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老いらくの恋よたび・岸恵子「パリのおばあさんの物語」と「わりなき恋」 [随想]

「老いらくの恋」について書くのは四回目になる。われながらしつこいと思う。

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図書館の棚で見つけて「パリのおばあさんの物語」(スージー・モルゲンステルヌ/著 岸恵子訳 千倉書房 2008.10)を借りてきて読んだ。
パリに住むユダヤ人のおばあさんの孤愁を書いた絵本だが、表紙絵と挿絵そしてもちろん文も好ましい。
あとがきで訳者岸恵子はこう書いている。
「老いの身の孤独をどう生きてゆけるのか…愚痴っぽくて自分勝手な頑固者になるのか、感謝の気持ちで他人にも自分にも優しくなれるのか、それが人間としての勝負どころです。」といい、「まだまだ旅や冒険を夢見る私にも、老いに対する私なりの覚悟はあります。私にはまだ溢れるような力があるのよ、という自分への信仰と共に。」

これを読んだ直後、たまたま新聞で岸恵子の小説「わりなき恋」(幻冬社 2014)の紹介を見たので、これも借りて読んだ。
たぶん「パリのおばあさんの物語」を先に読んでいなかったら、本の紹介を読んでも「わりなき恋」(幻冬社)を読む気にならなかったと思う。

岸恵子は1932年生まれだから、「パリのおばあさんの物語」を訳した時は76歳のとき。小説「わりなき恋」は2014年刊行だから、その時の著者82歳。
恋の始まりはヒロインの国際的ドキュメンタリー作家が69歳、相手は58歳の現役ビジネスマンで、恋の終わり・別れはそれぞれ76歳と65歳という。7年間の恋である。小説はもとより虚実ないまぜだが、どうしてもヒロインに著者を重ねてしまうのが人情というもの。相手も某大企業のトップマネジメントと特定されているとか。
蛇足 ながら、小説の中でヒロインが絵本の訳をする箇所がある。「パリのおばあさんの物語」とは書いてないが、たぶんそうであろう。この小説も虚実ないまぜである証拠のひとつ。

自分が勝手に思い描く純正の「老いらくの恋」は、男女共に65歳以上としているので、かなりそれに近いなと思ったのが最初の印象だ。65歳というのは閉経年齢51歳に子育て期間15年を加えたもの。子育てを済ませた、いわゆる「高齢者」とされる年齢と重なる。

老いらくの恋といってもどちらかのあいかたが若い場合が多い。我々が知っているのは、歌人川田順、茂吉など男が高齢で女が若いというのが一般的である。
男の身勝手が通った社会的なものもあるが、女性の受胎能力が弱まるのが早いこともその理由ではないかとシロウトは睨んでいる。大岡越前のご母堂の教えにもかかわらず、嫗(おうな)が若いつばめに狂うという例はあまり聞かない。

「わりなき恋」はこの一般論をかなりはみ出した設定と言えよう。我が国が猛スピードで高齢化社会に突き進んでいて、2040年頃には例えば大葬儀時代に入るなどと言われ、暗い時代の到来を予測する者が多い。
76歳のときに「パリのおばあさんの物語」を訳し、あとがきで「私にはまだ溢れるような力があるのよ」という著者が描いた「わりなき恋」はそういった時代にマッチし、しかも暗さを吹き飛ばす話題になるのか興味が沸くというもの。
知らなかったが、小説の発表当時はおおいに騒がれたと言う。もちろん著者が往年の美しき女優ということがあずかって大きいことは言うまでもないが。

題名の「わりなき恋」は、清少納言のひいおじいさんの、清原深養父(ふかやぶ)という歌人が、古今和歌集のなかで詠んだ歌からと、本文にも出てくる。

心をぞわりなき物と思ひぬる 見るものからや恋しかるべき(古今和歌集685)

「わりなき」という言葉は、ふだんあまり使われないが辞書によれば次の通りである。
わりな・い【理無い】(形)[文]ク わりな・し〔「理(ことわり)無し」の意から〕

(1)理屈では割り切れないほどの深い関係だ。特に、男女関係についていう。
(2)道理に合わない。筋が通らない。むちゃくちゃだ。
(3)どうしようもなくつらい。やりきれない。
(4)やむを得ない。避けられない。
(5)ひととおりでない。格別だ。
(6)非常にすぐれている。すばらしい。(三省堂 大辞林)

読後感想としては、こちらが枯れてしまっているせいか老いらくの「わりなき恋」というよりは「わりなき不倫」という印象が強かったのは残念である。
上記の辞書の解説用語を借りれば、(1)より(2)の要素が強い。
つい、小料理屋「卯波」の女将俳人、鈴木真砂女の代表句「羅(うすもの)や人悲します恋をして」(句集 生簀籠)を思い起こしてしまったほど。真砂女は、50歳で離婚しているが、2003年92歳で亡くなっている。
老いらくの恋は、一方かあるいはどちらも結婚している場合が多いだろう。どうしても関係者を騒ぎに巻き込む。どちらも単身という場合であってさえも、過去の配偶者や家庭を引きずるからややこしくなろう。

不倫小説となると「老いらくの恋」と視点、論点がまた変わらざるを得ない。不倫はわりなきと同義語だからわりなき不倫は同義反復。はじめから男は家庭を壊してはならぬといい、女はそのつもりは無いのにそんなことを言うのよ、と友達に話す。本当に愛しているなら離婚してからにすべしなどと野暮を言う人もいるだろう。しかし単身の女性にとってはどうでも良いことか。せいぜい人悲しませる恋の傷みが辛い程度か。いずれにせよ老いらくの不倫の恋については、あまり筆が進まぬ。
婿で恐妻家茂吉の恋がそうだったが、不倫の恋は当事者だけが美化するだけで周りは冷ややかに見ている。
老いらくの恋は、双方単身でかつ多くの初恋がそうであるようにプラトニックラブがあらまほしいと思っているが、無いものねだりか。

小説「わりなき恋」は、先の高齢化社会に一石をという意味ではどうか。著者の後ろに機を見るに敏な編集者の影が見え隠れするが、有吉佐和子の「恍惚の人」ほどのインパクトは無い。恋の終わりに重なる3.11ももうひとつしっくりこない。
男女とも地位、経験など特異なケースだから一般化は難しそう。恋自体はみな特異なもの、一般的なものなどないにしても。
還暦過ぎた男のえくぼに惹かれる女性の心理、気持ちは自分にはどうしても理解できないようだ。修行が足りなかったのか。まして女性のからだのことなど老若によらず理解の外。だから、心身ともに女性の恋を云々言う資格などもとより無いのかも知れぬ。

わりなきは辞書の(5)や(6)のように素晴らしいという意味もあるというが、「わりなき小説」とまでは、残念ながら読めなかった。しかし、著者の80歳を過ぎての「溢れるような力と冒険心」には脱帽、誰しも敬意を払わざるをえないだろう。

神様はなぜ子育てを済ませた人間、もはや子供を産む能力の無い人間をこうも長きにわたり生かしておくのか、あらためて考えさせられる。老いの覚悟を決めるためという人もいるが、時間の長さを考えればそれだけではあるまい。この貴重な時間をどう生きるかは、人それぞれに抱えた難しい課題でしかも画一的なものでは無い。

余生などとも呼ぶこの時間は、このような老いらくの恋を楽しむためではなく、おそらく種属維持のために孫や子供の面倒を見させるためであろうと最近強く思うようになった。
親は子が大人になっても危なっかしいと見る。また世の中は、実際に孫の世話を余儀無くさせられている高齢者、それに頼らざるを得ない事情にある親が何と多いことか。

親になった子供が何らかの事情で子育てが出来ないリスクに備えて、神は祖父、祖母を当分の間生かしておくのだ。孫が可愛い、愛しいという強い感情はその証である。
鮭などは無数の卵を産むから、そのうち数パーセントが確実に成魚になる確率は高いが、ヒトはそうはいかない。子育て期間が長く危険度は高いから、それだけ重層的で幅広いセーフティーネットが欲しい。
高齢者にとり老後の務めの基本は子、孫、曾孫の面倒をみることである。
親が面倒をみるべき生育期間を閉経後15年とすることがそもそも間違いなのである。高齢者といえど、そうたやすく子離れなど出来ない。
老いらくの恋など、子や孫の面倒をしなくても済む恵まれた人達が絵や音楽などの芸術、文学など老後の趣味を楽しむお遊びに似ているという気もする。

これは枯淡の境地というより、やつがれのしらけに近いというものであろう。これではせっかくの「老いらくの恋」も「わりなき恋」もミもフタもなくなるな。高齢者はつらいよ、はそのとおりだが、恋はもしかしたら夢を運んでくれるかもしれないのに。

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