SSブログ

オノレ・ドーミエの水彩画2 [絵]

前回に続いて水彩画から。

image-20160626131522.png

「Grand Staircase of the Palace of Justice 裁判所の大階段」( 1864 w g )昂然と降りてくるのは判事か、検事かはたまた弁護士か。
「The Defender 弁護人 」(1865 g w)まるで法廷を舞台に展開する映画かアニメのよう。
弁護人がややオーバーアクションな感じもするが。被告人の流し目?が気になる。
「Scene at Tribunal 法廷の場面 」(Date unknown w )上と全く同じ絵ながら、青を基調にしているのは何の意図があるのだろうか。暗転?
「A Criminal Case 犯罪者のケース」(1865 w g )右上に裁判所の衛兵がいる。手強い相手に押され気味なのであろう。束ねた書類と六法全書が意味深。
「Les Saltimbanques アクロバット 」(1866-67 w )サーカスか セピア色。
「The Third-class Carriage三等客室 」(Date unknown w)後掲の油彩画(1863-65)とくらべて迫力においても、力負けしていない。
「三人の裁判官」 鉛筆素描の上にペン描き 淡彩 。29.8x46.4cm 。シカゴ美術館蔵。
ドーミエはこの「三人の裁判官」を三人三様の表情を変えて描いている。見る人によって裁判官の性格、仕事への取り組み方などがうかがえるだろう。それにしても三人ともうさんくさい。

最後に油彩画などを。

image-20160626131604.png

ドーミエは40歳ではじめて油彩画を世に出した。風刺画で大成してからである。

「The Republic 共和国 」(1848 o )73×60 cm。そのはじめて世に問うた油彩画。

「Don Quixote in the Mountains 山中のドンキホーテ 」(1850 o )ブリジストン美術館蔵。
ドーミエはドンキホーテを好んで描いた。理想や野望を持つも空回りするドン・キホーテに、ドーミエ自身の姿を重ねて描いたものと考えられている。

「The Laundress 洗濯女」(1860-61 、1863年頃の2説ある o )49x33,5cm 。これもドーミエの繰り返し描いたテーマ。貧しくも力働く女性が生き生きとかつ、力強く表現されている。まぎれもなく代表作のひとつであろう。

「The Third-Class Carriage 三等客室(三等列車)」(1863-65 o )65.4×90.2cm 。
ドーミエは庶民が乗る三等客室に雪が舞い込むさまなど、同情的に何枚かの描いている。この絵もロマン主義のような感情的表現でもなくクールベのような写実絵画でもない、まるでアニメのひとコマのような自由な筆運び・表現技法によって描かれている。ドーミエの油彩画の代表作とされる。
都市に暮らす人々の孤独感や閉塞感、加えて逞しさが伝わってくる。どこかゴッホの絵に似ている。ゴッホの絵がドーミエに似ているというべきだが。

「Nadal Elevating for Photography to the Hight of Art 写真術を芸術の高みまで引き上げるナダール」(1862 lithograph )45.5× 32cm。伊丹市立美術館蔵。

写真「オノレ・ドーミエとナダール」ドーミエも当時世に出た写真に大いに興味があったという。彼の絵を見ればよく分かる。

「Charles Philipponシャルル・フィリポンの胸像 」(1832テラコッタ)
1832年にさかんにつくった粘土胸像 (painted clay bust)のひとつである。
モデルはジャーナリスト で「カリカチュア、シャリヴァリ」雑誌編集長シャルル・フィリポン(1800-61)

ヴィクトル=マリー・ユーゴー(Victor, Marie Hugo、1802- 1885)はフランスフランス・ロマン主義の詩人、小説家。政治家でもあった。さすがの文豪も、こんな頭でっかちに描かれたらやりきれないだろう。

さて、もう少し知りたいと、「オノレ・ドーミエ」 (ユルク・アルブレヒト/著 Parco出版 1995)を図書館で借りてきて読む。
この本で、政治風刺画で時の権力を相手に壮絶な戦いを生きた前半、カリカチュアと油彩画でパリ市民の精神を描いた後半生を詳しく教えて貰った。コローが家を贈った話はどうも事実と異なるらしいこと、結婚していたことなども知ることになった。
時の芸術家がドーミエの絵を高く評価したことは良く知られたことだが、なかでも「悪の華」、「パリの憂鬱」のシャルル・ボードレール(1821-67)が早くからその才能を認めていた。詩人で美術批評家であった彼は言う。
「彼のリトグラフと木版画は色彩の概念を呼び起こす。彼の筆致は輪郭を区切るための黒以上のものを含んでいる。それは色彩と同時に思想を感じさせる。」(「フランスの風刺家たち」(1857)より)と。
また、ヴィクトル・ユーゴー(1802-85)は、友人であった画家が脳溢血で亡くなる前年の1878年、顕彰委員会委員長としてドーミエの大回顧展を開催している。
ドーミエがカリカチュアだけではなく、近代芸術全体の中でも重要な画家の一人であることをあらためて認識した。

ところで本題と離れるが、この本は和訳が故の読みにくさよりも、本の体裁のせいで読みにくくて往生した。
本は少し縦長で横書き、字が小さいのが老人には致命的。せっかくの良い本が泣くというものである。美術新書シリーズと称していて、ほかにも読みたい本があるが二の足をふむ。

ドーミエには静物画、風景画、ヌードがない。グランヴィルもだったか。風刺画家はみなそうなのか知らないが、晩年風景画を目指したエドワード・リアとは違っていることは間違いない。人間と社会の方に興味があって目に入らなかったのか。


オーストリアの画家オスカー・ココシュカ(1886年 - 1980年)は、ドーミエの没後に生まれているが彼も風刺画を描いたらしい。ドーミエに絵筆のタッチが似ているという。言われてみると、水彩画でなく油彩画は確かに似ているような気もする。

オスカー・ココシュカの水彩画
http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2014-01-15

このところ、エドワード・リア、J・Jグランヴィル、オノレ・ドーミエの三人の戯画を続けて見た。
日本のポンチ絵やアニメ、漫画などの源流のひとつであると考えると興味は尽きない。
カリカチュアの面白さを初めて知ったが、彼らもそれぞれ画風は異なるが水彩を描いていたのは意外であった。水彩のもつ「自在さ」が、風刺画の闊達さと相通じるところがあるのだろう。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。