SSブログ

一年ニ句選 [詩歌]


image-20170213140152.png

俳句は身のまわりにたくさんあったのに、なぜか自分で作ろうなどと思ったことがなかった。例えば自分が働いていた会社では入社した頃、毎月発行する貯蓄債券の商品の広告に俳句を使っていた。
まあ何とも古いセンスときめつけ老人にしか受けないだろうなと思っていたが、俳句は人気があるとみえて花を広告のテーマにするようになってやめるまで、随分長く続いたようだ。

わがサラリーマン生活が不本意にも突然終わる時がきて、あわただしい生活が終わろうとしていたときに、なぜかふっと頭に浮かんだのが俳句だった。俳句はため息文学とも言うとか、その通りふうっと息を吐いたときに生まれた。
残っている記録では平成14年(2002)の歳末の二句がはじめての俳句である。
いわば処女句である。

蠟梅の多弁愛で合ふ大晦日
すさまじき年も過ぎ行き風呂に入る

最初の句は、蠟梅と大晦日とが冬の季重なり、しかも多弁は造語。蠟梅は普通香りを愛でるが、五弁の梅と違い花弁の多いのが良いねと話しているというだけのもの。
二句目は、すさまじい(秋の季語)は、冷じいで、「荒ぶる」が語源という。季語としては「秋冷がつのる」という意とか。
すさまじいとしか言いようのない今年も過ぎて行くんだなあ、という感慨にふけりながら風呂に入る、と詠むときに使っても季語になるのやら心もとない。
なお、風呂は季語ではないとかで、困惑するばかり。「年も過ぎ行き」で年の暮れになるのだろうか。
いずれにしても、はじめての句は今思うとなやましいことでいっぱいだが、こういった悩みは、いつまでも消えないものである。
それにしても自分にとって平成14年(2002)は、年頭1月から年末まで確かに凄まじいとしか言いようのない年であったことを、この句を読むと思い出す。
しかし、そんな年の暮れに俳句を詠むことが出来たのは、何より幸せだったと思わねばならぬ。

あれから15年も経ち、これまで多くの自己流の駄句を作ったが、これを俳句と言って良いものかといつも考える。いずれにしてもいくら作っても良い句は出来ない。もっとも、自己流だからどんな句が良句なのかも分からないのだが。
いつも「冷や汗駄句駄句」とつぶやきながら作っているのである。

一年ニ句を選んで見た。たくさん作った年と少ない年がある。二句という数に意味は無い。一句を選びきれなかったのも実力がない証拠か。
こうして時系列で並べてみても、年を経たからといって出来は良くなっていないのは明らかだ。が、俳句というものは作者にとって日記の代わりにはなることだけは確認出来た。
何やら最近勢いが弱くなって来たのは気になる。句数も減って来ている。

2002 (平成14) 蠟梅の多弁愛で合ふ大晦日
すさまじき年も過ぎ行き風呂に入る
2003 (平成15) 意馬心猿鬱金桜に風と消え  
故宮にて翡翠白菜息を呑み
2004 (平成16) 御徒町女義太夫夏袴
被爆せしおうな傘寿や半夏生
2005 (平成17) 嘉魚棲みて明神池の佳き日哉   
飯桐の実のおびただし過ぎし日よ
2006 (平成18) セーターをせめて二枚に老痩躯
田の中の耳塚暮れて秋深し
2007 (平成19) 寒酒や父の形見の河豚徳利
栃わかば明日は晴れよ破れ傘
2008 (平成20) やまももや遅疑逡巡もせず熟れて  
春潮やさかしまマンション船溜まり
2009 (平成21) 採り時を教へぬキウイの硬さかな   
冬ざるるアイスプラント塩きらら
2010 (平成22) ふゆばらや麻酔科女医の声やさし
口縄に似た瓜まっつぐぶらさがり
2011 (平成23) リフォームや壁に仔猫の出入り口 
引越しの猫に木天蓼(またたび)キャリ-籠
2012 (平成24) 水彩を学び八年破蓮(やれはちす) 
武蔵野の武蔵野うどん武蔵振り
2013 (平成25) 初孫は男の子なり若緑       
春さむき春のあかつき有明山
2014 (平成26) ゆくりなく翡翠にあう花見かな
寒明けや気くばりボスのお別れ会 
2015 (平成27) 右手(めて)上げてピンクの信号毛布猫
自画像の髪眉白く冬帽子
2016 (平成28) 眼裏(まなうら)に白鷺を見てくらしをり
隈府から東都に飛びし蜜柑穂木
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。