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村上春樹を読む(その7)・「小澤征爾さんと、音楽について 話をする 」など [本]

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その作家の随筆などを先に読んでから小説を読むのと、小説を読んだ後に随筆を読むのでは、少し味わいが異なるような気がする。自分の場合で言えば、前者が丸谷才一、後者が村上春樹である。
随筆で代表させたが、対談、インタヴュー、解説、批評などを指す。
自分は、どちらかと言えば小説をあまり読まない方だからであるが、随筆、エッセイなどである程度人となりを知ってから小説を読む方が多いが、小説を読んでから人となりや考え方を随筆などで知るというのは少ない。

村上春樹の小説の理解に少しは役立つかと、あとから随筆などを何冊か借りてきて読んだ。短編小説も何冊かあったが、これは人となりを知るために役立つというものではない。

「小澤征爾さんと、音楽について 話をする 」(2011 新潮社)
村上春樹の小説にはジャズやクラシックが出てくるからと手にした。世界的な指揮者との音楽対談。
この書を通読して自分が理解したのは2割とないだろうと思う。小澤征爾は勿論、素人と言っている村上春樹の音楽のレベルは、極めて高いことが一読して分かる。
音楽の奥の深さに驚きつつ、かたや今さらながらわが音楽の素養なしに呆れる。もっと若い時から音楽に親しむべきだったと悔やんでも遅い。
それにもかかわらずこの本を読了したのは、ひとえに村上春樹の筆力以外の何物でもないだろう。わからなくても本は読み終えるものだなと妙なことに感心する。
対談に登場する名曲(ブラームス「ピアノ協奏曲1番」、ベートーヴェン「ピアノ協奏曲3番」、ジョージ・ガーシュイン「ラプソディ・イン・ブルー」)などをひたすらアマゾンミュージックなどで聴いているのみである。嗚呼。
ただ、「インターリュード」と称したコラムは、 interlude 幕間、間奏曲だからか、少し内容が分かるものもあってほっとする。

「村上春樹、河合隼雄に会いにゆく 」(新潮文庫 1996)
「ねじまき鳥クロニクル」(1994,5)を書いた直後の対談。
村上:スポンティニアスな物語でなければならない (…自発的な 自然発生的な)など、作者の意図などが知り得て参考になる箇所がある。河合隼雄は一頃盛んに読んだ。
対談によるば、河合はこの小説をかなり評価していたことが分かるが、その物語性、主人公の屈折した心理描写を見れば理解できるように思う。

「ランゲルハンス島の午後」(光文社 1986)
安西水丸の絵のついた気楽な内容のエッセイ集。表題は書き下した少年(中学生)時代の話。ランゲルハンス島は膵臓の細胞(膵島)のこと、ランゲルハンスはそれを発見した医師の名前。
アイキャッチの巧みさに驚くが、例によって、それで何を言わんとしているのか、説明もないので明確でなく何やらあとに引くこともたしか。
これもアメリカ滞在記の「うずまき猫の探し方」(1996新潮社)で作者が、あとがきの最後に「うずまき猫は見つかりました?」というのと似た雰囲気。どこかにうずまき猫のことが書いてあったかな、斜め読みなので読み落としたかな、という感じ。

「TVピープル」(1990文藝春秋)
表題のほか数編の短編集。その中のひとつに「加納クレタ」がある。
水の音を聴く姉マルタのもとで働らくクレタは4年後「ねじまき鳥クロニクル」で再登場するが、これは「スポンティニアス」な物語なのか。

「回転木馬のデットヒート」(1985 講談社)
表題のほか8編の短編小説。
表題には、「はじめに」と付いていて小説に対する作家の考え方のようなものが記されている。村上春樹の小説についての考え方の一端が分かるのかもしれない。
「僕がここに収められた文章を<スケッチ>と呼ぶのは、それが小説でもノンフィクションっでもないからである。マテリアルはあくまでも事実でありヴィークル(いれもの)はあくまでも小説である。」とある。人から聴いた話を短編にしておき、それを材料にして小説を構想するのだろうか。確かに村上春樹の短編が長編の素材になっているものがあるような気もする。
だが、他人から「聴いた話」と自分自身の関係がどうして回転木馬(メリーゴーランド)のように追いつきも追い越しもせず、「仮想の敵に向けて熾烈なデッド・ヒートを繰り返す」のかというあたりになると、当方は小説家ではないからかストンと腑に落ちないところがある。

「カンガルー日和」(1983 平凡社)
表題のほか22編の短編小説。
「図書館奇譚」には、1982年の「羊をめぐる冒険」、その続編である1988年の「ダンス・ダンス・ダンス」に出てくる羊男、美少女が登場 する。
図書館は村上春樹の好きな場所(中でもその地下室?)で「海辺のカフカ」など頻出する場所だ。

「村上朝日堂の逆襲」(1986 朝日新聞社)
週刊朝日連載のコラム。朝日堂とは何だろうと思っていたが、週刊朝日のコラムだからか?いわく因縁があるのかと想像していたのだが。?うん、「村上朝日堂」は、アンアン連載だったかも。この辺になると、わけが分からない。ま、とまれ一連の朝日堂ものからはかなり作者の人となりや考えをうかがうことが出来る。

「やがて哀しき外国語」(1994 講談社)
1991年から2年半米国ニュージャージー州プリンストン滞在記。
「うずまき猫の探し方」(1996新潮社)はそのあと2年間住んだマサチューセッツ州ケンブリッジ滞在記。いずれも安西水丸の漫画風挿絵付きだが、後者に比べ「やがて哀しきー」はまじめな感じ。

「夢で会いましょう」(1986 講談社文庫)
糸井重里との共著。短編というよりショートショートをアイウエオ順に並べたもの。村上は「かなり面白い」、と前書き口上にいうがア行2、3編で読むのをやめた。
自分にはまだ、これらを面白がる才知と度量はないようだ。1986年と言えば昭和61年。

こところ小説や随筆などを集中して読んだが、なお村上春樹を理解していないという気がする。
もっとも理解できないのは、なにも村上春樹に限った話ではない。
一人の作家、その小説を分かろうとすることなど無理なのだろう。力不足だ。
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