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蜜柑の接ぎ木 [自然]


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はじめての接ぎ木は二年前の春(27年4月)だった。一年目は、かぼすの台木に接ぎ木した柑橘類14本全部枯死して完敗したが、昨春二回目は28年4月20日に接ぎ木したところ、ついに二年目にしてやはり14本の穂木のうち1本から芽が出た(芽デール28.6.11)。そのことを興奮してこのブログに書いた。

2年目、芽デール!
http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2016-06-13

その後他のもう一本の穂木から芽が出たが、夏を過ぎて秋頃までに残念ながら二本とも芽が枯れてしまった。
やはり我が素人技術では無理と思い知らされた。接ぎ木の初歩的な技術を教えてくれて、穂木を熊本から二年連続で送ってくれたM君にこれ以上迷惑はかけられない。
まして彼のところは28年4月の地震の激甚な被災を受け、かつての日常を取り戻すのに何かと落ち着かない状況下にある。

29年3月5日、メールで今年(三回目)はやめると申し出る。

事実上の敗北宣言をして1ヶ月あまり、29年4月17日、昨年発芽して枯れた穂木から新芽が出ているのを発見した。4月23日には蕾らしきものもついているのに気づく。5月3日にはそれが三つあり少し膨らんでいるのを確認した。

一昨、昨年と2回14、5本も接ぎ、殆ど失敗したと思ったが、昨年は芽が出て喜んだのもつかの間 、その芽は枯れたのに今年になって新しい芽が出たのはどういうことなのか。
それに何と花蕾までついていたのだ。
しかもこの穂木は地震のさなかに空輸されたものだ。復活、復興のシンボルのようなものではないか。これが感激せずにおられようか。

思わず昨年作った駄句に七七を付け足して腰折れを。花はまだ先である、無茶苦茶だ。
隈府より東都に飛びし蜜柑穂木 地震(なゐ)の翌年 芽吹き花咲く

接ぎ木も挿し木も自然の力を利用した伝統技術だろうが、不思議なものだ。成長した個体の一部だから移植されても、元の木の花芽をつける能力を持ちそのまま発揮する。実生なら花が咲くまで数年かかるのだが、一気に時間を速めるバイオテクノロジーである。

はじめての接ぎ木を体験して、結果がどうなっているかを見るのは楽しいものである。カボスの木に接いだデコポン、レモン、甘夏などがたわわに実るのをずっと夢見ていた二年間だった。農園で園芸を趣味に楽しんでいるM君の気持ちが、ほんの少しだが、分かったような気がする。

M君に報告したら、メールに添付した画像から推定すると、花が咲き実がなる可能性があると喜んでくれて、「①三つの花のうち一つは授粉用にして実が二つなったら一つを摘果し一つを残すか、②人工受粉もせずそのまま三つを大きくし後で二つを摘果する二方法がある」と教えてくれた。
三つとも大きくして食べるものとばかり思っていたのでびっくりした。あなたは欲張りだと家人から笑われる
人工授粉は難しそうなので後者②の方法を選択することにする。周りのかぼすの花が同時に咲いていれば、三つとも実がなる可能性はあるとM君のご託宣。幸いかぼすは、今年も今沢山の白い蕾をつけている。
取らぬみかんの皮算用である。

花芽が出た穂木が何か記録しておかなかったのが残念だが、それが分かるかも知れないという楽しみもある。
M君は、画像の花芽から推定して晩柑種だろうという。

ネットで晩柑種を調べると、文旦(ブンタン)の突然変異種に河内晩柑というのがある。
「大正時代に熊本県河内町で発見された柑橘で、ブンタン系の自然雑種。地域によって「美生柑(みしょうかん)」や「宇和ゴールド」、「ジューシーフルーツ」などと呼ばれることもある。果汁が豊富で果肉がやわらかく、さっぱりとした甘味がある。その外観から「和製グレープフルーツ」ともいわれるが、グレープフルーツのような苦みや酸味はない。サイズは250~450g程度で3月下旬~6月頃に出回る。」とあり何やら美味しそう。

このあと実がなり大きくなることを願うが、この二年の経験からみても、自然は何が起きるかわからない。まだまだ、接ぎ木の楽しみと心配の泣き笑いが続きそうである。


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