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西脇 順三郎の水彩画 [絵]


西脇 順三郎(にしわき じゅんざぶろう)は、1894年(明治27)新潟県小千谷市生まれ、 詩人、英文学者(文学博士)。戦前のモダニズム・ダダイズム・シュルレアリスム運動の中心的人物とされ、谷崎潤一郎などとともにノーベル文学賞候補になったことでも知られる。
代表作は「アムバルワリア」、「旅人かへらず」(1947年)など。
はじめは画家志望で黒田清輝の白馬会に入会した。詩作、評論に転進するが、余技ながら絵画をよくし、号は東山。水墨画、日本画、油彩、水彩画を描いた。
1968年(昭和43)には(74歳のとき)銀座の文芸春秋画廊で個展を開いている。小千谷市名誉市民。1982年(昭和57)88歳で亡くなる。

昨年の1月頃、著書を何冊かを読んだ。最初は「芭蕉・シェイクスピア・エリオット」( 恒文社)。

萩原朔太郎の「郷愁の詩人蕪村」を読んだ後だったので、西脇の芭蕉論をということだったと思う。
芭蕉もシェイクスピアもエリオットもウィット、諧謔、イロニーの人であるとして、芭蕉の句を「おどけ」「もじり」「ふざけ」「あてこすり」「とぼけ」で解説する独特の俳論だった。
例えば、
よく見れば薺花咲く垣ねかなー風流人にとっては大発見!とぼけ。
塩鯛の歯ぐきも寒し魚の店ー醜悪は栄華に反対する象徴。あてこすりか。といった具合。

蕪村の句には、つやと絵があってもウィットが無いと翁の方に軍配をあげ、朔太郎の蕪村びいきと好対照をなす。
西脇順三郎は萩原朔太郎の7歳下だが、同時代、ともに近代詩の旗手である。

しかし、近代詩は手に負えないので例によって随筆、「あざみの衣 現代日本のエッセイ」(講談社)、「野原をゆく 現代日本のエッセイ」( 毎日新聞社)を読む。そこで、氏の絵画に対する造詣と強い関心を知った。
一つだけ引用すれば十分だが、「野原をゆく」には、「そのセザンヌ の色調や色彩の配合や選択、また、濃度などは 水彩画である。彼は油で 水彩画をかこうとした 珍しい頭の持ち主であった。 全体として実にうす色で、どこか 水彩のにじみまで 出ている」という記述があった。その通りだと思う。

最近、「評伝西脇順三郎」と「西脇順三郎絵画的旅」(新倉俊一 慶応義塾大学出版会2004と2007)を読んで少し西脇詩と絵のことを考えた。著者は、西脇をジキルとハイド博士に見立てる。詩人と画人が同居しているという。そして西脇詩を解く秘訣は絵画にあると言えよう、とまでいう。
たとえば、詩集「近代の寓話」では登場する画家名の回数は30回にのぼり、人数で言えば18名に及び、「失われた時」では引用頻度31回、画家の数で20人になるという。
詩人の関心は、永遠、永劫であり彼の詩は諧謔、ウィットが重要などと教えてもらうと、難解な詩も比喩や、連句のような飛躍を愉しめるような気がしてくるが、そう簡単なことでもなさそうである。

ネットで氏の絵を探したがあまり見つからない。
「墨彩画 」(色紙)
「墨彩画に手彩 」(色紙)
「残光(成城の下の谷)」( 1950年代)
「多摩川風景 」(1940)
詩人は多摩人などと言いながら、武蔵野、多摩の散歩が好きだったという。
「潚湘八景図」これは風景画というより、もはや抽象画である。
「窓(ボードレール)」(1955年 油彩)
「水精たち」(1950年代 油彩 )
「北海道の旅 」(1950年代 油彩)何とも惹かれる絵だ。
「中国山河風景 」(水彩)
「伊太利 トスカーナ」(1965年頃 水彩 色紙)
西脇ブルーと言われ、評価が高いが、複製、しかも画像ではなかなか良さが伝わらぬうらみがある。しかし確かに余技の域を超えている。詩は絵のごとしという言葉もあるが、西脇詩はまさに西脇絵なのであろうと思わせる絵だ。

さて、余談になるが西脇順三郎の俳句を見つけた。
珈琲薫るじやすみんの窓あさぼらけ 
黄金の木の実落つる坂の宿 
藍青の天晴れたり九谷皿
木の実とぶ我がふるさとの夕べかな
アマチュアからみても説明調で、あまり上手とは思えぬ句だ。シュールでもない。

ついでながら、萩原朔太郎の句も。こちらも同じようなレベルに見える。二人とも長詩のようにはいかなかったのだろうか。
ブラジルに珈琲植えむ秋の風  朔太郎

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