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岩本素白の随筆 ーがんぽんち ・土砂眼入すー [本]

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図書館で借りてきて「素湯(さゆ)のような話 お菓子に散歩に骨董屋 」(岩本素白 早川茉莉編 ちくま文庫 2014)を通読する。岩本素白のことを少し知ることが出来た。
後述するが、岩本素白の随筆が面白いとは、これも随筆の名手池内 紀氏の本で以前知った。
たぶん「素白先生の散歩」(池内紀編、みすず書房〈大人の本棚〉2001 )だったと思う。ーがんぽんち・土砂眼入すーの話だった。

岩本素白は本名堅一。1883年麻布生まれで早大卒、早大教授。国学者、随筆家で散歩の達人。同期に歌人の窪田空穂(1877-1967)がいた。空穂の岩本評は「単純と純粋を極めたひと」だったとか。

酒も飲まず煙草も吸わず、無趣味、気儘で不精で億劫がりの私と言いながら、散歩の話を主にして書いた随筆の何と夥しいことか、「億劫」が呆れるほどの量である。
散歩は明治、大正、昭和の時代の東京や京都、疎開先の信州の地だが、古いところは自分にも良く分かるとは言い難いけれど、なるほど名文である。散歩の話だけでなく、随所に発せられる先生の言葉には深いものがあって、人の心に響く。

さて、先生の人となりは以下の引用だけでも、かなりわかる。
「(自分は)元より体は極めて弱い。単に弱いというよりは、寒さ暑さ気象の変化、飲食坐臥の瑣事までも、ひどく身にこたえる体なのである。」(遊行三昧)

「まことに生き難い世であるが、如何なる処、如何なる物の中にも美しさと味いとを見出したい。そうして又、ささやかながら美しいもの、味いのあるものを創り出したい、物のうえにも心の上にも。ーそんな希望だけでも残って居るうちは、私もまだ打ちひしがれずに生きて行かれるかも知れないー(壺)

「こわれものは丈夫なものより美しい。人というものは愛する心を失わない中は、如何なる境遇にも堪えて行かれるものである。(略)
ただ昔から玩物喪志と云って、とかく俗情が入る。(略)
ところがこういう境遇になると、逆に物によって心が慰められる事もあるので、むしろ玩物養志という事もあるなと考え始めた。」(S22 こわれ物)
戦争で焼け出され 無一物になった時の述懐。

素白随筆にはたまにだが、しみじみという言葉が出てくる。我が「しみじみ」とは、内容もレベルも違うと思われるがなんとなく親しさを感じるお人である。

「旅人らしくない服装や気持ちで、京都の郊外も四国や山陰の町々も、気軽に飄々と歩くのが好きである。(略 )夕空に靡く浅間の煙を沁々寂しく思った。」

「月光と水色と夜気がしんしんと身に沁みて、竿の先の鈴がチリチリと鳴った。」(孤杖飄然)
「私も身に沁みて深く物を感じる方ではあるが、よくしたもので一面には桁はずれの暢ん気なところがあった。」(まぼろし)
身に沁みて深く物を感じるーこれこそ「しみじみ」だ。

今回の本では、素白先生の独特の持論を二つ面白く読んだ。
ひとつは、「日本文学による漫画の創始」( S21)
「文字で描いた漫画、それを我が国の文学で始めて試みた人は清少納言である。
人という賢くてしかも愚かなる者屡ば演ずる可笑しさ、愚かしさ、馬鹿馬鹿しさを、如実に巧妙に描いていることである。(略)
(漫画は)観る者におのずと微笑を誘いながらも、又沁み沁みとした心持ちにならせもするのである。
文学に世界に私のいう漫画を創始した清少納言の作物を、今一とたび静かに見返す必要があると思う。」
枕草子が「おのずと微笑を誘いながらも、又沁み沁み(!)とした心持ちに」させる漫画であるというのは突飛な感じだが、見解にはなるほどと納得させられるところもある。

もうひとつは、「徒然草談義」である。
「彼(兼好)はにんげんというものに、まともにぶつかり、その美しさをも醜さをも尽く描き出すことの出来る程の強い人ではないからである。
想像ではあるが、少なくとも彼は強健のひとではなかったであろう。友とするに悪しき者に、病無く身強き人を挙げている。
これを要するに、兼好の特色は、鋭敏と聡明と、而してそれらが齎すところの逃避的態度から発する。善い意味において、悪い意味において、徒然草の特色もまたこれに基づく。
総てを容れながらまた全てを放下せんとするその矛盾が、人々の興味を誘う。」と徒然草が日本人に長く読まれるだろう理由を指摘する。キーワードは兼好の「逃避的態度」だ。
素白先生は、徒然草の各段を引き兼好の人物、心理分析をして彼がどんな人であったかを明らかにする。
自分などは兼好の言葉を読み取ることに汲々とした方だが、先生は作者の人間像からアプローチするところがユニークだ。

ところで、冒頭の岩本素白の「がんぽんち」と「土砂眼入す」の話は、前述のとおり池内 紀氏の随筆で読んだ。もうだいぶ前のことになる。あるいは、このブログでも、もう書いたかも知れないが忘れたので又書く。それほど面白いー、のである。

知っている人も多いと思うが、この話の「がんぽんち」のほうは、「めもとでわかる」というひらがな文を無理に「眼本知」と漢字で書いたり、「目にゴミが入る」ことを難しく「土砂眼入す」と漢文化したりするおかしさを綴った随筆で文字、ことばや文章を大事にすべしと戒めたものである。

すなわち、万葉の東歌「成ると成らぬは目もとで知れる、今朝の目元は成る眼もと。」を「成与不成眼本知。今朝眼本成眼本。」とメモした田舎侍の話と、古い落語に登場するがらっ八の妻が高貴の出の娘でやたらと雅語や漢語を濫発して亭主を面食らわせる話、にひとり笑いが止まらなかったのを覚えている。

素白のこの随筆は昭和13年、戦前に書かれたものだが、なんと今日的か。言葉の乱れ、良き日本語が消える危うさは昔も今も変わらないようだ。さすれば、一直線に事態は悪化していると思わざるを得ない。

絵は、カルチャー教室のインド民族衣装のサリーを着た女性がモデル。
全身を入れたB10アルシュの乾く合間に時間があったので、2枚目B6に挑戦、30分くらいで速写、着彩。家で少し手を入れた。こちらの用紙はウォーターフォード。

下手なせいもあり、つい目元が気になるが、もちろん「がんぽんち」と「土砂眼入」とは、ともに、無関係な絵である。
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