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加藤周一の随筆 [本]


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このところ一ヶ月ばかり、加藤周一と格闘している。格闘とは大げさで相手は知の巨人、巨匠(菅野昭正)だからもちろん勝負になるはずはない。老懶のぼけた頭では難しすぎるのでこのまま読み続けるか、やめるかというほどのことである。

最初図書館で手にしたのは、随筆でなく小説、「三題噺」( ちくま文庫  筑摩書房)と「幻想薔薇都市 シリーズ旅の本箱」 (岩波書店)。難解ながら面白かったので随筆も読んで見ようかというのがそもそも。そこで前から気になっていた「夕陽妄語」(せきようもうご1〜8輯 朝日新聞社)を借りてきた。
この随筆は、朝日新聞夕刊に「山中人閒話」と題して1979年から連載されたもので、1984年に「夕陽妄語」と改題して2008年7月まで続いた。(「山中人閒話」 朝日選書 )
加藤 周一は、1919年(大正8年)生まれで、 2008年(平成20年)12月、89歳で亡くなったから、亡くなる年まで書いていたことになる。

加藤周一は評論家。もともと医者で専門は内科学、血液学の医学博士。上智大学教授、イェール大学講師、ベルリン自由大学およびミュンヘン大学客員教授、ブリティッシュ・コロンビア大学教授など、華麗なる経歴の教育者でもあった。

妻は評論家・翻訳家の矢島翠(1932ー2011 79歳で没)。

加藤本人は、自分の文章は高校の教科書に載るくらいで決して難しくはないというが、読んでみるとやはり、するりとは頭に入らぬ。随筆という名の評論か、難解なコラムだったろうと思う。朝日の読者は相当にレベルが高いということだろう。わが耄碌寸前の老体の頭では、解るのは3、4割くらいか。話題が多岐に亘るがとくに文学や音楽の話となると、絵の話さえもちんぷんかんぷんが多い。

哲学者の鶴見俊輔、作家の大江健三郎らと結成した「九条の会」の呼びかけ人としても知られているように、政治、社会的な発言も多いが、こちらの方が幾分解る文章が多い気がする。背景や状況が解るからであろう。詩や音楽は不学だから話題についていけないのだと分かる。絵にしてもこちらの理解が表面的なのだろう、解りにくいことに変わりない。

「随筆はしばしば考えよりも季題を貴ぶ」(「随筆についての随筆」 山中人閒話)などと言いながら、季題より考えの方が圧倒的に多い。

難しい文章の一例。

「未だ生を知らず」から出発して自分自身の死だけでなく、他人の、あるいは人類の死について到達することのできる意見には二つが考えられる。生命の価値については分からないから人を殺してもよい、死刑も戦争も肯定されるーという意見は傲慢どれほど貴重かわからないものは、破壊してはならない。死刑、戦争反対の意見。これは自分自身の知識と判断力の限界の自覚である。

手元の「広辞苑」は「随筆」を定義して「見聞・経験・感想などを筆にまかせて何くれとなく記した文章」という。私は今、随筆に興味を持っている。(夕陽妄語Ⅷ 「随筆、何くれとなく」06.8.23)

前段の方はそれなりに理解できるのだが、それと結びの随筆の話はどう繋がるのかが解らない。

もちろん解る文章もあってその通りですな、と感心する随筆も多い。

例えば、三匹の蛙 が牛乳ビンに落ちた話。たしか核軍縮問題と絡んで出てくる比喩。
悲観主義 と楽観主義の蛙は、どうせ駄目だから、あるいは何とかなるだろうと共に何もせず、死んでいったが、現実主義 の蛙は、自分の出来るのはもがくだけと、もがいたらバターが出来てそれを蹴って外に逃げられたという。 (夕陽妄語ⅲ「三匹の蛙の話」1992.8)

また、危うい言い換えの問題。
「振り返ってみれば、日本における危機の言語学的解決法の洗練は、敗戦を終戦占領軍を進駐軍と呼んだときから始まっていた。
主権侵害、見殺し、ウヤムヤ主義ー政治的解決 アメリカ追随ー日米対等、等距離外交、国際的責任を果たすのは危機どころか独立の精神の顕現である。四つ足の猫は猫にあらず 白馬は馬にあらずー(「危機の言語学的解決法 」山中人閒話)
けだし言語学的水準において、市民に出来ることの一つは、猫を猫とよび、侵略を侵略とよび、軍隊を軍隊とよび、核弾頭を核弾頭とよぶことであろう。(「軍国主義反対再び」 同)
今の政治家も危機ばかりか広く政治問題において言語学的解決を巧みに駆使するので、良く分かるのである。

日本歴史、日本社会的の特質をそれぞれの七不思議と冗談まじりに挙げているのも分かりやすい。
日本歴史の七不思議は次の通り。
何故家の中で椅子にかけなかったか。何故乗り物として馬車が用いられなかったか。何故いびつの焼き物が好んで作られたか。叙情詩人は何故かくも長い間かくも短い詩型だけで満足していたのか。競争的集団主義はどこから来たか。天皇制は武士政権の時代に何故維持されたのか。アニミズムは外来の組織的な宗教・イデオロギー体系に抵抗して、何故今日まで生きつづけたか。(「日本歴史の七不思議」 同)
続いて日本社会の七不思議。
何故犯罪が少ないか。なぜハンコを好むか。 なぜ道路標識を嫌うか。 なぜ成人が子供のまねをするのか。 なぜカタカナ語が流行るか。 なぜ日本政府は誠意を国内で示さなかったか 。なぜ靖国神社には、国難に殉じいくさに倒れたすべての日本人(当時)を祀らないのか。(「日本社会の七不思議」 同)
加藤周一の文章は難しいのと、ユーモアがその特徴の一つであろう。思わず吹き出すこともある。そこで「真面目な冗談」(平凡社)も借りてきて読んだが、冗談がきつすぎて辟易した。ユーモアは「さりげなく」が良いと分かる。

加藤周一は、「九条の会」を抜きにして語ることは出来ない。「加藤周一のこころを継ぐために 岩波ブックレット」(井上 ひさし/著 岩波書店)は、逝去を悼み開催された講演会の記録であるが、妻の矢島翠は次のように言う。
加藤は物書きのエゴイズムから抜け出し、9条の会を広める運動を始めた。このゆるやかなネットワークで人類の理想である不戦をどう実現していくか、九条は人類の理想の先取りだとする加藤の意志をどうつないでいくかが、これからの課題であると。しかるに現在の状況は、加藤が懸念した小泉政権の時より明らかに悪化している。

加藤は何処かで「500年後 核不拡散条約極端な不平等体制は崩れーいつか遂に第3次世界大戦がおきー神も仏も現れず放射能エントロピーは増大、地球上には平等に廃墟と焼け野原が拡がる。」と書いているように、基本的には悲観的だったが、これではいけないと9条の会の呼びかけ人となったのであろう。未来に明かりを見つけたかった気持ちは、無神論者の評論家が死に臨んでキリスト教に入信したことと通底するものがあるのか、ないのか自分には分からない。

長い間書かれた随筆をまとめて一気に読むのと連載時に読むのとでは、きっと味わいが違うだろう。ただ、本になったものを読めば著者が本当に強調したいことは、何度も繰り返されているから著者が何を主張したいのか、全体像が良く分かってくるような気がする。

加藤は、随筆のなかで自著の「日本文化における時間と空間」(岩波書店 2007)を紹介している。随筆でなく評論のようだが、難解で半知半解になりそうだけれども、覚悟して挑戦して見ようと思う。

絵は加藤周一と「格闘」している合間に描いた秋の花と果実。カルチャー教室最後の授業で描いたのを、ちまとまと手を入れた。最後までうまくいかなかった。教室は10年通ったが、とても卒業とはいえず終わった。F8 ウォーターフォード。



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