の具で描き、あとからラインを加え輪郭をはっきりさせたようだ。バックは白そのままが多い。花の色彩を重視、強調している。オスカー・ココシュカの花の水彩と似ている。
参考 オスカー・ココシュカの水彩画
http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2014-01-15
フレスコが一枚あり「花束」(1951)惹かれた。宇都宮美術館所蔵とある。油彩「バッハへのオマージュ」の右に画中画として描いている絵だ。
フレスコ画はシンプルな材料(石灰、砂、顔料、水)でありながら、豊かな歴史性と高度な技術を要する古典技法で聖堂の壁画などに使われた。
フレスコ画の技法(Fresco's Technique)は、生乾きの漆喰を壁に薄く塗り、それが乾燥しないうちに水で溶いた顔料で描く壁画技法であるが、デュフィにかかるとまるで大きな水彩画である。
油彩では、有名な「バッハ、ドビュッシーへのオマージュ」、「コンサート」などがやはり素晴らしい。この2枚も東京新聞評から引用。
「ヴァイオリンのある静物 バッハのオマージュ」(1952 油彩)
ーなんと生命力に満ちあふれた躍動的な作品なんだろう。しかしながらこの作品はデュフィの晩年のものであり、亡くなる前年に描かれたオマージュなのだ。私はこの作品にインスピレーションを与えられ、胸の高鳴りとともに無性にバイオリンが弾きたくなるのだ。 千住 真理子(バイオリニスト)
「コンサート」(1958 油彩 鎌倉大谷美術館)
ーそして全体の、この「赤」は何だ? とはいえ音楽と色はおおいに関わる。「音色」という言葉もある。音楽を聴いて特定の色を感じる人もいる由。でもこの赤は、コンサートの熱気なのかも。家族の多くが音楽家だったデュフィならではの作品だ。池辺 晋一郎(作曲家)
余計ながら展示されていなかったが、似た絵に「赤いコンサートThe Red Concert」( 1946 油彩)がある。
デュフィは61歳の時にパリ電気供給会社の依頼でパリ万国博覧会電気館に巨大な壁画(縦10m横60m)「電気の精」を描き高く評価された。
マロジェという化学者によって作られたメディウムという新素材を油彩に混ぜるという新機軸、離れ技で油彩絵の具を透明感のある質感に変えた。これで水彩画のような軽いタッチの巨大壁画となったという。
今回展示の「電気の精」(1952-3 グワッシュ、リトグラフ 紙)は、その下絵、元絵だろうか。
電気の物理現象とも云うべき雷や積乱雲が描かれ、ファラディ、モールス、エディソン、それにレントゲンなどなど、110名の科学者群像が面白い。じっくり見て楽しみ巨大壁画に思いを馳せた。
なお、展示品には無かったが、デュフィには「電気 Electricity 」(1937 水彩)もある。若い時から関心のあったテーマだったと見える。
それにしてもアマチュアが見るとデュフィの絵は、油彩でもフレスコでも同じように水彩画に似て軽やかに透明感あふれて見えるとあらためて思う。
1953年亡くなった時アトリエにあったという「麦打ち」(油彩パリ国立美術館 ポンピドゥー・センター蔵)は実質的に遺作であろうか、すぐ隣に「農家の庭」(1943 水彩)が、 飾られていた。キャプションを読みそこねたが10年前のこの水彩が元絵なのだろうか。それにしても晩年までデュフィの線の軽いタッチは衰えていないのに驚く。
ふと彼は利き腕の右は、滑らか過ぎて面白味がないという理由で左手を訓練して利き腕にわざと変えた、ということを思い出した。
多発性関節炎発症(リューマチ)に悩まされながら、生涯で水彩画だけでも数千点以上描いたと云われるデュフィだが、1953年心臓発作の為に75歳で亡くなる。
さて、短時間の鑑賞だったが、自分にとって中身はすこぶる濃い時間であった。
帰りに東急ハンズに寄り依頼した加工部品を受け取ったが、自分の作成指示が間違っていたようで、出来上がったものは使用に差し支えはなさそうだが、やや中途半端であった。耄碌寸前。嗚呼。
自分もだが、デュフィの明るい絵を好きな人は多い。以前このブログでも取り上げた。
参考 ラウル・デュフィの水彩画
http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2013-03-09
人気が高い証に、日本でもこれまで何度も展覧会が開催されている。今回はBunkamura25周年特別企画で「絵筆が奏でる 色彩のメロディー」というテーマである。
ラウル・デュフィは1877年仏ノルマンディー地方の港町ル・アーブル生まれ、パリ国立美術学校で学んだ。色彩の魔術師と呼ばれ、20世紀前半の近代絵画を代表する。色彩を重視しながらも軽やかなタッチの線描が独特の雰囲気を醸し出す画風で活躍した。1953年 75歳で没した 。
今回の展示の狙いは、野獣派、フォーヴィスムと出会い、キュビズム絵画の先駆者ブラックと共に行ったレスタックでの制作、アポリネール「動物詩集」のための木版画制作、そしてポール・ポワレとの共同制作によるテキスタイル・デザインなど、造形的な展開を丁寧に検証することで、色彩と光の戯れの向こうにある画家の本質に迫るというもの。
ブラックらと行ったレスタックは、マルセイユ郊外プロヴァンスの港町である。
ジョルジュ・ブラック(1882ー1963)には、キュビズムへの転機となった有名な絵
「レスタックの家」(1908 油彩)があるが、それに似たデュフィ「レスタックの木々Trees at Estaque」(1908 油彩)が展示されていて、まず驚かされる。
ブラックとピカソの交流は有名だが、デュフィもその影響を受けていたのだ。しかしその後のデュフィは、二人とは違った道を歩んだことになる。
今回展示の木版画、テキスタイルなどは不勉強なので、これらのデュフィの作品が彼の絵にどう影響しているのか自分には解らなかったが、デュフィがマルチタレントであることはよく分かった。
お目当ての水彩画は10点ほど。ちょっと残念。ネット画集にあるものは、あまり無かったが、「アネモネとチューリップ」など花の絵や「マキシム」はやはり実物は見応えがある。
自分にはうまくその良さなどを表現出来ないので、この2枚について東京新聞のこの展覧会の紹介コラムから少し長いが借用させてもらう。
「アネモネとチューリップ」 (1942水彩 紙)
ー気持ち良く画面を走る筆致も、大胆なコンポジション(構図)も、すべては、色彩を生かすための仕掛けと思える。デュフィの色彩が放つニュアンスは、どこまでも自由で洒脱(しゃだつ)。高度な現代の印刷技術でも再現できぬ。実物を鑑賞しない限り、見ることができない色だ。
特に花の色彩は-。アネモネやチューリップには深紅が多いが、ここには単純な赤と呼べる色がない。それぞれの花びらの色の階調、明暗、濃淡、寒色-暖色の複雑な色調に名前をつけるのは難しい。光に透ける花びらからは、質感のみずみずしさやその香りまで漂ってきそうだ。
芸術作品は、自然光で鑑賞したいと思う。しかし、美術館に展示された本作品を前にしても、デュフィの力だろうか、鑑賞者の目だけが感受できる特別なフランスの光の色を味わうことができる。心が満たされる作品だ。 吉谷 桂子(ガーデンデザイナー)
「マキシム」(1950 水彩・グアッシュ、紙 個人蔵)
ーデュフィの絵にはそよ風が吹いている。音楽が流れている。作品の前に立った途端、頭の中で流れ始めるのは穏やかに調和した弦楽四重奏。リズミカルな筆の動きは主旋律を奏でるバイオリンか。豊かな色彩が軽やかな音色を奏でている。
「マキシム」とはセレブが集まったという伝説のレストラン。デザイナーのポール・ポワレと知り合ったことがきっかけで、デュフィはモードや装飾デザインの世界でも活躍した。いまなら《オシャレなマルチクリエーター》と称されるにちがいない。
社交界の女性たちは最新ファッションを身にまとい、生きる喜びをうたっている。躍動するような筆遣いと優しい色彩で描かれたこの作品。真夜中と思われる華やかな遊び場の情景にも、爽やかなそよ風と清らかな音楽が感じられる。デュフィの絵はどれも、私を心地よい世界へ誘ってくれるのである。こぐれひでこ(イラストレーター)
ほかに「果物鉢」(1948頃 水彩 紙)。背景やテーブルを先に描いて後から線を入れた
たのだろうか。制作過程を想像すると、線描が決め手になりそうで面白いが「色彩の魔術師」が泣くというもの。むろん色はデュフィ独特の赤、青、黄である。
「アイリスとひなげしの花束」(1953 水彩 紙)
デュフィの花の絵は、まず対象をそのまま絵の具で描き、あとからラインを加え輪郭をはっきりさせたようだ。バックは白そのままが多い。花の色彩を重視、強調している。オスカー・ココシュカの花の水彩と似ている。
参考 オスカー・ココシュカの水彩画
http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2014-01-15
フレスコが一枚あり「花束」(1951)惹かれた。宇都宮美術館所蔵とある。油彩「バッハへのオマージュ」の右に画中画として描いている絵だ。
フレスコ画はシンプルな材料(石灰、砂、顔料、水)でありながら、豊かな歴史性と高度な技術を要する古典技法で聖堂の壁画などに使われた。
フレスコ画の技法(Fresco's Technique)は、生乾きの漆喰を壁に薄く塗り、それが乾燥しないうちに水で溶いた顔料で描く壁画技法であるが、デュフィにかかるとまるで大きな水彩画である。
油彩では、有名な「バッハ、ドビュッシーへのオマージュ」、「コンサート」などがやはり素晴らしい。この2枚も東京新聞評から引用。
「ヴァイオリンのある静物 バッハのオマージュ」(1952 油彩)
ーなんと生命力に満ちあふれた躍動的な作品なんだろう。しかしながらこの作品はデュフィの晩年のものであり、亡くなる前年に描かれたオマージュなのだ。私はこの作品にインスピレーションを与えられ、胸の高鳴りとともに無性にバイオリンが弾きたくなるのだ。 千住 真理子(バイオリニスト)
「コンサート」(1958 油彩 鎌倉大谷美術館)
ーそして全体の、この「赤」は何だ? とはいえ音楽と色はおおいに関わる。「音色」という言葉もある。音楽を聴いて特定の色を感じる人もいる由。でもこの赤は、コンサートの熱気なのかも。家族の多くが音楽家だったデュフィならではの作品だ。池辺 晋一郎(作曲家)
余計ながら展示されていなかったが、似た絵に「赤いコンサートThe Red Concert」( 1946 油彩)がある。
デュフィは61歳の時にパリ電気供給会社の依頼でパリ万国博覧会電気館に巨大な壁画(縦10m横60m)「電気の精」を描き高く評価された。
マロジェという化学者によって作られたメディウムという新素材を油彩に混ぜるという新機軸、離れ技で油彩絵の具を透明感のある質感に変えた。これで水彩画のような軽いタッチの巨大壁画となったという。
今回展示の「電気の精」(1952-3 グワッシュ、リトグラフ 紙)は、その下絵、元絵だろうか。
電気の物理現象とも云うべき雷や積乱雲が描かれ、ファラディ、モールス、エディソン、それにレントゲンなどなど、110名の科学者群像が面白い。じっくり見て楽しみ巨大壁画に思いを馳せた。
なお、展示品には無かったが、デュフィには「電気 Electricity 」(1937 水彩)もある。若い時から関心のあったテーマだったと見える。
それにしてもアマチュアが見るとデュフィの絵は、油彩でもフレスコでも同じように水彩画に似て軽やかに透明感あふれて見えるとあらためて思う。
1953年亡くなった時アトリエにあったという「麦打ち」(油彩パリ国立美術館 ポンピドゥー・センター蔵)は実質的に遺作であろうか、すぐ隣に「農家の庭」(1943 水彩)が、 飾られていた。キャプションを読みそこねたが10年前のこの水彩が元絵なのだろうか。それにしても晩年までデュフィの線の軽いタッチは衰えていないのに驚く。
ふと彼は利き腕の右は、滑らか過ぎて面白味がないという理由で左手を訓練して利き腕にわざと変えた、ということを思い出した。
多発性関節炎発症(リューマチ)に悩まされながら、生涯で水彩画だけでも数千点以上描いたと云われるデュフィだが、1953年心臓発作の為に75歳で亡くなる。
さて、短時間の鑑賞だったが、自分にとって中身はすこぶる濃い時間であった。
帰りに東急ハンズに寄り依頼した加工部品を受け取ったが、自分の作成指示が間違っていたようで、出来上がったものは使用に差し支えはなさそうだが、やや中途半端であった。耄碌寸前。嗚呼。
2014-07-13 13:44
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コメント(2)
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こんにちは
私もデュフィ展を見てきましたので、興味深く読ませていただきました。
鮮やかで豊かな色彩と見事な軽快な筆さばきで描かれる生きる喜びを感じさせる明るい絵画を見ると気持ちも明るくなりました。
私は過去に来日したデュフィの傑作も含めて。デュフィの魅力について掘り下げて整理してみましたて。ご一読いだき、ご感想、ご意見などコメントいただけると感謝致します。
by dezire (2014-07-22 13:16)
こんにちは
コメントありがとうございました。いつもひとりよがりの鑑賞でためらいながら備忘だと言い聞かせてはアップしています。
早速desire-sanのデュフィ展のブログ拝読させてもらいました。
まことに本格的な見方で感心いたしました。
デュフィが特に花の絵を濡れて乾かないうちに筆を走らせ描いたたというところに教えられました。感謝します。
by wakizaka (2014-07-22 16:21)