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「港が見える丘」妄評?(1/2) [音楽]

妄言、妄語、妄想という言葉はあるが妄評という語はない。わが造語である。歌謡曲、演歌などに疎い自分にはこれをまっとうに評する力はないので、以下は妄評というのがぴったり。

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「港が見える丘」は、1947年(S22)、東 辰三が作詞・作曲し、当時の新人歌手平野愛子が歌って大ヒットした歌謡曲。終戦直後の混乱期に「りんごの唄」と並び多くの人に愛唱された。

東 辰三(あずま たつぞう 本名 山上松蔵)は、1900年(M33)兵庫県うまれ、昭和期に活躍した作詞・作曲家(ビクターレコード)。代表作は他に「君待てども」「白い船のいる港」など。1950年(S25)、50歳で脳溢血により没。
ご子息は作詞家の山上路夫氏。「夜明のスキャット」、「瀬戸の花嫁」などを。氏は1936生まれ79歳。

「りんごの唄」(サトーハチロー作詞 、万城目正作曲 、歌唱並木路子・霧島 昇 1946)の発売は、「港が見える丘」の一年前になる。こちらは戦前軍歌として作られたが、明るすぎるとして発禁となり、戦後になってヒットしたという変わり種。デュエットというのも珍しい。

「港が見える丘」を歌った平野愛子(ひらの あいこ 1919年(T8)は、東京生まれ。公募3千人から選ばれた。「濡れたビロウドの声」と絶賛され、若きブルースの女王とも。ヒット曲はほかに「君待てども」など。1981(S56)年、62歳没。
シャンソン歌手平野りり子さんは娘。本名平野淑子。CDアルバムでは母の「港が見える丘」を歌っているというが、もとより聴いていない。

「港が見える丘」の曲はブルースというよりジャズの匂いも。曲について自分には評する言葉がないが、歌詞は、あらためて読むと素人目にもなかなか面白い。全文を掲げるのは著作権の保護期間(50年)は過ぎているといえ、あまり感心しないが、じっくりながめたいので、ご寛恕願って。

1 あなたと二人で来た丘は
 港が見える丘
 
 色あせた桜唯一つ
  淋しく咲いていた
 
 船の汽笛咽(むせ)び泣けば
  チラリホロリと花片(はなびら)
 
 あなたと私に降りかかる
  春の午後でした
2 あなたと別れたあの夜は
  港が暗い夜
 
 青白い灯り唯一つ
  桜を照らしてた
  
船の汽笛消えて行けば
  チラリチラリと花片 
 
 涙の雫にきらめいた
  霧の夜でした
3 あなたを想うて来る丘は
  港がみえる丘
 
 葉桜をソヨロ訪れる
  しお風 浜の風
 
 船の汽笛遠く聞いて
  うつらとろりと見る夢
  
あなたの口許 あの笑顔
  淡い夢でした

この歌は、何となく変わった歌謡曲だと前から気になっていた。
まず題名。
「港の見える丘」でなく「港が見える丘」。
なぜ「港のみえる丘」としなかったのだろうか。やはり終戦直後の1946年(S21)発表された加藤省吾作詞の童謡「みかんの花咲く丘」が「みかんが花咲く丘」よりもロマンチックなように。
「港が…」は現実的で歌謡曲にふさわしいのか。
東の作詞作曲で同じ平野愛子の歌った「白い船のいる港」(昭和24年)は「白い船がいる港」とすると少し変ではあるが、「港が見える丘」シリーズふうになる。そうしなかったのは「白い船の…」方が詩的だからだろう。

1962年に開園した「港の見える丘公園」は、神奈川県横浜市中区山手町にある都市型公園。 名称はこの流行歌「港が見える丘」に由来するという。なぜ「港が…」とせず、「港の…」としたのか。どう違うのか、はたまた同じか無学にして分からない。公園が出来た1962年には著作権は消滅していたし、曲名は著作権の対象外でもある。あとネーミングに関係するのは商標登録か?どうでも良いことながら、こちらも気にはなる。

次は全体の調子。詩句の多くが七五調でない。五は混じっているが七は少ない 。八、九、十もありぎこちなさが独特の味を出している。破調、散文歌謡。
一方「りんごの唄」はどちらかといえば七五調でリズミカル。対照的である。

「…でした」という過去調。告白調 だ。最初に港に来たのはー昼の午後(春)でした、別れたのはー霧の夜(夏)でした、別れた今となってはー淡い夢でした。その夢が醒めたのは、葉桜の季節だから、冬はもちろん、まだ秋も来ていない。
全体にいえば、分かりやすい「デート、別れ 、想い出」の失恋の歌で悲しいはずだが、どこか軽みもあってあっさりとしている。

失恋し戦後の混乱期で米兵についていったオンリーの話という人もいるというが、このあっさり感から出たものか。この説を自分は賛同しかねるが。

個々の詩文も不思議なものが多い。
例えば、「色あせた桜唯一つ」。桜の樹はむろん1本であって、ひとつのブロッサム、花、はなびらではないだろう。ここは、「色あせた桜」で別れを予感させればよいのであろうが、「唯いっぽん」ではいかにも興醒め。だが、桜がひとつとはいかにも変。しかし他に適切な言い方もないのも確か。

3番、思い出すあなたの口許というのも意味ありげ。くちびるといえば肉感的なだけだが、口許と言われると何か言葉がともないそうな気配もある。言葉がなくともゆるむ口許、固く結ぶ口許など男の表情まで想像してしまう。思い出す「あの笑顔」の方はごく自然なので、その前の口許の方が際立つ感じ。

詩中で使われるオノマトペ(擬声語、擬態語)が変わっている 。極めつきは3番の「うつらトロリ」。ウツラウツラと居眠りのオノマトペ を使い、溶けるさまトロリをあわせて酔生夢死のような、ようでもない独特の「夢見」「想い出」を醸し出す。読むひとによって様々なことを想起させる効果が出た。

1番の降りかかるはなびらは「チラリホロリ」と 。
この歌はちあきなおみ、森昌子ら数人が歌っているが、カヴァーしている他の歌手は殆ど「チラリホラリ」と歌っている。たしかに咲き始め二分咲きくらいの時にはチラリホラリと咲いている、とはいうのでこちらの方が一般的な感じだが、散るさまに用いるのはは如何か。
ホロリは涙の落ちるときに使うもの。さくら散るさまはふつうヒラリヒラリだ。せいぜいフワリヒラリ。「チラリホロリ」と散るは、特異な感覚だろう。2番の別れでホロリと落とす涙をついでに予感させようとしたか。

2番、はなびらが涙の雫にきらめくとき「チラリチラリ」になる 。ここも2番に引きずられ安直にチラリホラリと歌う歌手もいる。チラリチラリは見ないようにして見るときなどに使うのが普通だ。涙の雫にならキラリキラリが穏当なようにも思うが、なみだ眼なのでチラリが、盗み見するような妖しい雰囲気を醸し出す。

同じく2番、葉桜を「そよろ」訪れる潮風、浜の風。そよ吹く風のそよか。ソヨと訪れるではダメか、そよ「ろ」で詩的になるのだろう。(つづく)

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